美少女は、男にとってはもちろん女にとっても「異性」

Love Piece Club - 美少女はよくてイケメンはダメ!な日本のメディア。AKB総選挙報道から見えるもの。から抜粋。

AKB48の報道を見て腹立たしいのは、いかに男が自分の欲望にだけ寛容かということが伝わってくるから。
自分が「良い」「かわいいっ」って思うものは、世の中も多くの人も同じように思っている、という無邪気なまでの自己肯定感。男性評論家がマジメな顔をしてアイドルを論じ、新聞も雑誌も取り上げる。
いいですよ。きっとアイドルは真面目に評論するに値するものなのでしょう。


では、「イケメン」はどうでしょうか。
「たかがお前(女)の好みだろ」「それが報道すべきことかよ」と切り捨てていませんか?
なぜ、女の欲望だけ、こんなに手厳しいんでしょうか。
AKB48がイヤなんじゃない。自分たちの欲望だけでなく、女性の欲望にも、もっとやさしく、敬意を払ってほしいと言っているだけです。


自分のブコメ

男はいつも「見る側」で「見られる側」に立ち慣れてないから狭量になるのでは/でも美少女好きな女性がいるように、イケメンを愛でたい男性もきっといるよね(ゲイの人だけかな?

について補足的に。

男はいつも「見る側」で「見られる側」に立ち慣れてない

『<美少女>の現代史 「萌え」とキャラクター』でササキバラ・ゴウは、「美少女とは、ひとつのキャラクター」であるとした上で、「見る者の視線を、一定の印象へと誘導するように、形を作り込んである」「見られる存在」である美少女に対し、それを見る男性は「「見られる」側に立たない(客体にならない)」「ただ一方的に「見る」存在」であることによって、「視線としての私」「透明な存在」となる、と述べる。

 それは、現実の女性との関係においても同様です。男性の視線は、女性をキャラクター化します。女性を見て、ある一定の価値観で値踏みして、そこに自分なりのイメージを探し出そうとします。一方、視線を受けてそれを意識した女性は、好むと好まないとにかかわらず、意識してしまった以上それを前提として行動せざるをえません。それは日常の身振りや外観に反映します(あえて反映させないというのも、反映のひとつです)。視線を意識した女性は多かれ少なかれ「キャラクターとしての私」となって、視線の圧力に対処することになります。男性の視線に慣らされ、適応した者は、自然な身振りとしての媚態を身につけ、無意識に男性との共犯関係に入ることになるのです。


「見る者」である男の視線を知らず知らず内面化する「見られる者」、女。「男性の視線に慣らされ、適応」するとは、「社会化される」(精神分析的に言えば「去勢される」)ということだ。社会化(去勢)されなければ生きにくい。まさに、いかに「レリゴー!」が困難かという話。
「女」とは、男が創造した、男という存在を根拠づけるファンタジーだとしよう。それが圧倒的な量で生産されてきた中で、異性愛者の男性が自らの欲望について「無邪気なまでの自己肯定感」を抱くことは、この社会ではある程度は自然な成り行きである。肯定した上で、更にそこに理屈をつけて納得したいから、「真面目に評論する」のだ。
もちろんジャニーズを持ち出すまでもなく、女性がイケメンを楽しむ文化もあり、一方で男性も女性からの視線を意識して振る舞ったり、外観を構ったりはする。が、だからと言って当初の男女の立場の非対称性が消滅したということは、ない。


虚構の世界でも現実でも、基本的に「見る側」で来た多くの男性にとって、自分が女性と同じように「客体」となって一方的に見られる側に立っている状態を、リアルに想像するのは難しいだろう。「主体」の立場を手放したくないがゆえに、イケメンに対する「女性の欲望」に冷淡になる(イケメンへの嫉妬というより、女が主体的な欲望をもつこと自体を恐れる)ということもあるだろう。
他方、女性は現実で、好むと好まざるとに関わらず「見られる側」であることを日常的に思い知らされている。だから女性がイケメンを愛でたり、そういう文化を享受するということは、現実における客体としての屈託を忘れ、主体側に立つという「立場の転換」を意味する。男性にこの捻れはない。

美少女好きな女性がいるように、イケメンを愛でたい男性もきっといる

元記事では、美少女に向けられる欲望=「男性の欲望」、イケメンに向けられる欲望=「女性の欲望」という図式が自明のものとなっていた。私が上に書いたこともそれを前提としているが、現実には、この図式はそれほど固定的なものではない。つまり異性愛者でも、美しい同性のアイドルやスターに憧れや欲望の視線を向けることは普通にある。
ただ私が不思議なのは、美少女を愛でるのが好きだったり、アイドルの少女たちを追いかけている一般の女性は結構いるのに、イケメンに夢中な異性愛者の男性をあまり見ないということだ。AKB48のコンサート会場には女子もいると思うが、ジャニーズの場合どうなのか。ノンケのジャニヲタ男子って、相当希少な存在ではないだろうか。
‥‥と気になって「ジャニヲタ、男」でぐぐってみたら、2ちゃんねる男のジャニヲタをお前らどうおもうというのがあった。この人は、わざわざ「ホモではない」と断っている。本当に男性の発言かどうかは確かめようもないが、ブログやtwitter検索でもちらほら見られたので、イケメン(アイドル)好きな男性も少数ながらいると。


以下の発言が興味深かった。

62 :ユー&名無しネ:2014/05/28(水) 11:17:50.80 id:n86bWan/0
そういえば学生時代オネエじゃない(DQN系)ジャニオタ男子居たな
「女は女の芸能人可愛いって言ってもいいのになんで男がジャニーズかっこいいから好きって言ったらだめなんだよ」って愚痴ってた
そいつのこと茶化す奴も居たけどそういう奴はだいたい男で女はジャニオタ男子に何も言ってなかった

ここには別の男女非対称が‥‥‥。

65 :ユー&名無しネ:2014/05/29(木) 16:46:02.71 id:Vmz5o0sM0
SMAPファン歴14年
コンに参加するのはSMAPだけですがジャニーズは基本好き
俺がジャニーズ好きな理由としては楽曲とパフォーマンスの良さ
成長過程を楽しめるアイドル特有の楽しみ方もある
アイドル好きならAKBやももクロにハマればいいじゃんって話になるが
女性アイドルはどうしても邪念(性的に見てしまう)が入って純粋に楽しめない

ということはどっちかというと、地元のサッカーチームを応援する気持ちに近いのだろうか。異性愛者の男性の中には、同性をなんとなく「性的に見て」いる場面があっても、そのことを封印して意識化させないような働きがあるのかもしれない。


元記事でも触れられていた雑誌『ユリイカ』9月増刊号(7月中旬発売予定)の特集「 イケメン ・ スタディーズ (仮)」。これはなかなか面白そう。

特撮ヒーローから舞台俳優、K-POPや読者モデル、佐川男子に草食系、そしてジャニーズといまやとどまるところを知らない「イケメン」の広がりをどう捉えるのか。古代ギリシャ少年愛から世阿弥の「時分の花」、ボードレールのダンディを経て、メディアに現れる男性の理想像のいまを見極める。目次予定*【巻頭言】千葉雅也【徹底討議】千葉雅也+星野太+柴田英里【インタビュー】高杉真宙(『仮面ライダー鎧武』、仮面ライダー龍玄役)/小野賢章(『黒子のバスケ』、黒子テツヤ役)/坂口健太郎(『メンズノンノ』専属モデル)/國島直希(第26回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストグランプリ)/阿久津愼太郎(『弱くても勝てます』、伊勢田秀人役)・・・その他、気鋭執筆陣による論考多数掲載!!

http://books.rakuten.co.jp/rb/12817042/



女の私は、美少女や美しい女性にとても惹かれる。自分とは「異なる者」への憧れ。それはほとんど、手の届かない異性への恋愛感情に似ている。
そもそも「女」とは男の妄想の産物だったのだから、それを内面化した私、つまり社会化され男性化した私が、美少女に恋をするのは不思議ではない。というか、美少女に比べたらイケメンなんかむしろ同性に近い。
男性にとっても女性にとっても、「女」は謎に満ちた「異なる者」=「異性」だ。
というわけで、女が(男をさしおいて)女を愛し救おうとする「アナ雪」は、多くの男性にとってはなんだか釈然としない「想像外」の話、女性にとっては究極の「異性愛物語」なのだ。*1

*1:そう言えば、twitterで「イケメン・スタディーズ(仮)」というタイトルに忌避感を表明していた東浩紀は、「アナ雪」のクリストフの扱いについて疑義を呈していたはず‥‥。ある意味一貫しているというか。