父と唱歌

介護付き有料老人ホームに入所して一週間になる父87歳を、先日の月曜日、初めて一人で訪ねた。実家の母はこれまでのバタバタが一段落ついたところで、疲れが出たのか熱を出して寝ている。夫が一緒に行く予定だったが、一人で行くことにした。一人で行きたい理由があった。
母の話では、入所から三日目に叔父(母の弟)を伴って出かけたところ、廊下にいた父は手を広げて待っていて、「会いたかった、会いたかった」と泣き出さんばかりにしがみつき、「病院の方が良かった」だの「島流しに遭ったようだ」だの不満を並べ立て、いくつも施設を回ってさんざん悩んだあげく、見た中では一番良い(その分料金も張る)ところを父のために選んだ母は、心底ガックリして帰ってきたそうだ。
ところが一日置いてからまた訪ねると、今度は打って変わって上機嫌で「あれからよく考えて、いいところに入れてもらったと思った」と何度も感謝の言葉を繰返したという。どうやらその日の午前中にお風呂に入れてもらい、それが大層気持ち良かったので機嫌が良くなったらしい。ホームの人の話では慣れるのにだいたい一ヶ月くらいかかるとのことなので、こういう気分の上下は当分続くのかもしれない。


昼食が終わって少し経った時間帯だったせいか、父は昼寝をしていた。「お父さん」と呼ぶと目を覚まして起き上がり、眠そうな目で私を見た。また母と間違われると嫌なので、急いで「サキコだよ。お母さんが熱を出したから一人で来たよ」と言い、ベッドの傍に椅子を持っていって腰を降ろした。
叔父が家から持ってきてくれた一人掛け用のソファと小テーブルがあり、小テーブルの上には若い頃の父と母の写真と、母だけの写真が写真立てに入れて並べてあった。入所時に持ってきたものだ。テーブルがかなり小さいため何かの拍子に写真立てが落ちそうなので、最初は母が、広い洗面台の上に並べておいた。「毎朝顔を洗う時に見えるから、ここがいいでしょう」と。それを父が、ベッドから常時よく見える小テーブルに置き直したようだ。
写真の前に、文庫本が二冊積んであった。父が母に頼んで、先日家から持ってきてもらったものだ。『きけ わだつみのこえ -日本戦没学生の手記』と『日本唱歌集』。『きけ わだつみのこえ』は父の持っている戦争関係の本の中でも、もっとも古い部類に属するだろう。単行本の方がボロボロになったので文庫本に買い替えたそれも、何度も手に取ったのかかなりくたびれている。


その日、父の気分が良かったら、好きな曲を何か弾いて歌ってあげたいと思い、家から小さなキーボードを持ってきていた(夫がいると少し恥ずかしい。一人で来たかったのはそのため)。それを取り出し、『日本唱歌集』を父に渡して「弾いてほしい曲ない?」と尋ねると、目次をゆっくり眺めて「富士山の歌」と父は言った。「富士山の歌? どういうの?」「♪あーたまをくもーの‥‥」「あ、それね」。
キーボードを父のベッドの足の方に置き、伴奏付きで1番を歌った。お隣の人の迷惑になるといけないので、やや音量を絞って。歌い終わると、父は目を細めてパチパチと手を叩いた。子どもの頃、ピアノを習わせてもらって良かったと思った。
「じゃあお父さん、これ覚えてる?」と童謡を弾いた。「昔よく歌ってたでしょう?」。「‥‥なんて歌だった?」と、父は思い出せないのがもどかしそうに言った。「『この道』。北原白秋」「ああ、そうか」
次に『浜辺の歌』。今度はタイトルがわかった。それから『箱根八里』『ふるさと』『荒城の月』。自信がないので人前では極力歌わない私だが、ここでならあまり気にせず歌える。最後の方では父は目を閉じ、何か思い出しているようだった。


帰宅して夫にこのことを話したら、「俺、仕事なくなったら、ギターの弾き語りで老人ホーム慰問しようかなぁ」などと言い出した。夫は「歩く昭和歌謡史」を自認するくらい、古い歌謡曲にやたら詳しい(ギターの腕前はそれほどでもない)。
三橋美智也とか高峰三枝子とか美空ひばりとか古賀メロディとか、何でもできるぜ」。ちょっと古過ぎるんじゃないの? そのくらいのを聴いてきた年代の人はもうかなり亡くなっていると思うけど‥‥と思ったが、父の入居している施設では4割が90歳以上だと聞いている(ほぼ女性)。1910年代から1920年代に生まれた人々である。古賀メロディもまだ需要はあるかもしれない。


日本唱歌集 (岩波文庫)

日本唱歌集 (岩波文庫)