夢の作業、老婆の顔

「夢の内容 高精度で解読に成功」というNHKニュース。一部抜粋。

研究グループは、3人の男性を眠らせて数分後に起こし、見ていた夢の内容を聞き取るとともに、眠っていた時の脳の活動内容を調べる実験を、それぞれ200回以上、行いました。
そして、見た夢の内容を車や食べ物などといった20ほどのパターンに分類し、その画像を男性が起きているときに再び見せました。
そのときの脳の活動を分析し、眠っていたときの活動と照らし合わせることにより、一部の内容については、70%以上の高い確率で夢の中に登場したかどうか、当てることができることが分かったということです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130405/k10013690171000.html
(追記:こちらも。睡眠中に見る夢、日本の研究チームが解読に成功 - 国際ニュース:AFPBB News 上の記事と微妙に記述が異なる)


この実験と、記事最後に出てくる国際電気通信基礎技術研究所の神谷之康室長の言葉「今回の手法を使い、頭の中で考えただけでコンピューターを操作できるような技術を開発したい」がどう結び付いていくのか私にはわからないので、それは措いといて。


自分の夢に何が登場したのか、あるシステムを通して自動的に他人に知られてしまうとしたら、深層心理や欲望を覗き見られているようで不愉快だという人は多いと思う。わかりやすい願望がそのまま夢になっているような場合は尚更だ。
でも仮にそれがわかったところで、心理や欲望がすっかり解読されてしまうわけではない。一見わかりやすい願望は、何かが姿を変えたものかもしれない。


フロイトの夢の研究によれば、夢の”本当の内容”は無意識の中にあり、自分では認めたくない、忘れていたいことがそこに抑圧されている。覚醒時、無意識と意識の間の扉は自我によって固く閉ざされているが、睡眠中はそれがゆるみ、「抑圧されたもの」が意識に上ってくる。
ところが睡眠中にも関わらず意識はその内容を検閲しようとするので、「抑圧されたもの」は検閲をパスするよう、より穏健なかたちに歪曲されて夢となって現れる。もし「抑圧されたもの」が夢にナマなかたちで出てきたら刺激が強過ぎて、睡眠が妨害されて目覚めてしまうからだ。これを「夢の作業」という。


「夢の作業」にはいろいろあり、複数のものが合成されて一つのものになったり、まったく別のものに置き換わったりする。夢に空白部分が多いのも、作業(削除)の結果とされる。
「夢の作業」では、意識に転がっているさまざまな材料が使われる。数日前に会った人がそのまま出てきた場合、それは夢の作業の過程で材料として使われたのであって、それ自体がもともと無意識から上がって来たものだとは考えない。ずっと忘れていた人が突然出てきた場合でも、無意識の中にあった何かがその人の姿に置き換えられて出てきたと見なす。
記事のエントリーページでは、「幼女とファックしたらパクられんじゃねーのか」というブックマークコメントにスターが集まっていたが、同様に考えれば「幼女」も「ファック」も単なる材料か、無意識に「抑圧されたもの」の歪曲の結果となる。*1 夢はここで一次加工を施される。
夢の二次加工は、目覚めた人が夢について話す時、つまり「夢の作業」において一次加工を経た夢の断片を、ストーリーとしてまとめあげる時に行われる。だから実際に見ていた夢とは必ずしも一致しないし、そこに登場するものは、無意識に「抑圧されたもの」とは一見似ても似つかないものになっている可能性もある。*2


夢を解釈し夢の意味を知るとは、以上の過程を逆に辿っていくことになる。
しかし夢を見た人の言葉を手がかりにして、その人の個人史も重ね合わせつつ無意識にあるものを探っていくのは、相当に困難だ。だから巷に溢れる大抵の「夢判断」は、これとこれが出てきたらこういう意味があるというようなパターンを作り、それに当て嵌めるようなやり方をしている(フロイトもパターンは作っている)。


ブコメでは、映画『インセプション』と、筒井康隆の小説でアニメ化もされた『パプリカ』の名が上がっていた。『インセプション』は映像は美しかったが、階層間の影響関係が図式的過ぎて、私は今一つ乗れなかった。そもそも一番深い階層が「虚無」で何もないというのがよくわからない。そこは無意識であって、さまざまなおぞましいものが渦巻いているはずだ。『パプリカ』の方が(原作も含め)エンターティメントとしては成功していると思う。
夢で私がまず思い出すのは、デヴィッド・リンチの映画である。リンチの作品はほとんどすべてが、まるで夢の場面であるかのように撮られている。無意識から検閲を掻い潜って現れようとするものたちの、歪曲の痕跡。



さて今朝早く、私は夢の中で「助けて、助けて」と叫んで目が醒めた。
と書くと典型的過ぎてなんだか冗談のようだが、本当だ。目覚め際に「‥‥けて」と自分の口が動いたのを確かに感じ、首の後ろに鈍痛を覚えた。思わず手をそこにやった時には、痛みは最初からなかったように消えていた。
ほとんど覚えていない長い夢の終わりの方は、だいたい次のようなものだった。


実家の裏庭にいた。そこには今は物置になっている、かつて祖父と祖母が住んでいた離れがあった。夢の中でその離れはまだ生活の匂いを漂わせていた。離れの前の、なぜか黒い土が掘り返されて荒れた畑のようになった裏庭で、見知らぬ老婆が地面に直に置いたまな板のような物の上に屈みこんでいた。まな板の上には、太さが竹輪ほどもある人間の指が二本、並行にくっついた状態で置かれていた。なぜか切り口はなく先端はどちらも指の先になっていて、大きな灰色の爪まであった。親指のように見えた。その二本は真ん中あたりで互いに繋がっているようだった。老婆は菜切り包丁で、その奇妙な物を縦に薄くスライスしようとしていた。ピクルスのような酢の匂いがした。こんなことをうちの庭でさせてはいけないと思い、私は老婆が横を向いている隙にそれを取って、家の表の通りに駆け出した。どこかに捨てよう。でもどこに捨てよう。捨てても私の指紋がついているから私が「犯人」(しかし何の?)と疑われるかも。そこから突然場面は飛んで、おそらくそれを始末したあとだろう、私は実家の母屋の居間にいた。父と母がテーブルに向かいあっていた。突然襟首を後ろから強い力で引っ掴まれた。ああ老婆に見つかってしまったと思った。老婆の握りしめた拳が首の後ろの骨を圧迫して痛かった。私は両親に向かって「助けて、助けて」と叫んだ。


「指」については、その前日、新幹線で移動中に車内の電光掲示板に出てきた「脅迫容疑:金無心で父親に指送り逮捕」という毎日新聞ニュースが頭に残っていたためではないかと思うが、それは材料に過ぎず、何か別のものが置き換わった可能性もある。
老婆の顔は見えなかった。その顔に私が認めたくないこと、忘れていたいことが刻まれていたので「削除」されていたのかもしれない。



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※関係ないけど4月5日現在、下の広告が強烈過ぎて、何を書いてももっていかれそうだ。・゚・(ノ∀`)・゚・。(9日、ラッセンから天野喜孝に変わった)

*1:そもそも、「幼女とファック」が願望だったとして、頭の中にしまわれている願望をわざわざ取り出して人を断罪することはできない。

*2:先の実験で言えば、被験者の言葉と脳の活動の「一致」より「不一致」の方に、分析の糸口がありそうな気がする。