昨年夏に、東京の現代アートギャラリーCASHIで開催されて話題を呼んだ「ラッセン展」の関連本『ラッセンとは何だったのか? - 消費とアートを越えた「先」』(フィルムアート社)が、6月26日に刊行されます。
編著者は「ラッセン展」を企画した原田裕規さん。私も論考と鼎談で参加させて頂きました。
大衆的な人気を誇りながら、いまだかつてまともに論じられていないラッセンについての論考集、非常に中身、濃そうです。
フィルムアート社の情報サイトより目次紹介。
はじめに
「ラッセン展」とは
Introduction
クリスチャン・ラッセンの歩み
[Discussion]日本のアートと私たちのクリスチャン・ラッセン 大野左紀子+暮沢剛巳+中ザワヒデキ
Chapter. 1 「ラッセン体験」への招待
クリスチャン・ラッセンの画業と作品──事後的評価と再召還される「ベタ」 原田裕規
美術史にブラックライトを当てること──クリスチャン・ラッセンのブルー 千葉雅也
[Essay]ラッセンノート(再び制作し、書くために) 上田和彦
Chapter. 2 日本社会における受容──美術史の闇を照らすために
「日本の美術に埋め込まれた〈ラッセン〉という外傷」展 大野左紀子
”アウトサイダー”としてのラッセン 斎藤環
ラッセンという過剰さ──美術史は何を書くことができないのか 加島卓
Chapter. 3 「価値」をめぐって──いかにして「見る」べきか?
信用と複製芸術──紙幣としての美術 櫻井拓
〈見世物〉に対するまなざしの行方──ラッセンの日本的受容をめぐって 河原啓子
[Essay]作品分析のアクチュアリティ──ラッセンを見ることの意味 原田裕規
Chapter. 4 二つの世界──サーフィンとアート
クリスチャン・ラッセン、二つの世界のエッジで 石岡良治
ラッセンをイルカから観る──ジョン・C・リリィ再読のための一試論 土屋誠一
[Essay]日本とラッセンをめぐる時空を越えた制度批判の(ドメスティックな)覚書 大山エンリコイサム
Chapter. 5 制度批判を越えた〈新しいつながり〉へ
ラッセンの(事情)聴取 星野太
樹木と草原──「美術」におけるクリスチャン・ラッセンの位置を見定めるための、また、それによって 従来の「美術」観を変更するための予備的考察 北澤憲昭
おわりに
クリスチャン・ラッセン略年譜
参考資料一覧
以下は原田さんの関連ツィートから。
編著『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社)が6月26日に発売されます。執筆者は、斎藤環、北澤憲昭、大野左紀子、千葉雅也、大山エンリコイサム、上田和彦、星野太、中ザワヒデキ、暮沢剛巳、土屋誠一、河原啓子、加島卓、櫻井拓、石岡良治、原田裕規(敬称略)の全15名です。→
— 原田裕規 Yuki Harada (@haradayuki2) June 18, 2013
(承前)昨年8月にキュレーションした「ラッセン展」の問題意識を引き継ぎつつ、展示で触れられなかった問題を盛り込み発展させた、全268頁にわたる本気のラッセン論です。→
— 原田裕規 Yuki Harada (@haradayuki2) June 18, 2013
(承前)今回、15名全員が驚異的な密度でラッセンを論じました。一冊の作家論としても、現代美術論としても、凄まじいクオリティーの論考揃いです。これまでラッセンに関心を持たれていた方はもちろん、「無関心」だと思っていた方にこそ読んでもらいたい。→
— 原田裕規 Yuki Harada (@haradayuki2) June 18, 2013
『ラッセンとは何だったのか?』の売りの一つは、この普通あり得ない組合わせの執筆者陣が可能になった点にあります。詳しくは、本当に、手に取ってじっくりと読んで頂きたい。。デザインは宇平剛史さん。最高の仕事です。http://t.co/cp0IMmZcDe
— 原田裕規 Yuki Harada (@haradayuki2) June 18, 2013
●
というわけで、執筆陣の顔ぶれが凄‥‥こんな中に混ぜてもらっていいのかぇ‥‥という感じですが、私がテキストのみならず冒頭の鼎談にまで顔を出しているのは、他でもなくこのブログで5年ほど前、「ラッセンとは何の恥部だったのか」というテキストを書いていたことに端を発します。
それからこの「ラッセン本」の論考を書くまでの個人的な経緯を、以下に少々。
去年7月の終わり頃、おや面白そうな展覧会が‥‥とネットの「ラッセン展」情報をブクマしていたところに、企画者の原田さんから「是非展覧会を観に来て、テキストを執筆してほしい」というメールを頂きました。当時武蔵野美術大学の4年生だった原田さんは、ラッセン展開催にあたって私のラッセン記事を発見しており、受験時代には拙書『アーティスト症候群』も読んで下さっていた。また偶然と言えば偶然ですが、その約2ヶ月後に刊行されることになっていた『アート・ヒステリー』の中で、ラッセンについてかつての記事とは別の角度からヒロ・ヤマガタとともに触れていて、最終稿が出る頃だった。
そうした諸々が重なり「これは絶対に行かねば」となって上京したのですが、実はその時、老人ホームに入居したばかりの父が誤嚥が原因の肺炎で入院した直後で、東京駅に着いて直行したギャラリーCASHIに足を踏み入れて1分と経たないうちに、「お父さんもう危ないからなるべく早く帰ってきて」との連絡がケータイに。とにかく「ラッセン展」だけ見てそれ以外の用事はすべてキャンセルして名古屋にとんぼ返りしたという、東京滞在最短記録を作ったことでも思い出深い体験でした。
それだけにかなり緊張した中で見た「ラッセン展」は強烈な印象を私の中に残し、なんかいろいろな化学反応が起きて一気に書いたテキスト『「日本の美術に埋め込まれた<ラッセン>という外傷」展』は、私の普段の文章とは少し雰囲気の異なるやや”強め”の感じになったと思います。フィルムアート社の情報サイトで紹介されているサンプルページの最後に、論考の一部が出ております。
ちなみに原田さんは今年、東京藝大の院生になられましたが、ただでさえ慌ただしく過ぎるこの1年余りで、他の企画もいくつか手がけながら、若くしてよくこれだけの執筆者を集めこの本の刊行にこぎ着けたなぁ!(もちろん編集者との共同作業もあるでしょうが)と、その情熱と粘りと実行力に感服しました。
聞くところによりますと、皆さん二つ返事で執筆を快諾したとか。他の人のテキスト、早く読みたいです。
● 追記:Twitterでも話題のようです。
ラッセン - Togetter