名前の煩悩とナルシシズム

大正時代から現在に至る女性の名前の変遷を辿る記事が、ブックマークを集めていた。
女性名から「子」が消えたワケ? 明美が分岐点:日本経済新聞 *1


自分のブコメ

ohnosakiko [女][資料]戦前生まれの母も義母も「和子」。戦後の「恵子」は女優の淡路恵子岸恵子人気もあるかも。最近はアニメの影響が強いのかな、こうして並んでいるとちょっと源氏名っぽい(源氏名と言えば遠い親戚に揚羽ちゃんがいる

和子は記事によれば、元号から一文字取った名付け方ということだが、昭和12年生まれの母に以前、なぜ和子という名前をつけられたのか聞くと、「世の中が平和になりますようにっていう願いを込めたって、おばあちゃんが言ってたわ」。日中戦争が始まった年だからむしろ「行け行けドンドン」的な風潮だったのではと思うが、平和祈願も中にはあったのかもしれない。


3ページ目の表2、この101年間の人気の名前ランキングを眺めていて、某所で知り合った老婦人の話を思い出した。
お名前を伺ったら「○○(苗字)ゆき」と教えてくれたその人に「いいお名前ですね」と返すと、彼女は首を振りながら言った。
「子どもの頃、自分の名前が嫌いでね。小学校で朝、先生に順番に名前呼ばれる時も、とっても厭だった。みんな「子」のつく名前ばっかりなのに、私だけ「○○ゆき」って、まぁ愛想のない。しかも平仮名よ。どうして「子」のつく名前をつけてくれなかったのって父親に文句言ったら、「名前なんかどうでもいい、勉強せえ」って叱られた。でもテストの時はいつも「由紀子」って書いてた」
「子」のつく名前がベスト10を占めて2年目の、大正11年生まれである。その頃台頭してきた都市の中間層の間で、華族を真似て「子」のつく名前を女児につけるようになり、その流行はまたたく間に全国に広がって、ゆきさんは周囲と違う自分の名前を疎ましがったのだろう。


昭和34年生まれの私の名は「子」がつくが、子ども時代はやはり自分の名前が今いち気に入らなかった。左紀子なんて可愛くないしつまらない。特に「子」がなんだか重い。
マリとかエリとかマミとかミサとかミユキとかユカリとか(漢字はまあ何でもいい)、そういう「子」のついてない当時は現代的な女の子像を連想させる語感に憧れた。それにマ行の音が入っていると、やはり可愛い印象を与える。少女漫画にもその手のヒロイン名が時々登場していたと思う。その後は、純とか薫とか性別のわからない名前に惹かれた。


人が「私」というものを認識するのは、誰かに(大抵は親に)名前を呼ばれて以降である。私の名前は常に、「私」意識に先立ってある。「私」より前に決まっていたそれを、人は後から来てただ受け入れるだけ。
だから時に「こんな名前は厭だった」という気持ちも生まれる。「私」と、親につけられた私の名前の間に、距離があるという意識。それはナルシシズムの裏返しかもしれない。



女性の名前で私にとって印象深いのが、成瀬巳喜男監督の『流れる』(1956、原作/幸田文)である。戦後の零落していく花柳界の一角を描いた傑作。明治末期から大正生まれの女優たちと、役名の対応関係を見てみよう。

・置き屋の女中、梨花(お春)‥‥田中絹代
・女主人、つた奴‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥山田五十鈴
・娘、勝代 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥高峰秀子
・年増芸者、染香‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥杉村春子
現代っ子の芸者、なな子‥‥‥‥‥岡田茉莉子
・つた奴の妹、米子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥中北千恵子
・姉、おとよ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥賀原夏子
・旅館の女将、お浜 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥栗島すみ子


「子」がついたりつかなかったりさまざまな中で、田中絹代が演じる女中の梨花という名前の響きが妙に現代的だ。
梨花の設定年齢は40歳くらい。1909(明治42)年生まれで撮影当時40代半ばだった田中絹代の少し下になる。大正初期に、梨花という命名はかなりアヴァンギャルドと言えないか。原作が出版された1955(昭和30)年当時でも、まだ少し珍しかっただろう。著者の幸田文は、ヒロインであり冷静な「観察者」として登場するこの女中に、特別に個性的な名を与えたかったのかもしれない。


原作では、梨花は米子に「珍しい名だこと。異人さんのお宗旨名?」と聞かれ、つた奴には「ちょいと、あの、なんていったっけね、梨花か、‥‥どうもじれったい名だね、女中はこうすらっとした名のほうがいいんだが。春さん!」と、いきなり別の呼び名をつけられる。
劇中ではつた奴が「梨花さん? 変な名前ね」とか何とか言い、「梨花さんって言いにくいからお春さんでいいわね」。「お春」なんていかにも古臭い凡庸な呼び名だ。しかしそれに梨花は逆らわない。


傾きかけた芸者置き屋でひたすら誠実に振る舞う梨花という女性の、呼び名を勝手につけられても黙って受容する涼しい達観。それが、金勘定とそれぞれのポジション確保に汲々とする芸者たちの煩悩と対照的なかたちで浮かび上がってくる。
梨花ほどナルシシズムから遠いヒロインを私は知らない。



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*1:日経は子どもの名前関連の話題が好きらしく、昨年12月にも同じような記事がある。蓮・結衣の時代が到来? 赤ちゃんの名前に10年周期:日本経済新聞