「ブログを書くのにこんな不利がある」について書く

ブログを書くことってそんなに素晴らしいか? - 基本ライトノベル


「いやブログってのはさ‥‥」と一言言いたい人を集めるような記事です。「不利」って言葉がいまいちすんなりこないけど、自分にとってマイナス面があるということでいいのかな。私もブクマで釣られてみました。


最後の方に「ブログを書くのが素晴らしいと書く人は、あまりその負の側面について書く人がいないので。ブログを書くのにこんな不利がある、と書くブログがそもそも存在しないし。」とあった(最初の「書く人は」の後には「いても」を補えばいいでしょうか)。
普通、そう思った人は黙ってブログを閉じて(あるいは更新しなくなって)去っていくのであって、わざわざブログで「ブログを書くのにこんな不利がある」なんて記事を書かないのではないか。その人にとって「負の側面」より「正の側面」の方が大きいからブログを書いている、つまり「不利」ではないということ。


ただ、一方的に「ブログを書くのが素晴らしい」と賞揚する論調があるとしたら、私もそういうのにはついていけない。ブログをやっていて「負の側面」も確かにあると感じる。ざっと考えて5点。
それを個人的な視座から書き出してみよう(因にブログ歴約10年です。更新は頻繁ではなく、今のところ平均週1回くらい)。



1. 落ち着かない。
今日食べたものを記録するような日記ブログならそれをそのまま書けばいいし、書評や映画評ブログの場合も目的ははっきりしている。問題は、特にテーマを決めずその都度気になったことについて感想や意見を書きたい場合だ。
ブログやり初めの、後から後から書きたいことが押し寄せてくるという”ブログとの蜜月期間”が終わってしばらくして、ふと気がつくと「これ、ブログのネタにならないかな」と頭の隅で考えている自分を発見する。本を読んでも映画を見てもどこかに行っても、「もしブログに書くとしたら‥‥」という思いがチラつき、何もかも忘れて100%純粋に楽しめない。
なんかネタになることはないか。ネタがないからどっかに出かけなくては。本末転倒である。
しまいには、猫が自分の顔を見てゲップしたというようなくだらない些事まで、「これ、ネタになるかも」といちいち反応するようになる。もちろんそんなことを書いても、「おまえんちの猫がおまえの顔を見てゲップしたからってそれがどうした」と思われるだけだから書けない。


もっとも村上春樹のような世界的な超有名作家なら、そんなことはないかもしれない。
「ある日曜の昼下がり、僕がスパゲッティを茹でていると、猫が僕の傍にやって来て僕の顔を見上げ、小さくゲップした。これはつまり‥‥‥‥(中略)‥‥‥‥ということに僕はようやく気づいた。なんてことだ。お陰でスパゲッティは伸びきってしまい、仕方なく僕はそれをそっくり生ゴミ入れのバケツに捨てた。買い置きの最後のスパゲッティだったというのに。やれやれ。」
‥‥とか何とか書いて「さすが!」と言われるのである。世界的な超有名作家だから為せるワザである。凡人には無理。


ネタなどネットにだっていくらでも転がっている? だが国際政治経済から最新アニメ事情、アートからシモネタまで、どんな話題も美味しく料理できるような人は希少である。普通の人に扱えるのはそれらの一部。それも既に一通りの議論が出尽くしていたり、優れた記事が幾つも上がっていたりした後では、なかなか手を出しにくい。タイミングを逸して書く場合、よほど面白い記事にしないと恥ずかしいわけで。
この意見は既に書かれてしまった‥‥。あれに言及するのは今更だし‥‥。私のブログに日常系の記事が多いのは、世の中の話題にいつも乗り遅れるからである。もちろん日常についての話題も選択が必要になる。
こうして、何をしていても「ブログのネタ探し」を無意識のうちにやるようになってしまう。疲れる。落ち着かない。


2. 時間をとられる。
ネタを見つけて一気呵成に30分くらいで書き上げてアップ。という人もいるだろう。私もそういう記事がないわけではない。しかし大抵はもっとずっと時間がかかる。だいたい以下の3つのパターンがある。


●「実は簡潔に言えることを、頭が悪いために長々と書いていて時間がかかる」パターン
 書き終えてから読み直して「牛の涎みたいだ、ダメだこりゃ」となり、あちこち削ったり移動したり、頭を冷やすために一晩寝かせたりして更に時間がかかる。そこまでしても短く簡潔になることはあまりない。
●「この内容だと来るであろうツッコミを予想して防御壁を作りまくって長くなる」パターン
 防御壁だらけで本丸(主旨)がよく見えず、「だから?」的な、「何か言ったことになってないよね」的な、誰からも相手にされない文章になる。こんなのアップしても意味がない‥‥。仕方ないので恐る恐る防御壁を崩して調整していると、また時間がかかる。
●「簡単に書けない内容だということが途中でわかってどんどん掘り出す」パターン
 書いていて一番面白い。これを言うならこういうことも言えるよね。ってことはこういうことも言えるよね。つまりこういうことだよね。面白いからどんどん書く。結果、読み易くまとめるのが大変になる。


「小1時間くらいでサラサラッと書いたんだろうな、文章もこなれている」という感じの読み易い記事‥‥そう思われたいものだ。でも実際はその3倍以上の時間をかけている。下手をすると、原稿用紙4、5枚程度の記事に、丸2日かかっている。ざっと10時間以上。しかもアップしてからまたしつこく推敲したりする。1円にもならないのにしつこく。
それで本を出したじゃないか? いや。ブログから本に入れた文章は全体からすると僅かだし、ベストセラーでもないので印税は微々たるものだし、本を執筆する何十倍もブログに時間をかけている自信はある。
って別に自慢することでもなかった。この10年、ブログなどに手を出していなかったら、どれだけ時間を有効に使えたであろうか?と思うと恐ろしい。


3. 人に嫌われる。
そうやってやっとアップした記事も、議論の渦中にあるようなテーマだと、反対意見が来たりする。それは当然だ。リアルでも普通にあることだ。記事内容がおかしいと思えば、その理由を述べて議論すればいい。それは相手を「嫌う」こととは違う。
だから毎度よほど極端な主張をしていたり、しょっちゅう人の揚げ足を取ったり中傷したりしているのでない限り、自分を積極的に嫌う人が出てくるなんてことはないだろうと思っていた。甘かった。


人はどんなきっかけで他人を好きになってしまうかわからないように、自分では思いも寄らないきっかけで人から嫌われるのである。自分の放った何気ない(つもりの)言葉が誰かを傷つけ、怒らせ、ブーメランのように自分に返ってきて突き刺さる。
まあそれだって、リアルの人間関係でもあることだ。なら、ネットでまでそんな体験しなくていいことにならないか。ブログなんか書かなかったら、知らない人に嫌われることもなかったのに。


4. 恥を掻く。
万全の防御で臨んだにも関わらず、肝心のところに穴が開いていて案の定ツッコミを入れられ、恥を晒すということがある。ブログの達人と言われるような人にはないかもしれないが、私レベルだとたまにある。
これが学生とか、せいぜい20代ならまだいい。勉強になりましたということで済む。しかし年取ってると恥ずかしい。私は44歳でブログを始め、今54歳だ。普通なら、「勉強になりました」と言われる側に立っていなければならない年齢だ。恥ずかしい。


5. 失望感を味わう。
最後になったが、ブログなんかに手を出さなけりゃ味わうこともなかったであろうネガティブな感情の第一位は、失望感である。
よく言われるように、ブログを書くという行為も一種の被承認欲に支えられている。2日くらいかけて気合いを入れて書いた長文記事にほとんど反応がなくてガッカリ‥‥ということは、ブログを書いている人なら1回くらいは味わったことがあるだろう。私は数えきれないほどある。
出先でもスマホでしょっちゅう自分のエントリーページを見て、相変わらず「しーん」とした状態だと軽く落ち込んだり。厭世的な気分にさえなったり。ポチッとスターがついていたり、1ブクマあったりすると、急に気分が上向きになったり。何を一喜一憂しているのか。いい年して情けない。


「おまえの書いているものは、おまえが思っているほどみんなには面白くないんだよ」という事実をまざまざと突きつけられる時、人はどうするか。「よし、みんなに面白い!と言われるものを頑張って書こう」となるだろうか。
しかし「自分の感じる面白さ」と「みんなの感じる面白さ」が一致していない状態で、自分の面白感覚よりどこにいるかわからない他人の面白感覚(そう推定されるもの)を優先して頑張って書いた結果、また「しーん」だったらどうするのか。失望感が深まるばかりか、自己嫌悪に陥るだろう。
かといって、「ふん、この面白さがわからんのか。見損なったわボンクラどもめ」となったら負けだ。読み手への失望を前提として書くほど虚しいことはない。


中年を過ぎて思い知らされたこと。それは、自分が自分で思っている以上に、大人げなく承認に飢えており無知で単純で気弱で傲慢であるということだった。それもこれも、ブログなんかに手を出さなければ、気付かないで(そして会ったこともない他人に気付かれないで)済んだかもしれないのだ。今さら遅いけど。


巷のブログ論とかけ離れたところで、淡々と一定のレベルでブログを更新する人がいる。専門性が高く内容的にも濃いそういうブログには固定読者がいて、その人々はあえていちいちブクマなどしない。だから記事がホッテントリに上がることは滅多にない。でも読まれるべき人に読まれている。
ここには、ブログを書くことの有利/不利、負の側面/正の側面といった発想も失望感も生まれないだろう。



以上です。
こんな記事を書くのに3時間半もかかった(猫に邪魔された時間を除く)。ブコメには「言葉にするとは云々かんぬん」と偉そうなことを書いたが、今回は大体わかっていることの確認で終わった。
でも書いてて結構楽しかったからいいや。これからも細々と続けようと思いました。