父の手とオリオン座

老人介護施設に入所して5ヶ月、今月7日には「ハイ」「ネコ」「サキコ」という単語しか発せなくなっていた父は、その一週間後に訪ねた時、一切の言葉と表情を失っていた。
数日後、スケッチブックとサインペンを持って再び訪ねた。いつも書き物をしていた父だから、文字を書かせたり見せたりしたら、何かしらの反応があるのではないだろうかと。


「今日はいいもの持ってきたよ」と、バッグから小さいスケッチブックを取り出し、車椅子の父の膝の上に持っていくと、僅かに手を動かしてそれに触ろうとした。触ってそれが何であったか思い出そうとしていたのか、普段の生活で見ない物だから思わず手が動いたのか、どちらかわからない。
右手にサインペンを持たせようとしたが、まったく力が入らない。何とか親指と人差し指の間に挟ませたのを私の手で握って固定し、スケッチブックに父の名と母の名を一字一字発音しながらゆっくりと書いた。こちらの動かすままになっている父の手は、循環が悪いせいでやや浮腫み、とても冷たかった。
書いた字を指さし、読んだ。父はショボショボした目で、スケッチブックに書かれた自分の名前と妻の名前をしばらく見ていた。いや、見ていたのか、ただ目が明いているだけなのか、判然としない。次に新しいページに、私と妹の名前を書いてみた。やはり無反応。
「お父さん、私は誰?」と、顔を間近に寄せて言った。父はぼうっと2秒ほど私の顔を見てから、関心がなさそうに視線を落とした。そんなことを数回繰り返すうち、父は目を閉じ、眠ってしまった。


いつもは一週間に一度だったが、2日ほど間を空けてまた訪ね、同じことをしてみた。刺激を与え続けていたら、何かあるかもしれないという僅かな期待を抱いて。
55年間住んでいた町名や、長らく勤めていた職場の名前も、父の手を持って書かせてみた。それをゆっくり読み上げて、しばらくの間スケッチブックを父の目の前に掲げる。何か思い出してくれないかなぁ‥‥何でもいいから。
だが父は一言も発せず、これといった反応も見せず、項垂れているだけだった。


次に母と訪れた時、母は、父が若い頃友人にもらって小さな額に入れて大切にしていた、マチスのドローイングの絵はがきを持ってきた。尼僧の端正な横顔が簡潔な線で描かれている。父が自分の机の上にずっと飾っていたので、私も物心ついた頃から目にしていたものだ。
「お父さん、これ独身の時から大事にしていたでしょう。この顔が大好きだって、言ってたわねぇ」と、母はそれをテーブルに置いた。ずっと大好きだった物を見たらどこかがピクッとなって、何か思い出さないか。
しかし父の目の中には、何の感情の動きも読み取れなかった。


そして昨日。午前中に訪問すると、いつも食堂にいる父は、部屋で眠っていた。最近寝覚めが悪くなったのはスタッフの人から聞いていたが、起きて座っている体力がなくなってきたのかもしれない。
横向きになった父の肩は改めて見ると一段と薄く、部屋は暖かいのに、布団から出た少し浮腫んだ掌は一段と冷たかった。お父さんと呼んでみたが起きる気配がないので、はみ出した手に布団を掛けて帰った。



夜が更けた頃、外に出たがって鳴く猫を抱いて、表に出た。ここのところバタバタしていてあまり遊んでやらなかったので大喜びだ。門のところに行くといつものように扉に前足を掛け、遠くの物音に耳をピクピク動かす。猫は暖かい。暖かいものを抱いていると、ほっとする。
満月に近い月の斜め下くらいに、オリオン座が出ていた。久しぶりに見る冬の星座。しばらく夜空を見上げることも忘れていたなぁと思った。
ふと、子どもの頃の記憶が蘇った。父と手を繋いで夜道を家に帰る途中。バス停から家への道のりだから、父がまだ車の免許を取っていない頃だ。「サキちゃん、オリオン座だよ」という言葉に、夜空を見上げた。子どもの頃に見上げたオリオン座は、今よりも大きく近くに感じられた。星の光は冷たく、父の手は暖かかった。そう言えば、父はいつも手の暖かい人だった。
猫を抱いたまま、門扉にもたれて少し泣いた。