○○・であった・り・です・とか

○○とか××とか△△とか‥‥。会話では頻繁に使うし、ブログなどのラフな文章でも普通に使う「とか」だが、以前、送った原稿にこれが多かったことについて、編集者に「あまり多用するのはどうでしょう。何かを列挙する時は、できるだけ”や”にした方がいいのでは」と言われた。
確かに「とか」が続くと、なんとなく文章に締まりがなくなる。内容がカジュアルでも、思い切りくだけた物言いをするところがあっても、こうしたちょっとした言葉遣いは端正な方がいいと教えられた。


それ以降、原稿では「とか」は極力抑えめにし、「や」を使うようにしている。が、話し言葉では全然直りません。たぶんものすごく使っている。列挙ではない場合も語尾に使う。
●「お正月どうするの?」
 「うーん、家で過ごしたりとか‥‥」
●「どっちにしたらいいと思う?」
 「とりあえずこっちにしてみるとか」
意味なく付けてしまう「とか」。「家で過ごしたりするかな」「こっちにしてみたらどう?」と言えばいいのになぜ。「とか」を付けることで何となく意味を曖昧にしたいという心理があるとか(←!)。つまりは言ってる内容に自信がないとか(←!!)。
列挙する場合、「とか」より「や」の方が品はいい。「とか」を使うとつい「とかー」と語尾が延びて、どことなくだらしない感じになる(「や」も「やー」と延びることはあるが、「とかー」が繰返される時ほどのガサツさはない気がする)。友達と喋っている時はともかく、喋りが不特定多数の他人に聞かれている時は、あまり多用しない方がいいかもしれない。


それで最近気になるのは、「○○とか」「○○だとか」をクドクドしくした「○○であったりだとか」「○○であったりですとか」という言い回し。テレビでもよく耳にする。
「○○ですとか」もやや違和感があるのだが、それは「○○(だ)とか」の丁寧語バージョン(おそらく商売言葉)として一応理解できる。しかし「○○であったりですとか」って何ですか。むちゃくちゃ衣の多いエビの天ぷらみたいです。
「○○だったり××だったり」は、「○○とか××とか」の後に出てきた言い方だと思う。普通、「(た)り」は「行ったり来たり」「食べたり飲んだり」のように動詞を列挙したい場合に使う。名詞なら「○○や××や」になる。それをわざわざ、名詞+「だ/である」の過去形+「り」という長々しい形にしている。
更にそれに「だ」or「です」と「とか」が付くのだ。○○・であった・り・だ(です)・とか。衣だらけでクドいことこの上ない。


そして、「○○であったりだ(です)とか、××であったりだ(です)とか」ともったいぶって喋っている人の、その列挙の内容はしばしばそれほどもったいぶる必要もないことに見えるのも、ちょっと鬱陶しく感じるポイントだ。
「クリスマスであったりだとか、バレンタインデーであったりだとか」「おせちであったりですとか、お雑煮であったりですとか」「Twitterであったりだとかー、Facebookであったりだとかー」。うわぁ、鬱陶しい。「クリスマスやバレンタインデーや」「おせちやお雑煮や」「TwitterFacebookや」でいい。
こういう調子で「津波被害であったりだとかー、原発事故であったりだとかー」とは言いにくいと思う。「何をノラクラ喋っとんじゃ!」と怒られそうである。だから「津波被害や原発事故や」と、無駄なものを極力付けず直裁に言う。


言葉に衣が付けば付くほど、大したことはない内容を糊塗する感じになる。
今年は言葉はできるだけスッキリ薄着にして、薄着に耐えられる内容を喋ったり書いたりできるように心がけたい。