新書『高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか?』発売のお知らせ

以前にお知らせした新書が、18日(火) 発売になります(北海道、九州は19日)。
監修は『高学歴ワーキングプア フリーター生産工場としての大学院』(光文社新書、2007)の著者の水月昭道。著者は大理奈穂子、栗田隆子大野左紀子水月昭道。『高学歴ワーキングプア』において扱われていなかった性差の問題に焦点を当てたものです。

タイトルに「貧困」という言葉が入っていますが、経済問題だけではなく、心理的問題にもかなり踏み込んでいます。そういう意味で当初は、「高学歴女子のゆううつ」というタイトル案が共著者たちによって支持されていましたが、やはり「貧困」の方が目を引くのではという出版社側の意向もあり、このタイトルになりました。


以下は、帯の惹句、カバー扉から紹介文抜粋、目次です。

女は女というだけで
貧乏になる──
見えにくい実態を明らかに。


女性を貧困に追いやる社会構造のなかで、教育、キャリア、結婚、子育てをどう考えればいいのか? 専業主婦を目指すのがもっとも賢い選択なのか? 当事者が自らの境遇と客観的なデータをもとに実態をあぶり出す。娘をもつ親子さんも必読!

現代日本社会のなかに厳然として横たわる、「男/女」という性差にまつわる一筋縄ではいかない社会問題。
本書は、そこへアプローチし、当事者の本音や立場、そして女子をめぐる日本社会の暗黙の壁や制度上の問題点を浮び上がらせることにトライした。
本書が「女子と学歴、そして人生との関わり」について、新たな視点を提示する一冊となっていれば幸いである。

はじめに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥水月昭道      
第一章 どうして女性は高学歴でも貧困なのか
      二人の高学歴女子をめぐる現状‥‥‥‥‥‥‥‥‥大理奈穂子 栗田隆子 水月昭道
第二章 なぜ、女性の貧困は男性の貧困より深刻化しやすいのか?‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥大理奈穂子
第三章 結局、女子の高学歴化は、彼女たちと社会に何をもたらしたのか?‥‥‥‥水月昭道
第四章 女なら誰だって女というだけで貧乏になるのだ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥栗田隆子
第五章 「アート系高学歴女子」のなれの果てとして、半生を顧みる‥‥‥‥‥‥‥‥‥大野左紀子
あとがき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥大理奈穂子


”リケジョ”が注目され出した一方、ごく一部の成功例を除けば、学歴の生かし場所の見つかりにくい人文系高学歴女子。研究者という枠の中で隠然たる性差別にぶつかって忸怩たる思いを抱え、世間並みの「普通」を娘に夢みる親との葛藤に悩み、バイトに追われて研究時間の確保に苦しみ、生活苦に追いつめられ‥‥‥。そりゃ憂鬱も怒りもルサンチマンも溜まるというもの。
ではどういった対策が必要なのか? 女性が学歴を通じて「幸せ」を求めることが間違っているのか? そもそも「幸せ」ってなに? 
──などなど、「女子と学問と幸せ」をめぐり、広範な問いを(あるいは疑義や物議を)誘発する一冊です。「低学歴女子の貧困は?」「女性全体の問題では?」という議論にも繋がることと思います。
ジェンダー、貧困、教育、学歴、大学という制度、非正規労働者、そして女性研究者の生活の現実などに関心のあるすべての人にお勧めします。


2/27追記
売れ行き好調につき、重版がかかったそうです。累計13000部になります。買って下さった皆様、ありがとうございます。



(ここから個人的な話)
このブログ及び私の本の読者にとっては、大野が共著に名を連ねていることに違和感をもつ人もいるかと思うので、経緯を書いておきます。


編集者からのオファーを軽く引き受けた後で、「でも私、あまり高学歴とは言えないよ‥‥有名大学でも学部卒だし」と、やや心配になった。大理さんも栗田さんも(もちろん水月さんも)博士である。
「それにアート系って昔から、男女問わず貧乏がデフォルトだし」。たとえば東京藝大ファインアート系(油画、日本画、彫刻、先端表現)の就職率の低さは目を覆うばかりだ。
「でもって、経済的にはかなり夫に助けてもらってきたし」。仕事上は安定していないがいわゆる貧困を体験したことがない。
さらに大理さんと栗田さんはそれぞれ研究者、アクティヴィストとして活動しているバリバリのフェミニストだが、私ときたら‥‥(ry
そんな中途半端な者が、こういう本にうかうかと参加していいのかえ?


編集者に聞いてみると、私の参加は大理さんの提案であり、「本全体として見た場合でも、テイストの違う内容が入っていたほうがいいように思う(共通の要素のほうが多いと思っているが)」とのことだった。
それで、提案された論点をある程度押さえつつ、美術方面に進学した経緯、芸大卒業生の進路、自分の制作と生業、結婚生活と経済、就職の失敗、アーティスト廃業とその後の生活など、これまであちこちにばらばらで書いたり、インタビューなどで喋ったりしたことを、個人史としてまとめて書いた。*1
あとがきで大理さんが、(年代が一回り上である)大野の参加によって、高学歴女子の貧困がロスジェネ世代限定的ではないことが証明された、という旨を書いてフォローして下さっている。たしかに私のテキスト全体から、本書のテーマと通じることは十分読み取れると思う。「でもやっぱりちょっと浮いてるかも。あまり”怒り”の感じられないところが‥‥」という感触は残っているけれども。
お読みになった方の率直な感想を聞きたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。



付記
10代半ばから50代半ばまでのこの40年を振り返って原稿を書きながら、自分にとっては大きかった父の存在について、改めて考えた。14歳で「アート系高学歴女子」への道を選択したのには、紛れもなく父の影響があった。父に認められたい気持ちと反発する気持ちが、いつも相半ばして私を引き裂いていた。
文中に父への言及はしばしばあるが、その言葉を端的に「男社会」と言い換えてもいいと思う。父は、なぜ私が大学に”就職”しないのか(できないのか)最後まで理解しなかった。


第一稿を書いていた去年の初秋、老人ホームで寝たきりの父の体は徐々に衰弱の度合いを強めていた。年内だと言われていたのが年を越しずいぶん持ちこたえていたが、先週新書の見本が届いた翌日、小さくなった蝋燭の火が消えるように亡くなった。
この本の第五章を父の霊前に捧げる。

*1:原稿を書いたのが昨秋だったことから出た言葉「今年はじめ」「去年」を、今年に入っての校正でうっかり直さないままになってしまいました。細かいことですが、私がホームヘルパー2級の資格を取ったのは「去年はじめ」、父が老人ホームに入居したのは「一昨年」です。ここに訂正させて頂きます。