消費者でもクリエイターでもなくプロでもアマでもなく

ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった – Togetter
素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい – シロクマの屑籠
ネットによって文章を書くようになった人たちに淘汰されるプロの怨念 – Togetter
「ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった」に対する考え - AnonymousDiary
淘汰されるプロのその後を誰も考えない件 - LUNATIC PROPHET
淘汰されるプロ?仕事してないプロなんてプロじゃねーよ - novtan別館
 

 ネットで書き手が増えたこと、プロとアマチュアあたりの話題が盛り上がっていた。それぞれの記事のブックマークコメントも興味深い。
 私も「ネットによって文章を書くようになった人たち」に含まれる。ブログを書き始めたのは2004年中頃、45歳の時だから遅い方だ。*1 2009年までに三冊単行本を出したが、スローペースな上に一番売れた本で実売8千〜9千部程度なので、文筆ではまったく食えていない。その仕事一本で食べている人をプロと言うのであれば、私はプロではない。かと言って、本を数冊出しているとアマチュアという目で見てくれる人はいなくなる。そういう意味で実に中途半端なところにいる。


 ブログは概ね気楽に書いているが、当初からあったのは、エッセイでも日記でも本や映画の感想でも、記事をなるべく一つの読み物として成立させたいということだった。なので比較的時間をかけて書いている文章が多い。実際そういう記事をいくつか、若干手を入れ直して本の原稿に組み込んだこともある。
 本にお金を払ってくれる人がいる以上、ほぼ同じようなレベルの文章をブログで公開しているのはいかがなものか?という見方はあると思う。小説家でも批評家でも随筆家でも、ただで読ませるブログは短い身辺雑記やメモ以外は書かないというスタンスはあるだろう。売れっ子ならば気合いを入れて長いブログ記事なんか書いている暇もないだろうし(内田樹のような人は例外的だ)。その代わりに、大手のサイトに連載をもっていてそこでただで記事を読ませ、本の販促に繋げたりするのだろう。
 というわけで、諸々の理由でプロではない自分のこの8年を、少し振り返ってみる。



 ブログ以前に全然文章を書いていなかったかというとそうではなく、友人と作ったHPにたまに短い雑文を書いたり、もっと前はアート系同人誌に時々レビューなどを書いたりはしていた。その程度に書くことは好きだったけれども、当時は美術の制作発表活動の方に重点を置いていた。
 もっとも美術作家だけでは生活できず、大学出てからの食い扶持を稼ぐ仕事は、予備校講師、大学・専門学校の非常勤、他こまごまとした仕事を拾って賄ってきた。独身の頃は時々親に借金していたし、結婚してからはだいぶ夫に助けてもらっている。*2 もし結婚していなかったら、いまだに親に借金(しかもほとんど踏み倒し)しながら暮らしていたと思う。
 

 それはさておき、美術をやめてから、その外に自分が長い間置き去りにしていたいろいろなものがモヤモヤと立ち上がってくるのを、言葉にしてどういうものだか見極めないとキモチ悪い‥‥という気分に押されてブログを始めた。
 「文章を書いてみたら?」と、積極的に背中を押してくれた人も身近にいた。その人の紹介で数ヶ月後、ある編集者の人に会い、出版社のHPでエッセイを書くお話を頂いた。しかし、その出版社が大幅な方針の転換をしたことで担当編集者が別の出版社に移り、それを契機に9ヶ月で連載は終わりになった。
 プロの編集者に励ましとアドバイスを受けながら初めて書いた連載エッセイ『男子にはなれない』は、今はこのブログ内に掲載している。


 その間に、別の出版社の人から「本を書きませんか」というオファーをもらっていた。当時は、ブログ発の書籍が結構出ていた時期ではないかと思う。2005年の春頃から書き始め、2006年の5月に初めての本『モテと純愛は両立するか?』夏目書房)が出た。この担当編集者は若い人だったが、ビシバシに鍛えられ、本を一冊書くのがいかに大変かを思い知った。
 まったくの無名、そして小さな出版社ということで、著者営業もしたけれども、3千部発行で2千いかなかったのではないかと思う。それでも担当の人は「次」を考えようとして下さっていたのだが、そうこうしているうち出版社が倒産してしまい、その人は単行本とは関係ない出版社に行かれた。


 処女作を書くことが決まった当時、もう一つオファーがあった。そちらは前作を出した後の2006年の夏頃から書き始め、2008年2月に『アーティスト症候群 - アートと職人、クリエイターと芸能人』明治書院)というタイトルで発行された(初版6千部)。
 これはヒットとまではいかなかったもののそこそこ反響があって重版もかかり、いくつかのメディアにインタビューや書評が載った。この編集者さんとも「次も是非一緒に」という話はしていたのだが、また出版社内の諸事情がありその人は結局その社をお辞めになった。


 ただ本が少し話題になったお陰で二つの出版社から声がかかり、その一つで『「女」が邪魔をする』(光文社)を2009年6月に出した。
 これは書店で(心ならずも)回転の早い”モテ指南本”コーナーに置かれるパターンが多かったこともあってか、5千部刷ったがあまり売れていないと思う。こういうややくだけた感じのジェンダー関連本は、「草食○○」「女子をこじらせる」といったキャッチーな謳い文句があるとか、書き手のキャラがよほど立っているとか、雑誌のライターとして名前を見かける人とかでないと難しいのかもしれない。
 最初は「『アーティスト症候群』の続きもうちで」という感じだったのだが、「女」の売れ行きが思ったほどでなかったので「次」はなかった。


 この後は、『アーティスト症候群』と『「女」が邪魔をする』が韓国で翻訳出版されたくらいで、どこかに連載をもっていたわけでもなく「三冊で終わったか」と思っていたら、10年11月に「『アーティスト症候群』を文庫化し、できれば続編を単行本で」という話を頂いた。
 捨てる神あれば拾う神あり。
 新たに長いあとがきをつけた文庫版『アーティスト症候群』河出書房新社)は去年7月に出た。文庫の方もまあまあ(その手の本にしては)売れているようだ。


 これまでどの本を書いた後でも私は、「全部書いた。出し切った。もうすっからかん」という気持ちになった。「次」を言って下さる編集者がいても、「あれの先が今の私に構想できるのか。すぐには無理」と思った。それもあって、ジェンダー本→アート本→ジェンダー本と系統が一冊置きになっている。
 考えてみれば美術制作をしていた時も、一回個展をすると全部出しきってしまって、なかなかすぐ「次」というわけにはいかなかった。モヤモヤが溜って、ぼんやりとかたち(言葉)になってくる長い時間が私には必要なようだ。プロになれないわけである。
 やっと去年の11月頃から書き始めた「次」は、来週出る。順番から言うとアート本になる。



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*1:当ブログの2003年の記事は、ブログを始める前のHPにあった雑文、及び紙媒体からの抜粋。

*2:本を書き始めた当初、「バンバン売れるもん書いて、早くラクさせてくれ」と言っていた夫だが、さすがに最近はもう諦めたようだ。