介護される犬、介護される人

犬 (1)
かなり前から足腰が弱っていたうちの老犬16歳は、ほとんど自力で立ち上がることができなくなった。敷物が敷いてあってもいつのまにかずれていって、コンクリートで擦ってしまうのかあちこち擦り傷ができ、医者からもらった薬を塗っている。寝たままも良くないので、この2週間ほどは毎日朝晩、体を支えながら庭で歩行訓練をしている。
目も耳も、すっかり衰えた。後ろから声をかけてもまったく気付かず、触るとビクッとして顔をこちらに向ける。その目は白内障で白く濁っている。鼻も利かないようで、ごはんを目と鼻の先に置いても反応せず、口元に持っていって触れさせるとやっと食べる。一口二口食べてはしばらく休み、手伝ってやらないと自力で食べ終えることができない。
水の容れ物を口元に持っていくと、「これは何だったかな?」と考えているかのように、下顎を水に浸けたまましばらく固まっている。いらないのかなと思い始めた矢先、ようやくバチュバチュと飲み始める。前は3分もかからず食事を終えていたのが、今はその10倍くらい時間がかかっている。


父(1)
犬にごはんを食べさせていると、老人ホームで介護されている父を訪ねて昼食の介助をしたのを思い出す。去年の夏、要介護2で入居した父は、この間、要介護4になった。
今年になって少し神経系の薬を減らしてもらってから、なんとか自分で食器とスプーンを持つことができるようになり、言葉も少しだが戻っていたのだが、今度は昼間と言わず夜中と言わず大声をあげるようになってしまい、体力を消耗するということで薬を増やされた結果、また何もできず喋れない状態になった。
薬を少なくすれば夜でも大声を上げ続けて寝ない、薬を増やせば麻酔がかかったようにずっと眠り続けて食事も摂れない‥‥‥というわけで、精神科の医師も看護士も調整にとても苦労しているようだ。


犬(2)
うちの老犬も、淋しいのか認知症(飼い犬も人間と同じように罹るらしい)のせいか、深夜になると吠えるようになった。
私はだいたい夜12時前後に床に就くが、ウトウトしかかったと思うと「フゥーン、フゥーン」という犬の鼻声が玄関先から聞こえてきて目が覚める。「フゥーン」がだんだん大きくなって、時々「ギャウ!」という吠え声が混じる。
どうしたのかと思って見に行くと、ピタリと声は止んでケロッとした顔をしている。体位を変えてやったりおやつをやったり撫でて話しかけたりして、落ち着いている様子を確認して寝室に戻ると、しばらくしてまた「フゥーン‥‥ギャウ!」が始まる。寝られないので再び階下に降りて行くと、ピタリと声は止んで‥‥。
その繰返しが明け方近くまで続き、慢性的な睡眠不足である。前期の仕事が昼からなのが幸い。


父(2)
母は、一人で父の見舞いに言った時に大声を上げられたのに、ショックを受けていた。
「いつものように話しかけながら頬をさすっていたら、目を瞑ったまま突然、ケダモノみたいな凄い声で吠えたのよ、ウガァーーッって。人間の声じゃないみたいだった。私びっくりして尻餅ついて、思わず部屋の入り口のとこまで逃げちゃった。‥‥お父さん、どっか痛いところや不快なところがあって、言葉にできないからあんな声上げるんじゃないかしらねぇ」
身体的な痛みなどではなく、薬が切れた時の脊髄反射的なものか、医師の言うように認知症が進行しているせいだと思う。国語の教師で「言葉の人」だった父は、言葉を失ってから「吠える」というかたちで症状が出ているのかもしれない。
父を見舞った後はいつもネガティブモードになってしまう母は、前にしたのと同じ話をくどくどと繰り返した。
「去年の5月、家で食事中に倒れて呼吸が停まった時、救急車が来るまでに私が必死で心臓マッサージしたでしょう。後で「助かったのは奥さんの応急処置が良かったからです」って救急隊員の人に言われたけど、あれからお父さん急速に衰えたものね。もう前のお父さんじゃなくなっちゃったものね。私があの時助けてしまったからよね。あそこで死なせてあげれば、お父さんもこんなふうに苦しまなくて済んだのよね‥‥」
そういうことを考えてクヨクヨするのをやめなさい、と私は母に言った。
「お薬増やしたから寝てばっかり。何にも言わない。あんなによく喋る人だったのに。何でもいいから喋ってほしいのに」。55年も父と一緒に暮らした母の辛さは、私にも想像できる。でもあの頃の父はもうどこかに行ってしまって、帰ってくることはないと思う。



うちで一番元気なのは、5歳になる猫だ。毎日のように庭を散歩させているが、時々寝転んでいる老犬に近づき、お腹を見せて転がる。構ってほしいらしい。犬の方はほとんど反応しない。
その様子を見ていたら、父と母の姿がダブった。


 (グーグー‥‥)
 「お父さん、元気かしら元気かしら」
 「こんにちは、お父さん」
 「お母さん来たわよー」
 「ちょっと、こっち見て」
 「どこか痛いとこはなぁい?」
 「ねぇってば」
 「ねぇねぇねぇねぇねぇー」
 「‥‥ふっ。今日も無反応だったわね」



ところで犬は最近、私の顔を見るともがいて立ち上がろうとするようになった。3、4回に1回くらい成功する。少しはリハビリ効果が出ているのであれば嬉しいが、年齢からしても元通りに歩けるようにはならないだろう。
立っている状態を少しでも長くできないかと、体を支える小さい木の台にキャスターをつけた簡単な犬用歩行器を作り、クッションの上に犬の胴体を乗せてずれないようにチューブで括りつけてみた。脚を動かせば前に楽に進めるはずなのだが、犬にとってはどうも具合が良くないようだった。変な車に括りつけられて、カッコ悪くて厭だと思ったのかもしれない。
こんなふうに、自分が犬の介護にことさら時間と手間を費やしているのは、やはり一方に父のことがあるからだ。私は直接父を看ることも意思の疎通を図ることもできない。父は生きているけれども、私の手の届かないところにいる。
その「穴」を、せっせと老犬の面倒を看ることで埋めているような気がする。