WEB連載、更新されました。今回は「踏み台にされる女」。

映画エッセイ「あなたたちはあちら、わたしはこちら」第三回がアップされました*1
今回は、往年のハリウッド映画の傑作中の傑作、『イヴの総て』(1950)。個人的に私のAll time best 10のうちの一本です。未見の方は是非とも!! テキストを読んでから観ても全然OKです。


イラストは冒頭のシーンから切り取りました、ベテラン女優マーゴ・チャニングを演じたベティ・デイヴィスのご尊顔。バックは、花模様の壁の表面に、マーゴを踏み台にしてのし上がるイヴ・ハリントンの射るような目が点々と‥‥‥というスリラー風味に仕上げてみました(画像をクリックしますと大きくすることができます)。
この壁紙模様、モノクロ映画なので色は私の創作ですが、イヴがマーゴの役をもぎ取るため劇作家夫人のカレンに脅しをかける、レストランのパウダールームの壁を参考にしています。大変恐ろしい場面ですね。


イヴを演じたアン・バクスターは当時27歳、いい汚れっぷりです。一方マーゴ役のベティ・デイヴィスは42歳で、既にオスカーを二度も獲得していた大御所でした。映画と現実が半ば重なり合っているように思えることも相俟って、女優たちの演技に鳥肌が立ちます。
ただこの物語の中では、「役」を巡り二人が直接対峙して火花を散らす場面はありません。そこがこの「女の闘い」の複雑にして面白いところです。若き日のマリリン・モンローが、文字通りの新進女優の役で顔を見せているのも、いいアクセントになってます。


当初、『ワーキング・ガール』(1988)との比較も書いていたのですが、かなり冗長になるのと、『ワーキング・ガール』の女二人は共に30歳という設定なので、この連載のテーマである「中年以上の女性」に含めるには若過ぎるということもあってボツにしました。
その部分を、イラスト付きで以下に掲載しておきます。



イヴの総て』は何度もリメイクされているが、私が思い出すのは、リメイク作品ではないものの「のし上がる女」と「踏み台にされる女」の対比が鮮やかな『ワーキング・ガール』(1988)である。


ニューヨークという都市のイメージも「女性の社会進出」という言葉もキラキラと輝いていた80年代後半、ウォール街を舞台に学歴もキャリアもないが勉強熱心で向上心の強いテス(メラニー・グリフィス)が、女性上司キャサリンシガニー・ウィーバー)の秘書の地位に甘んじずに頑張った結果、キャサリンを出し抜き、最後に高いポストも恋も手に入れるというロマンチック・コメディ。
当時かなりヒットして日本でも話題になり、アカデミー歌曲賞を穫った主題歌が高嶋政伸主演のTVドラマ『HOTEL』で使われていたのを覚えている。


設定は似ているがまったく毛色の異なるこの映画がなぜすぐ浮んだかと言えば、まず同ポジションの役柄を演じる俳優の顔立ちや雰囲気に共通項があるからだ。


 
アン・バクスター(イヴ)と、メラニー・グリフィス(テス)↑今いち似てなかったので描き直した。
ショートヘアで首が短め、顎と鼻に丸みのあるキュートな美人。


 
ベティ・デイヴィス(マーゴ)と、シガニー・ウィーバー(キャサリン)。
セミロングヘアでギョロ目、鼻筋が薄くオトナっぽい雰囲気。


 
マーゴの恋人役のゲイリー・メリル(ビル)と、ハリソン・フォード(ジャック)。
面長で口が大きく、どことなく犬っぽい顔つき。


また、イヴが鏡の前でマーゴの舞台衣装を自分に当てがい、喝采に応えるジェスチャーを真似しているシーンは、テスがキャサリンの留守中に彼女の吹き込んだスピーチを聞いて口調を真似たり、ハイブランドのドレスや毛皮のコートを借りまくるというシーンに対応している。
ワーキング・ガール』の配役や脚本の細部は、『イヴの総て』を意識していたのではないかと思う。


ワーキングガール』が『イヴの総て』と決定的に異なるのは、「踏み台にされる女」が「のし上がる女」のアイデアを黙って自分のものにするという、重大な失点を犯している点だ。だから後者の反撃(テスはキャサリンの留守中、その役職に就いているふりをして奪われた仕事をモノにする)と、紆余曲折の後の勝利がカタルシスとなる。
持たざる下の者がガッツと知恵で奢れる上の者を凌いでいくという、胸のすくような逆転劇。二人が30歳という同い年の設定(実際にはシガニー・ウィーバーが8歳年長)であることも、この展開に説得力を与えている。


また「イヴ」においては、マーゴの年下の恋人ビルが最後までマーゴを裏切らないのに対し、キャサリンの恋人だったジャックはさっさとテスに乗り換える。『ワーキング・ガール』が「女の出世」を描いている以上、テスの相手は、彼女の仕事ヘの情熱に理解を示さず浮気をしてしまうようなマッチョタイプのミック(アレック・ボールドウィン)ではやはり拙いのだ。
さらに、「イヴ」の名ラストシーンが、ドラマに没入していた観る者の目をメタ的地点へと引き上げ深い感慨を誘うのに対し、『ワーキング・ガール』はヒロインが辛くも勝利を掴むところで終了するので、予定調和と思いつつも晴れやかな気分で見終えることができる。


それだけにこの作品の人物造形は、酷薄なまでに二人の女性のキャラと立ち位置を抉り出していく『イヴの総て』と比べると、かなり単純化されていると言えよう。
努力家で勇気がありしかも可愛げもあるヒロインのテスに対し、超エリートのキャリアウーマンを絵に描いたようなキャサリンは、一見颯爽としてカッコ良く見えるもののその「上から目線」が鼻に付いてくるし、後半は状況が見えていない滑稽さを曝け出す。
大先輩格でありながらポッと出の女優に出し抜かれてしまう『イヴの総て』のマーゴの、複雑な心情の経過をじっくり味わった目で、改めて『ワーキング・ガール』を鑑賞してみると、最後でいきなり仕事上の信用のみならず恋人まで失うキャサリンの道化的役回りは、シガニー・ウィーバーの好演のお陰で笑えるが、ちょっと無惨だ。


ちなみに、その後の女優たちのキャリアにおいては、「踏み台にされる女」が「のし上がる女」を圧倒しているのも興味深い。
アン・バクスターは「イヴ」が事実上の代表作となったが、ベティ・デイヴィスは50代で主演した『何がジェーンに起こったか?』で鬼気迫る凄まじい演技を見せて復活し、80歳過ぎまでカメラの前に立っている。1987年にリリアン・ギッシュと“老々共演”した『八月の鯨』も話題になった。
一方メラニー・グリフィスは『ワーキング・ガール』がピークで、以前からの酒・薬物依存に苦しみ度重なる整形手術で外見が激変してしまったが、シガニー・ウィーバーは「エイリアン」シリーズでリプリーという「闘う女」を強く印象づけ、以降も順調にキャリアを重ねていった。
10年くらい前だが、トーク番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』に登場した彼女を見たことがある。若い頃と変わらぬ引き締まった体にダークブルーの超シンプルなニットとゆったりしたパンツ、しかもノーアクセサリーで、自らをコントロールする強い意志と知性が匂ってくるようだった。

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