初盆

亡き父が葬式仏教が嫌いだったせいで、私は子供の頃からお盆の行事とほとんど無縁に過ごしてきた。祖父たちの墓に参ったのも何十年か前。家に仏壇もない。
今年は6月末に義母が亡くなり、初盆となった。朝から夫と義父宅に行く。買ったばかりの仏壇の横に、義父が昨日生けた花が飾られ、半額セールで買ったというぼんぼりが置いてあった。
前にお坊さんが置いていったパンフレットに、お盆のお供えの絵が載っていた。横に「イラスト O JUN」とある。O JUNって現代美術のアーティストのO JUNさんか。こんなところで名前を見るとは。


前日、義父に「キュウリ持ってきてくれんかの」と電話で言われて1本ビニール袋に入れておいた(うちは犬のおやつ用にキュウリを常備している)ら、夫が「1本だけじゃダメだろ。首が作れんがや」などと夏休みの工作みたいなことを言うので、首なんか作るのかなと思いつつ2本持ってきた。案の定イラストを見たら、わざわざ首なんかつけてない。反ったキュウリの頭の方を少し上向きにして首に見立てているだけ。
「ほら、首なんか別に作らなくていいんだよ」「そうなんか」
持って来たキュウリに反りがあまりなかったので、前脚の割り箸を長めにして全体を斜めにしてなんとか恰好をつける。庭の家庭菜園からナスをもいできて、牛。


仏壇の前に据えた小机に、先週スーパーで買ったお供えセットの小さな敷物を敷く。蓮の葉を模したお供えセットの紙の上にそうめんを盛りつけ、昨夜作ってきた煮物やおだんごやお菓子を並べる。
ついこの間の法要の時は、大根と人参と昆布巻きと椎茸の煮物に絹さやを散らしたやつを作ったのだが、また同じものじゃ飽きるしなぁと思い、田舎の親戚がくれたカボチャを煮た。いいカボチャだったので美味しくできたのは良かったが、彩り的には今いちだ。
「あと足りんもんはないかな」「御飯」「おおそうだ」。後で考えたら、そうめんのつゆをつけるのを忘れていた。
お盆は精進料理を食べるものだが、そういうことは無視で昼食は近くのトンカツ屋へ。夕方、お坊さんが来てお経を唱える。



翌々日、夫と二人で岐阜県板取村というところにある義父の実家を訪問。本家の伯父は2年前に亡くなり、息子の代になっている。親戚の多くもその近くにいて、先祖の墓地がある。
義父の実家は大きな田舎家で、百年ものの立派な仏壇があり、長机に代々の位牌が並べられ、たくさんのお供え物が所狭しと置かれていた。
台風が去ってからずっと天気がぐずついているそうで、雨が降ったり止んだりしている間を縫って、板取川のほとりの墓地に行く。数年前に整備したということで、新しい墓石がずらりと並んでいる。苗字は皆同じだ。一緒に行った従姉妹が「あ、線香忘れてきちゃった」。まあいいか、戻るのも面倒だし‥‥と、墓の周囲を軽く掃除して線香なしでお参り。
この墓地に来る度、妙な気持ちになる。ここに眠る夫の祖先は、私にとってはまったくの他人だ。数百年前にこの地に流れ着いた落ち武者の末裔らしい、ということしか知らない。たまたま夫と結婚したことで、その先祖の墓の前で手を合わせている。すごく不思議な気分。


親戚のおじさんおばさんが集まると、話はだんだん娘や息子の結婚話になる。
「K子もう30になったんだけど、誰かいい人いない?」と、従兄弟の奥さん。K子さんは実家を出て名古屋で自活している。
「早く結婚したいって言ってるの?」「いい人がいたらしたいけどって」「そうなんだ‥‥」
従兄弟によれば、男の子がいないのでできれば養子に入って、将来はここに住まってくれる人がいいらしい。田舎で本家なので、お墓の面倒を看る人がいなくなると困るという考え。
昔なら子供は5人6人といて当然長男もおり、家業(林業と農業)を継ぐと決まっていた。一旦村から出ていったとしても、結婚して戻ってきた。ただし従兄弟の頃は村の林業も農業も既にほとんど廃れていたから、家からずいぶん遠くまで仕事に通っていたようだ。


今、若い人は村から出て行ったら帰ってこない。人口は既に1600人ほどだという。「青年団」もほとんどおじさん。
「そろそろ限界集落や。まあうちも俺の代で終わりかなぁ」と従兄弟は呟いた。仕事もないのに、こういうところにわざわざ養子に来る人などいないだろうと、皆思っているのではないだろうか。「俺の親父だって、田舎が厭で名古屋に出て来て警察官になったしなぁ」と夫が言った。
亡き人々を迎え、先祖の霊を祀る期間とされているお盆。そうした行事の下地にあった「家を継ぐ」「土地と代々の墓を守る」といった意識、振る舞いは、よほどの名家は別として一般にはもう廃れてきている。
今は花が供えられている墓も将来次第に参る人がいなくなり、いつかは打ち捨てられて廃墟となっていくのかもしれない。