葬式ビジネス

6月末に義母が急死し、仏式の葬儀を上げた。初七日を葬儀の日に行い、翌週から七日ごとにお坊さんが来てお経を上げている。夫の実家にいるのは義父一人なので、いつも私が同席する。
毎回、お経の本を手渡され、「はい、では11ページを開いて下さい。3回繰返します」「次、15ページです」とお坊さんが言うのに従って般若心経を唱えるのにも、だいぶん慣れてきた。


それはいいのだけれど、この1ヶ月、些細だがちょっと面倒くさい問題が持ち上がっている。
自分や夫の葬儀をきっちりやってほしいと思っていたらしい義母は、近くの葬儀会社の会員になっていた。そこに段取り等を相談して、どこのお寺に頼むかという話になった時のこと。義父の家は浄土真宗
「このあたりは浄土真宗のお寺は少ないし、いろいろと細かいことが面倒なので、わりと融通の利く臨済宗ではどうか」と葬儀会社の人に言われて、義父は(妻の実家は臨済宗だし)「まあいいか」と承諾した。その日の朝に妻が亡くなったばかりということもあり、あれこれ考える余裕もなかった。まして夫や私にしてみれば、物事が滞りなく運んでくれれば何でもいい。
その上で、「特にご希望がなければ」と、あるお寺(A寺とする)を紹介された。「お布施も常識的な額でいいですし、住職さんもあまり難しいことは言われない方ですので」。


実は、義両親は既に9年ほど前、近くの寺(B寺とする)が「宗派を問わない」という条件で売り出した墓地を買って、自分たちの墓を作っていた。義父はこういうことにはあまり頓着しない質なのだが、義母が何でもきちんとしておきたい人だったのだ。そこに毎年2万円ほど管理費を払っているという。
このB寺に頼んでも良かったのだが、義母が一昨年だかに住職さんと電話で言い争いをしてしまい、「あんなところにお墓を買うんでなかった」などとこぼしていたらしい。それで、義父はなんとなくB寺に頼みづらかったこともあって、葬儀会社の言うA寺の方に決めた。
別にB寺の檀家になっているわけでもなく、墓地を買っただけだから、別の寺のお坊さんに頼んでも構わないだろうということもあった。葬儀会社の人も「どちらも禅宗ですし問題ないでしょう」と言った。


四十九日がお盆にかかるのと単身赴任をしている夫の仕事の関係で、三十五日に法要を行うことになった。そして四十二日と四十九日のお経はなしで、今年初盆をするということに。
葬儀会社の人が言っていた通り、A寺から来たのは話の早いさばけた感じのお坊さんだったので、私も夫も安心した。「あの人にずっと頼めばいいな」と夫は言った。
義父は少しほっとしたのか、B寺と義母の確執について、A寺の住職さんに漏らした。「うちは来年本堂を建て替えることになっていまして、もしもあれでしたら、墓地も優先的にお宅の分をとっときますので」と、住職さんはニコニコしながら言った。なんならうちに引っ越してきなさいということだ。この人遣り手だと思った。


納骨は百か日にすることになった。B寺の敷地に既に立っている墓石に、戒名を刻んでもらわねばならない。その墓石屋さんはB寺の紹介だったので、義父は仕方なくそこの住職さんに連絡をした。
義母と喧嘩をしていたという住職さんは、別に変なわだかまりもなく、義父によれば「ただはっきりものを言うってだけで、親切な人だ」ということだった。義母も勝ち気なので、何かつまらない言葉の行き違いがあったのだろうと。
これまでのいきさつを話すとB寺の住職さんは、「納骨はうちにやらしてもらえないか」と言い出した。法要までは既に依頼してあるA寺にやってもらっていいが、そのあとは是非うちがと。また、「三十五日法要でも四十九日まではお経を上げるもの」とも。義父は困ってしまった。


「どうしたもんかな」と義父は私に言った。「これからのことを考えると、やっぱり納骨からはB寺に頼んだ方がいいかな。そうすると、A寺を断らにゃならんわな」。
私に妙案があるわけでもない。葬儀会社に相談すると「A寺さんにそうやってお話すれば、納得してくれると思います」とのことで、義父は「申し訳ないが、納骨以降はB寺にやってもらうことになったので」とA寺さんに話し、やっと了解してもらった。
それから「四十九日までやりたい」ということを申し出、それは引き続きA寺の住職さんに来て頂くことになった。やっぱりちゃんと四十九日の日までお経を上げてやらないと、義母が極楽に行けないと義父は思ったらしい。まあそれは、義父の納得のいくようにしてくれればいい。


ところが、B寺はB寺で、「A寺さんがしないのなら、三十五日の後のお経はうちがしてあげます」と言ってきた。
一度、A寺の住職さんから多忙を理由に時間の変更希望があったのを、義父はあまり快く思っていなかったのだが、B寺の住職さんは「近いからいつでもご希望の時間に行ってあげますよ」とのことだった。お盆のお施餓鬼料も、B寺の提示額の方がA寺よりかなり安い。親戚がそれを見て、「B寺が相場だ。A寺は高過ぎる」と言った。本堂建立に費用がかかるため、こういうのも高め設定にしているのかもしれない。
板挟みになった義父は、また頭を抱えてしまった。「どうしたもんか、苦になって夜も寝れんわ」。義父も少し優柔不断かもしれないが、高齢でてきぱき判断できないので仕方がない。


昨日、仏壇開きをした時に来てくれた伯母(義母の姉)に、相談した。
「A寺さんにずっとお願いすると、お墓のあるB寺さんとの関係が悪くなるし、かと言ってお墓をA寺さんに移すと(それもお金がかかるけど)、今度は本堂新築したからって何十万もお布施要求されるかもしれない。A寺さんには「四十九日までってお願いしたけど、どうしてもB寺さんがやるって言われるので、悪いけど三十五日の法要まででいいです」ってはっきり言って、早めに関係を断った方がいい」と、彼女は言った。
「そうだなぁ」と義父は気弱そうに言い、「いつ言ったらいいもんかの。頭が痛いのう‥‥あんた電話で言っといてくれんかな」と私を見て言うので、「それはお義父さんが言わなきゃ」と返すと、義父は苦笑して「そうだな、やっぱり儂が言わないかんわな」と言った。
そういうわけで、三十五日を境にお寺が替わるのだが宗派が違うということで、せっかく選んで買った仏壇の仏像を、別のに取り替えねばならないらしい。面倒だがこれも仕方がない。


仕事の取り合いをする寺。頼りにならない葬儀会社。振り回されて消耗する遺族。うちの場合は個別の事情も加わって問題が複雑になったが、葬式がビジネスだということを身をもって知らされた。



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