見送りの準備

これまでのところ幸運なことに私は、家族やペットなど親密な対象にある日突然死なれたことがない。祖父も祖母もほぼ平均寿命をまっとうして死に、飼い犬も老衰で死んだ。そこまで年老いていない身内の人々は、まだ皆生きている。その中で、今一番確実に死に近づいているのは、老人ホームにいる89歳の父だ。
入居して1年3ヶ月、興奮を押さえる神経系の薬のせいで半年以上前から会話がほぼできなくなり、夏以降は身体機能が徐々に低下していき、この間、医者に「年内でしょう」と言われた。
随分前から「そろそろかもね」という話は時々母としていたので、今更驚くこともない。父の遺言で通常の葬儀はしないので、改めて母と、斎場の一室ですることになっているごく内輪のお別れ会の段取りなどを相談したりする。


「お別れ会の時、親戚の人に見てもらえるようなお父さんのアルバムがあったらいいんでないの?」と夫が言った。家族のアルバムはたくさんあって、何冊も斎場に持っていくのは嫌だと母が言うので、未整理の写真から父が写っているものを選び、新しいアルバムを作ることにした。
写真の入った箱を漁ると、生まれて間もない赤ちゃんの写真が出てきた。大正13年。それからランニングに下駄を履き、白い帽子を被った少年の父。
父は四人兄弟の末っ子で、二人の姉を挟み一番上の兄とは9歳離れている。兄が旧帝大に進学した時、上野の不忍池のほとりで兄弟二人が記念撮影した写真があった。角帽を被り丸眼鏡にマントを羽織った兄は少々カッコをつけて横を向き、旧制中学に入ったばかりの詰め襟の父はカメラの方を見ている。まだ少しあどけない。
自分とはまったく関係ない物語を覗き見るような気分で、私の知らない大昔の父を眺めた。
逓信省の学校に通っていた頃、海軍の制服姿、大学の友人たちと肩を組んだ姿、セーラー服の母を含む教え子たちとニコニコ顔で写っている高校教師になった頃の写真、母と野原でピクニックしているまるで往年の日活映画のスチールみたいな写真、結婚式、赤ん坊の私と両親、赤ん坊の妹と私と両親‥‥。この後頃から、かすかに記憶が蘇ってくる。


アルバムを一冊編集するのに、2時間以上かかった。母が箱の中から適当な写真を探し出すのだが、一枚見つけるたびに「この時、お父さんはね‥‥」と解説し出して止まらないので、作業がなかなか進まない。
途中まで貼り進んでから、「あ、こんなのあった!新婚の頃。お父さん若いわぁ、ほら見てごらん」。書斎の座卓の前で、昔の小説家を気取ったような浴衣姿。雰囲気がどことなく俳優の瑛太に似ている。貼っとくか。また前のページに戻って構成し直し。
私が高校に入ったあたりから、父と一緒に写っている写真は極端に少なくなる。それから大きく飛んで、私と夫と両親、妹と彼女の夫と両親、そして旅行先の父と母。最後のページは教壇に立っていた頃の写真(たぶん卒業アルバムに掲載するために撮影されたもの)で構成した。
母は「やれやれ、これでいいわ。いいのができたわ」と、一安心した顔を見せた。


帰宅してから、今度は父の肖像画に取りかかった。写真代わりに部屋に飾っておきたいので、元気な頃の写真を見て絵を描いてほしいと、前から母に頼まれていたもの。そろそろやらないと。父が死んでからはあまりやりたくない。
70歳を少し過ぎた頃、非常勤で行っていた私立高校の屋外で誰かが撮ってくれたらしい、手札サイズのカラー写真に映った縦横数センチくらいの顔を、F6サイズの画用紙にひたすら鉛筆で写し取りつつ、適宜抑揚を加味していく。*1


学生に指導する以外、絵など描くのは久しぶりだったが、やり始めたら結構楽しかった。ちょっとまだ似てないな、まだだなーと思いながらあれこれやっていって、ある時点から突然、嘘のように似てくるのが面白い。軽く着彩しようと思っていたが、デッサンに熱中し過ぎてそのタイミングを逸し、モノクロの似顔絵になった。所要時間4時間ほど。
近くの画材店に持っていって、額装してもらった。白木のフレームと薄いグレーのマットで、地味なデッサンもまあそれなりな感じになった。
「こうやって額に入れると、どっかの芸術家の方が描いたみたいに見えますねえ」と、お店の人がお世辞を言った。冷や汗を掻きながら「どうも」と曖昧に笑う。


久々に集中したせいで、似方がちょっと気持ち悪いレベルになっちゃったかもと思いつつ、実家に絵を持っていった。
案の定、母は一目見るなり口に手を当てて「お父さんだ‥‥お父さんだ‥‥」と言いながら泣き出してしまった。この一年余り、急速に衰えてかつての雰囲気をすっかり失った父を見続けてきた母には、突然20年近く前の元気な父が現れたように感じてショックだったようだ。
「ごめんね、そっくりにしないといかんと思って」
「お父さんが私のこと見てる‥‥ほら、ここから見ても、私のこと見て笑ってる‥‥」
大丈夫だろうか、この人。


しばらくしてやっと興奮が収まった母は、「最近、家の中で話し相手がいないのがほんとに淋しくなってきて、あの仏像(父が昔買った怪しい骨董品)に「おはよう」とか「今日はいい天気よ、お父さん」って話しかけてたんだけど、これから毎日この絵に話しかけるわ、これお父さんだし」と言った。
仏像も絵も「お父さん」と思い込めば「お父さん」になるわけだが、まだ本人を描いた絵の方が感情移入しやすいだろう。
「それにこれなら、お別れ会の時に飾ってもいいわね。写真より雰囲気が出てるし」
制作をやめた自分の持ち腐れの技術が、こんなプライベートなところで役立つとは思わなかったと同時に、本物そっくりと感じさせることが一般の人をいかに引き付けるかを、目の当たりにした。そりゃラッセンも人気があるはずだ。


今日、父を訪ねた。「もうあまり時間もないので、家族の呼びかけに少しは応答できるように」という看護士さんの口添えもあり、つい最近、神経系の薬を大幅に減らしてもらっている。父はいつものように、ベッドでぐっすり眠っていた。耳元で何度も話しかけたが、起きなかった。まだ前の薬の影響が残っているようだ。
最後に「お父さん、私は誰?」と大きな声で聞いてみた。父はぎゅっと目を閉じたまま、「だれ、さきちゃん」と言った。半年以上完全に絶えていたコミュニケーションが、一瞬だけ復活した。


コミュニケーションが復活する一方で、アルバムを作り肖像画を描き、やがて来る見送りの準備を整えている。そうした行為自体がことさら、父の死を呼び寄せているようにも思えてくる。
「いや、逆。そういうことやっとくと、なかなか死なないもんだ」と夫は言うが、本当だろうか。


 この歳だとさすがに瑛太の面影はない。

*1:画像を鉛筆画風にするお絵描きソフトがあるらしいが、何となくのっぺりした感じになる。ただ、写真を見て描いたものは、やはり実物を見て描いて出てくる生々しさには欠ける。どれだけ演出してもどことなく固いというか、リアリティの質が違う。止まった時間と流れている時間の違いが絵に出るのかもしれない。