介護サービスを受ける人、受けない人

スーパーでたまに見かけるおばあさんがいた。
最初その人を見たのは夏だった。暑いのにボロボロになった長袖の上着を着て、首にもグレーの小さな襟巻きのようなものを巻いていた。近づいた時、それは襟巻きではなくその人自身の髪の毛で、長い間洗っていないらしく、毛髪の束がくっついてまるで一枚の毛織物のようになったのを首に巻き付けているのだとわかった。
年齢は見たところ80歳は超えている感じだった。痩せていて膝と腰がやや曲がり、ヨボヨボと形容していいような歩き方をしていた。大抵、お弁当やインスタントラーメンや菓子パンを買っていた。


身なりや髪の状態からして、周囲に気を使ってくれる人がいないか、人に構われることを拒んでいるかだろうと思った。デイサービスや訪問介護などのサービスを受けていたら、もう少し身ぎれいにしているのではないか。
もちろん「身ぎれい」の尺度は人によって異なる。髪を大量の三つ編みにして一ヶ月くらいは洗わないというヘアスタイルもあるのだから、あのおばあさんの襟巻きと化したヘアも一つのスタイルと言えば言えないこともない。洗髪することであれを崩したくないのかもしれない。
しかし洗髪しなくても死なないが、食べなくては生きていけない。高齢ゆえ調理をする体力も気力もないので、近くのスーパーにすぐ食べられる食糧の買い出しに来るのだと思う。


数年前の雪の日に車で通りかかった時、吹雪の中をスーパーの袋を引きずるようにしながら歩いているのを見た時は驚いた。こんな日に一人で買い物に出なくてはならない境遇。でも私は車を降りて「お手伝いしましょうか」と聞くまでには至らず、通り過ぎた。後で、もし断られたとしても声をかけた方が良かったかなと少し後悔した。
そのあたりには、かなり古い長屋が何棟か建っているところがある。新しい家と古い家、マンションと長屋が混在している小さな町である。おばあさんはたぶんその長屋の一つに帰っていったのだろうと思った。



ホームヘルパーの実習が今日でやっと終わった。新学期の授業の始まりと実習の日程が重なってしまい、この10日あまりはバタバタで過ぎた。
実習はデイサービスが1日、施設が2日、同行訪問(訪問介護に同行する)が2日である。実習の目的の一つに高齢者とのコミュニケーションの取り方について学ぶということがあるので、80代から90代の人たちとかなりたくさんお話させてもらった。
戦争を経験している自分の親世代の人々の話を聞くのは、私にとっては意味深い体験だった。同じサービスを受けている高齢者でも、一人一人実にさまざまな事情がありその人なりの個人史がある。話に興が乗って、こちらの手を握ったままなかなか離してくれない人もいた。
施設にいる高齢者を見ていると、父のことを思い出さずにはいられない。本人の納得の度合いはいろいろあるかもしれないが、こうした場所で健康と安全に配慮されて生活できる人々は、やはり客観的に見れば恵まれていると感じる。


同行訪問先の中に、独り住まいの障害者(半身麻痺と軽い知的障害)の方がいた。ヘルパーの業務は、生活援助‥‥買い物、食器洗い、米を研いで炊飯器にセット、居室の掃除、洗濯もの干し、ポータブルトイレの掃除など‥‥である(一応ゆっくりだが歩けるので身体介護はない)。これらを1時間で行う。入浴などはデイサービスを利用しているという。
プライバシーの守秘義務があるので詳しいことは書けないが、家族とは疎遠で生活保護で暮らしてきて、半身麻痺になったのをきっかけにそれらのサービスを受けざるを得なくなったようだ。でも施設入居は希望していない。基本的に自分のことは自分で決めて自分でやりたい、自立志向の高い人だった。


そのお宅を訪ねたとたんに、私はあのスーパーのおばあさんのことを思い出した。
ネズミが部屋に出入りするような古びた祖末な長屋。薄い板壁と建てつけの悪い木枠のガラス戸。こういう場所で、誰の助けも頼めず、一人で暮らして老いていく生活。それを自ら選ぶ人もいるのだろうか。
気楽に過ごしたいという気持ちは、年を取れば取るほど強まるものだ。煩わしい他人に邪魔されず、好きな時に好きなものを食べ、好きな時に出かけ、面倒なことは避けて気ままなスタイルを通す。あのおばあさんは自分の足で歩ける限り、「自由」に暮らしたいと思っていたのだろうか。それが他人からは、不衛生で不健康で不自由な生活に見えたとしても。
彼女の姿をこの1、2年は見ていない。私の住んでいる町内からは少し離れているので、その人が亡くなったのか入院されたのか、民生委員などが介入して施設に入れられたのかは知る由もない。