父と言葉と『月光』第三楽章

記憶と言葉を失ったと思われていた施設の父に、言葉がほんの少しだけ戻ってきた。
てんかんを押さえる薬のせいで常時軽い麻酔がかかったような状態になっていた父は、今月初めに病院で薬を少し調整してもらい、その数日後、母のいつもの「お父さん、私は誰?」という問いに、突然「ママ」と答えたという。「ママ」とは、私と妹が10歳くらいまで使っていた母の呼称である。それ以降は父も私たちと同様に、母を「お母さん」と呼び習わしていた。
母が聞きたかったのは「お母さん」だったようだが、それでも父がほぼ三ヶ月ぶりにまともに口を開いたということで、母は喜んで私に電話してきた。


最初の挨拶「こんにちは」にも時々返事を返せるようになり、「また来ますからね」と言うと「はいはい」と言ったらしい。しかし父の言葉には表情が伴っていない。スタッフの人が普段からこまめに挨拶や返事を促しているので、ほぼ自動的に返しているのではないかと思う。
先週訪ねた時に私も、「お父さん、私は誰?」と訊いてみた。「サキコだね」と返ってきた言葉は嬉しかったが、しかしその後は何を話しかけてもボーッとしているだけだった。
呼びかけられて、ふと覚醒して答える。でもそこで、父の気力は尽きる。そして”幕”が降りてしまい、父の意識は霧の中に戻っていく。会話には繋がらない。


先日、母と訪ねると、昼食を終えた父は部屋のベッドで眠っていた。呼びかけに薄く目を開け、やっと小さく「こんにちは」と答えた。「私は誰かわかる?」に、「サキちゃん」と無表情のまま父は言った。
母が覗きこんで「お父さん、私は?」と訊いた。父はまた「サキちゃん」と答え、眠たそうに目を閉じた。
「お父さん!」と、母は声を上げて父に飛びついた。「私、和子よ。私のこと”ワコ”って昔呼んでたじゃないの。大野家は”和”のつく人が多いからって、ね?思い出してよ、そうだったでしょう?○○のカズオさんも、××町の‥‥(中略)‥‥だからお父さん、私のことは”ワコ”って呼んだわねぇ、思い出してよー、ねー(泣)」。
‥‥‥やれやれ。何というか、直視しにくい感じになってきてしまった。


「せっかく来たのにどうして寝ちゃうのよー、起きてよー」。75歳の母は半分ベソをかきながら、完全に眠りに入ってしまった父を揺さぶった。
どうにか空気を変えたくて、「音楽、聴かせてみようか。知ってる曲聴いたら、起きるかもしれない」と言った。スマホに入れてる中で、クラシックの好きな父が昔気に入っていた曲を探した。
「『白鳥の湖』はどう?」。右側を下にして寝ている父の左耳にイヤホンを差し入れ、音量絞り気味で流してみた。しばらく様子を見たが、全然反応がない。
「なんか子守唄になっちゃってるみたいね」と母は言った。「もっとこう、騒がしいのない?」「えーと‥‥、じゃあ『月光』の第三楽章いってみようか」。
子どもの頃ピアノを習っていた私に、父はよくベートーベンの『月光』をリクエストした。ピアノ・ソナタ14番嬰ハ短調『月光』作品27-2はピアノ曲全体からすれば特別に難易度の高い方ではないが、中2になったばかりの私にとっては自分のものにするまでにかなり時間がかかったので、その分愛着もある。
第一楽章は静かなので、ドラマチックな第三楽章にした。母は父の使っていない方の右のイヤホンを拾い上げてつけ、「ああ懐かしいわね。あなたよくこれ練習してたもんねぇ‥‥そうそう、ここで時々トチってたわね」と言った。


父はピクリともしなかった。相当眠りが深いのだろう。夢の中で音は聴こえているのだろうか。
母は父のベッドにもたれて、久しぶりに聴くピアノ曲に集中していた。
左のイヤホンから父の耳に注ぎ込まれる『月光』第三楽章。
右のイヤホンで母の聴いている『月光』第三楽章。
私の頭の中で仮想的に鳴っている『月光』第三楽章。
同じ曲なのに、それぞれが別のものを聴いているような気がした。




(ヴァレンティーナ・リシッツァのキレの良いプレイ。ミスタッチや音飛びなしでこの速度を保つのが大変‥‥。今はもう弾けません。)