「書き手だけが読む特殊な形式」と「誰もが読む一般的な形式」の違い

マクルーハンの説明はこうです。紙に印刷して読むとき──つまり、反射光で文字を読むとき、私たちの受容モードは自動的に、そして脳生理学的に「分析モード」になり、心理的モードは「批判モード」に切り替わる。したがって、ミスプリントを見つけやすい。

[中略]
 つまり、発光型デバイスであるモニタを見るときには、脳はパタン認識・くつろぎモードになるため、文書を見ても全体を絵柄として捉え細部に注意がいかなくなり、ぼんやりとくつろいで見ることになり間違いに気づきにくくなる。一方、紙にプリントアウトすると、それは反射光となるため、脳は分析・批評モードに切り替わり、文書を細部まで細かくチェックすることが可能となる。そのため、間違いに気づきやすいというわけだ。文章をチェックするときに、一旦紙にプリントアウトして見ることは、理に適った行動なのだ。


プリントアウトした方が間違いに気づきやすいワケ - A Successful Failure

これ、自分は見る姿勢の問題だと思っていた。モニターを見る姿勢より、視線を落とした印刷物の方が落ち着いてチェックしやすいんだという考え。でも、デジタル入稿以前のことを考えれば、自分の考えはもちろん、透過光、反射光も関係ないことがわかる。
それは、デジタル入稿ではない原稿用紙で入稿していた時代でも、とんでもない誤植を原稿用紙の段階で見逃し、文字だけのゲラ(写真などは入っていない写植だけのもの)ができあがっても見逃し、初校が出てきた段階で初めて気付くということはよくあったからだ。
同様のことは、デジタル入稿であっても、原稿をプリントアウトしてチェックしたのに、きちんとレイアウトした校正のプリントアウトが出てきた段階で大きなミスに気付くこともよくある(もちろんDTPで流し込む段階でコピペミスなどするからというのもあるが)。


プリントアウトしたほうが間違いに気付きやすいのは反射光であるからという説は疑問 - ARTIFACT@ハテナ系


他にもいろいろな意見が出ていたが、上の二つをまとめると、
1. モニターで読む→プリントアウトして間違い発見
  ●透過光は気づきにくく反射光は気づきやすい
2. 原稿用紙で読む→文字だけのゲラで読む→初校で間違い発見
  モニターで読む→プリントアウトして読む→きちんとレイアウトした印刷(初校)で間違い発見
  ●一度正しいと認識したものは間違いを脳で補完してしまうが、形式が違うと脳による補完ができないので間違いに気づく


私も透過光/反射光の話は今一つすんなり納得できなかった。で、テキストの「形式」(あるいは形態)によって気付かなかったり気付いたりするのならば、その「形式」はそれぞれどういうものかを考えればいいのではないだろうか。


たとえばブログ記事を書くのに、シンプルテキストなどテキストエディタで書いたのを編集画面で枠内にコピペし、確認画面で確認し、保存にして、その後で字の間違いや抜けに気づくことが、私はよくある。それまで何度も読み直しているのに、なぜかアップしてからでないと気づかない。そういう人は結構いると思う。
これは、「書き手だけが読む特殊な形式」と「誰もが読む一般的な形式」の違いからくる(プリントアウト関係ない)。前者に向かっている時、人は自分の文章のスペルミスなどを勝手に補正して読んでしまう「書き手脳」になっており、後者に対面して初めて、他人のテキストを読むように客観的に読む「読み手脳」になるのではないか。


ブログの例で言えば、編集画面も確認画面も「書き手だけが読む特殊な形式」だ。こういう中途半端な状態で他人のテキストを読むことは普通はない。これら最終段階ではない特殊な形式で、客観的かつ批判的にさまざまなテキストを読むという訓練を私たちはしていないから、ミスに対しても盲目的になりやすい。編集→確認→編集に戻る→訂正をしてもまだ「書き手脳」。
しかしアップ後は記事画面という「誰もが読む一般的な形式」で読むことになる。その同じ形式で他人の文章も数多く読んでいるから、テキストが自分の手から離れた感じになって、「書き手脳」から客観的かつ批判的な「読み手脳」(もちろん100%ではないが)に変化し、間違いも見つけやすい。


モニターや原稿用紙で読むのは、ブログのために書いたテキストを編集画面で読むのと似ている。文字だけのゲラは、確認画面に相当する。ここまでは主として「書き手だけが読む特殊な形式」だ。人によっては確認画面やプリントアウトの段階で「読み手脳」に切り替えられるが、切り替わらない場合もある。
初校は雑誌や書籍のページの状態にレイアウトされているので、「誰もが読む一般的な形式」に極めて近くなり、記事をアップした状態に相当する。*1
モニター/プリントアウトでも、原稿用紙/初校でも、デジタル原稿/文字だけのゲラ/初校でも、編集画面/確認画面/記事画面でも、同じである。「書き手だけが読む特殊な形式」では「書き手脳」がしばしば「読み手脳」より優位で、「誰もが読む一般的な形式」で「読み手脳」が活性化される。


追記:この記事もアップしてから、誤字じゃないけど言葉遣いを一部直した(やれやれ)。

*1:飽きるほど読み直したデジタル原稿を、初校で校正の人にバシバシと誤字脱字チェックされて凹んだことが何度かある。あと、冊子形式だった大学の講義要綱をある年、CD-ROMにしたら評判が良くなかったらしく、また冊子に戻ったということがあったので、モニターと紙媒体の可読性の差や慣れの問題はあると思う。