正月の家族

正月二日、藤沢に住む二十歳の姪(妹の娘)から電話がかかってきた。新年の挨拶を済ませて彼女が言うことには、「着物を着て写真を撮ってもらうんで、今、パパのうち(姪の父親の実家)に来た。昨日、おばあちゃん(私の母)には電話で、着物姿見せに行くねって言っといたんだけど、なんかさっき会えないって言ってるって‥‥」。
着物というのは、私が若い頃に義母に作ってもらってほとんど着ないままだったのを、去年の姪の誕生日にドサッと送ってあげた内の一枚を持ってきたのかもしれない。あるいは、彼女の父親の家はかつて写真スタジオを営んでおり、貸衣装などもまだたくさんあるので、それを借りるのかも。私も姪の着物姿は見たかったが、その日は来客があって名古屋まで行く時間が取れなかった。
いずれにしても、姪がその日名古屋に来ることは母から知らされてないし、事情がよくわからないので、「おかあさん‥‥おばあちゃんに電話してみるから、また後でね」と言って電話を切った。私は子どもがいないので、自分の母を孫目線で「おばあちゃん」と呼ぶのに慣れていない。


実家に電話したが母は出なかった。よく午前中に老人ホームの父を見舞うので、たぶんそっちに行っているのだろう。母は携帯を持っていないから、こういう時困る。「そんなものいらない」と固辞されてきたが、いい加減持たせないといけない。
老人ホームに電話して聞いてみると、「お見えになってましたが、もう帰られました」。再度姪に電話し、「おばあちゃん、おじいちゃんとこ行ってたみたい。暮れから少し体調崩してたし、今微妙な時期だから、もうちょっと後で一回電話してダメっぽかったら無理に行かない方がいいよ」と言っておいた。
昼過ぎに、やっと母と繋がった。第一声から長い話になる予感がする。
「あなただって忙しいだろうからもう知らせなかったのよ、Kちゃん(姪)が来ることは。あの子も急なのよ、こっちの都合も聞かないでいきなり。着物着たとこは後で写真で見せてもらうから、わざわざ来なくてもいいんだよって昨日言ったのに、伝わってないわね。こっちはお父さんがいつ死ぬかって時でしょ。朝から晩まで落ち着かないでいるのに、何時に到着するかもわからない孫をじっと待ってられないじゃない。その間にお父さん死んじゃったらそれどころじゃなくなるわけだし。そんなねぇ、孫の晴れ着姿見て楽しむ気分じゃないのよ今は。わからないのかねぇ、そういうことが」


前日の段階では、「どうしてもおばあちゃんに着物見せたいから行く」と、飛んできそうな勢いで言い募る姪に押されて、はっきり「来るな」とは言えなかったらしい。それで母は、翌朝姪が名古屋に到着する前に姪の父親の実家に行き、「いろいろ御世話になります。夫がこういう状況なのでKにはうちに来なくていいとお伝えください」と、手土産に五万円添えて置いてきたという。
「五万円も!そこまでする必要あるの?」と思わず言った。
「だってねえ、孫娘のそういう支度は女親の家がするものだって言うわよ。このあたりだって、お嫁に行った娘さんのお孫さんの成人式の着物やなんかで、二百万使ったって話聞いたわ。うちはそこまでできないけど、あちらのうちの着物を着せてもらったとしたって、スタジオはもうやってなくて近くの写真館に撮りに行くっていうんだから、やっぱりお金もかかるでしょう」
ひぇーめんどくせー。


というか。孫娘の成人式の支度は母親の家がするのが常識なのですか(尾張の風習?)、着物は自前として写真代はそこまで掛からないでしょう、それよりもお金など出したらまるで「”うちの”孫娘が他所様にご面倒かけます」と言ってるように相手方に思われませんか、そもそもそういうことは姪の母親である妹と夫実家の間ですればいい話ではないでしょうか、それとも母親の実家というものはそのくらい娘婿の実家に対して気を遣わないといけないものなのでしょうか‥‥と、俄に小町脳になってごちゃごちゃ考えている間にも母は話し続け、
「あちらのお宅に行ってピンポンしたら、最初にNさん(姪の父親)が出てきたのよ。Y子(妹・Nさんの妻)は体調安定しないから、年末年始は一人で帰郷されてたみたい。私が突然玄関に立っていたからすごくびっくりされて「ずっとご無沙汰してまして‥‥」って頭下げられてるうちに、向こうのお母さんが出て来て喋り出したもんだからNさんそのまま奥に引っ込んじゃって、私もタクシー待たせていたからすぐおいとましたけど、なんだか間が悪かったみたいな感じだったわね」
「ああねぇ‥‥」


Nさんは妹と結婚して数年経った頃、私の父から、人のプライドを無造作にへし折るような非常に心ない言葉を投げかけられて以来、私の実家には一切寄り付かなくなっている。その後母とは数回電話で普通に喋ったらしいが、父がこういう状態になってからも「お父さんいかがですか」とは聞いてこない。もちろん父の見舞いにも来ていない。
昔、父の暴言があったことを知らなかった私はNさんに対し、「妻の父親がいつ死ぬかわからないまま1年以上老人ホームにいるんだから、一度くらい見舞いに来てくれたっていいのに」と思っていた。しかし過去の話を母から聞き、どこから見ても常識人で真面目なNさんの冷たい態度の理由を知った。「Nさん、ちょっと水臭いだろ」と言っていた夫も、「ひでえ。んなこと言われたら、俺なんかもう二度と顔見たくないと思うわ。そりゃ来ないのは仕方ない」と漏らした。
歯に衣着せない高圧的な物言いをする父は、私の夫とも折り合いが悪く、夫は父を嫌って実家には長年行きたがらなかった。5年前、父が心臓の手術をする際に、母を頼めなかったので夫と私が付き添ったのをきっかけに、やっと夫も実家に顔を出すようになり、今は父の見舞いにも行っている。比較的近くに住んでいるからそういう「雪解け」のチャンスをつかめただけで、そうでなかったらNさんと同じく無視で通しているだろう。


父の困ったところは、まったく悪意なく(むしろ善意から)暴言を吐くところだ。父にとっては自分が常に「正義」であり、自分の周囲の人は自分の意見を傾聴して当たり前なのだ。少しでも批判的態度を取ると、みるみる機嫌を損ね時には怒号で人を威嚇する。私はそういう父に溺愛されて育ったが、思春期は父への愛情と怖れや反発心の間で酷く引き裂かれた。
半分「長男」のように育てられた私から見ても、義理の父親と娘婿の関係にはなかなか微妙なものがあるのように感じられる。基本的には敵対する間柄でマナーなり配慮なりでそれを覆い隠すが、一旦こじれたら実の親子以上に修復は非常に難しいのではないかと、夫たちを見ていて思う。
ちなみに、Nさんへの父の暴言を直接知らず、Nさんのお母さんから後で電話で聞かされた母は、手土産をもってNさん実家に謝りに行ったそうだ。父の尻拭いはいつも母がしてきた。そのことを父は知らない。
父に逆らえずに尽くしてきた私の母に、夫はかなり同情的だ。父の厄介な面を見せつけられて厭な思いをしたことがあるから、余計にそうなる。たぶんNさんも、夫と同じような目でうちの母を見ているのではないかと思う。


その午後、姪から母に電話があった。「Kちゃんに会いたくないわけじゃないのよ。でもねぇ(略」という母の言葉に姪も素直に同意して、こちらの実家には寄らないまま帰ったらしい。
姪は幼い頃、母親(妹)が大病して2ヶ月ほど入院した時に、私の実家が預かっていた。母親と引き離された2歳児の孫のお守りをするのはものすごく大変だったが、母も父も手を尽くして面倒を見、可愛がったので、姪にとっては私の実家が第二のうちのようになっている。小学校に上がる頃までは、夏休みはいつもうちの実家で過ごしていた。
だから、初の着物姿をどうしてもおばあちゃんに見せたかったという姪の気持ちも、わからないではない。おじいちゃんがそんな状態でおばあちゃんは沈んでいるから、自分が元気づけたいという思いもあったのかもしれない。
少なくとも姪の中では、自分が母実家で歓待を受けない可能性があるという想像はできなかっただろう。それもまあ仕方がないと思う。


「やっぱりその年頃は、自分の思いが先行しがちだからね」
「そうね。でもいくら身内でも、訪問しようと思ったらもっと前に相手の都合を訊かなきゃいけないと思うの。前日になって「行くから!」って言われて「何時頃?」って聞いても「わかんない」じゃねえ。そういうことは娘にはちゃんと躾けてきたつもりだったんだけど、Y子はどう思ってるのかしら。電話しても全然出ないし」
妹は大病の影響が尾を引いて体調にかなりムラがあり、長時間の外出が気軽にできない状態で生活している。酷い時は電話にも出られないし、メールの返事も返せない。たぶん今そういう状況なんじゃないの、と私は母に言った。


その夜、妹から母のところに電話があったらしい。母によれば、
「Kがわがまま言ったみたいですみませんって。私からもよく言い聞かせておいたからって言ってたわ。それとなんだかNさんがね、着物着たKと一緒にこっち来て、それから三人でお父さんのお見舞いに行くつもりだったらしいのよ。Nさんがそう言ってたんだって。それならそうと、一番最初に言ってくれればよかったのにねぇ」
あ、それは嘘だなと直感的に思った。Nさんは帰郷しても今更父の見舞いに行きたくはなかったと思う。もしそのつもりだったら、あらかじめ年末にでも母に電話してアポイントメントを取るか、少なくとも母が来た時にそう言えたはずだ。そのつもりはないところにばったり母と顔を合わせてしまい、前々から多少義理を欠いているかなという気持ちはあったので、後で妻に電話して「こういうつもりだったけど」と伝えておいてくれと頼んだのではないだろうか‥‥そう私は思った。
「違う可能性もある」と夫が言った。「Yちゃんが勝手に話を作ったのかもしれん。あのまんまじゃちょっと旦那の立場がないだろ。自分としてもこりゃまずかったなと思ったんじゃないか」。夫をフォローし母の気持ちを和らげるために、妹が咄嗟に話を創作したのではないかと。妹の立場を考えるとそれもあるかもしれない。わからない。


母と妹の間には過去何年にも渡って、同じ専業主婦の母娘ゆえの確執があった(その遠因は父にあったが、長くなり過ぎるので省く)。二人の冷戦に私も巻き込まれ、一時期は両方から互いの苦情を延々聞かされたり泣かれたりで仲裁に手を焼いた。母は妹のわがままを詰り、妹は優しかった母の思いがけない厳しい態度に怯えて、実家に来れなくなっていた。
妹と私の長電話のやりとりを見かねて、夫が「だいたい親にとっては長女より下の子の方が可愛いもんなんだよ。子どもの頃から、あんたの方がねえちゃんより可愛がられたでしょ。だからあんたもたまにはお母さんに電話してやりなさいよ、用事がなくても。それで安心するんだから」となんかピントのずれた説教をして、ますます事態をややこしくしたりしていた。
最近二人のわだかまりがやっと解けて、妹は昨夏以降、藤沢から三回も父の見舞いに来てくれ、母も妹の変貌ぶりを喜んでいた。だから妹としては、母との間に今更イザコザの原因になるものは作りたくないはずだ。


「おばあちゃん」の喜ぶ顔が見たかった姪。いろんな人に気を遣いながら超デリケートになっている母。Nさんのたぶん複雑な心中と妹の立場。母の気疲れを心配しつつあれこれ推測を巡らす夫と私。
誰もが当面の相手のことを考えつつも、自分のことも少しは思いやってほしいと思っている。思いを全部吐き出してしまえばスッキリするだろうが、相手の気持ちもなんとなくわかるから、それをしないで押さえている。
家族の裡に隠されたさまざまな感情が、交錯しながらすれ違った正月のある日。
その中心にいるのは、父だ。父だけが何も知らず、もう知ることもなく、今日も昏々と眠っている。