共存生活

10月に咳がよく出て困っていたが病院では肺には異常はないと言われ、貰った薬を飲んでいたらしばらくして収まった。2年前も同じことがあって特に気にしていなかった。ところが先月終わり頃からまた再発。ずっとそれを考えることを避けてきたが、とうとう避けるわけにいかなくなり、近くの内科で血液検査してもらったところ、やはり猫アレルギーであることが判明した。
アレルギーの段階は3.5でどちらかと言えば軽い方ではあるが、「猫は無理ですよ。どうしても飼うなら外か、一部屋に閉じ込めておくしかない」と言われ、悄然として家に帰る。


そう言えば、タマを抱いた時などに濡れた鼻を顎にグイグイ擦り付けられると、ちょっとそこがピリッとして赤くなったことがあった。この数年、くしゃみ、鼻水、鼻づまりもよくあった。妙に目が痒くなることも。普通はそれで猫アレルギーだと気付くのに、そう思いたくないので無意識のうちに否認していたのだと思う。
猫を飼い出して4年目に入ったところだが、なぜ2年目と4年目の秋冬に限って、ここまで症状が出たのだろう。植物とかの他のアレルゲンと合体して強く出たのかもしれないし、たまたま体力や免疫力が落ちている時期だったのかもしれないが、わからない。


夫は「誰かもらってくれる人いないか」と言った。「猫より体の方が大事だ」。
わかっている。でもタマを手放すことはできない。タマがいるから気持ちが落ち込むのを食い止められているので。タマのお陰で更年期を乗り切れると思っている。今タマを手放したら、当分沈んで這い上がれないと思う。たぶんいろんなことに大きく長く影響が出る。タマのいない生活は考えただけで胸が苦しくなってくる。だから絶対に手放さない。だいたい赤の他人と25年も暮らしてこれた私が、猫と共存できないわけがない(理屈になってない)。
そう言ったら夫は黙った。お手上げだと思ったようだ。


最初からもっと症状が酷かったら、諦めもついたかもしれない。
私の感情生活は明らかに一匹の猫に支えられているのに、同じ猫の体から出たものに過剰反応し排除しようとする自分の体が、少し恨めしい。


ネットで調べた結果、アレルギーでもいろいろ工夫して長年猫と生活している人は結構いたので、多少慰められた。もちろんどれだけ対策を講じても、医者が言ったように将来、気管支喘息になる可能性は高いし、その前にどんどん症状が悪化して手放さざるを得なくなる時が来るかもしれない(その時のために今から里親募集しておいた方がいいのだろうか)。
自分の身体に害を与える条件を取り除いて長生きするか、体はしんどくても好きな者と暮らす今の喜びを取るか、選択は人それぞれ。
昔の私なら迷わず前者を取っただろうけど、自ら手放さなくてもいつ何時すべてを失うかもしれないなぁという思いが強くなった今は、後者を選ぶ。



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