夢の男、ピグマリオンの恋

メディアを通して有名人や芸能人に恋をするというのはよくある。マンガやアニメやゲームを通して二次元のキャラクターに恋をするというのも多い。小説の中の顔の見えない登場人物に恋をするというのもある。ツイッターなどのやりとりを通じて相手に恋をするというのもあるらしい。
人は実際に会ったことのない、またはリアルでは会えるはずのない対象に、容易に恋ができる。


私はそうした感情から遠ざかって久しいが、この間久しぶりに恋をした。その人は、夢の中に出てきた。夢の中では既に知り合いのようだった。
ボサボサの髪で白っぽいくしゃくしゃのシャツにジャージ、素足に半分壊れたサンダルをひっかけ、首から一眼レフのカメラをぶらさげていた。泥んこの道をサンダルを引きずりながら右往左往していた。何かブツブツ呟いていた。顔は‥‥俳優のARATA*1をもっとオッサンにして風雨に晒して崩したような感じだった。次のシーンでは目の前にいて、二言三言話した。もっと話していたいと思ったが、こちらにカメラを向けられたので写真の嫌いな私は顔を背けた。そこで目が覚めた。


覚えているのは、というか後で思い出せたのはそれだけだが、目覚めた瞬間、恋愛感情の虜になっていた。しかし誰だったのかわからない。現実では会ったことがない人だった。記憶をたぐっても思い当たらないし、ARATAのファンでもないし。強いて言えば、ずっと過去に一瞬すれ違ったり会ったりしたが忘れてしまった人たちのいろんな要素が構成されて、ああいうイメージとなって現れたのかもしれない。
その日は一日中バカみたいに、夢で会った人への恋愛感情に支配されていた。だが一日経ったらほぼ元に戻った。三日経った今は、どこにそんなに惹かれたのかすらもう曖昧になりつつある。こういうことは一度ではなく、20代初めの頃からこれまでに4、5回あった。平均して7年に1回。
夢には無意識の願望がかたちを変えて現れるということからして、私は平均して7年に1回の割合で恋がしたいと思っていることになるが、現実に恋をするのはなにかと難しいので、夢の中でその願望をインスタントに叶えているのだろう。



スタンダールの恋愛論を紐解くまでもなく、相手に自分の中の幻想を投影することで恋愛感情は生まれる。相手が現実に存在する人でも二次元の異性でも、相手の”実像”とこちらの思い込みの間にはずれがある。
それでもなんとかして幻想と現実を近づける方法はないかということで、こんなものまで発明されたらしい。


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恋愛の対象として理想的な相手。それが自分の恋心に応えてくれたら。そういう振る舞いを見せてくれたら。この「発明品」がちょっと笑いを誘うのも、痛切な願望にあまりにベタに対応しようとしているからかもしれない。
それで思い出されるのが、古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に登場する、キプロスの王ピグマリオンピュグマリオン)の話だ。
生身の女性たちに失望したピグマリオンは、完璧な女性を求めて彫像作品を作った。その出来映えがあまりに見事だったので、彼はすっかり彫像の女性に恋をしてしまい、毎日のように語りかけ、贈り物をし、ベッドを共にし、ついに彼女は自分の愛に応えてくれたのではないかと思うようになった。その狂おしい思いと彫像の素晴らしさに打たれたヴィーナスが、褒美として彼女に命を授けてくれた、という物語。


ピグマリオンは芸術家だから、創造と性愛の情熱が一致して奇跡が生まれたという話になっている。これを参照した「人形に命が吹き込まれた」というモチーフは探せばたくさんあるだろうが、作り手は圧倒的に男ではないだろうか。
マイ・フェア・レディ』の原作となっているバーナード・ショーの戯曲のタイトルも『ピグマリオン』。イライザはヒギンズ教授に作り上げられる存在という意味で、人形的だ。男は現実と幻想の距離を縮めるのにあらん限りの力を注入し、出来あがった理想の像を愛でる。それは「女」だったり別のものだったりはするのだろうけど。


夢の中に出て来た見知らぬ人は、自分が無意識の中で作り上げたイメージである以上、私の幻想そのものだ。でもそれが理想の男性かといえば違う気がするし、こちらの願った通りにも動いてくれない。そういうずれがあって初めて、恋愛感情が作動している。だから私にはピグマリオンの気持ちがわからない。
私の願望はおそらく、恋愛感情というもの自体を味わいたいということなんだろう。相手は何でもいいのだ。重要なのは自分の胸がキュン!とかなること。うわぁ(笑)。これは一種のナルシシズムである。

*1:最近、本名の「井浦新」に変更したらしい。