凡人の文章は長く、才人の文章は短い

ラインの着信音で目が覚めた。新潟に単身赴任二年目の夫から。
「お前のブログも書くことが無くなってペースが落ちたな。内容も偏ってきたし、やっぱり俺がおらんとネタがないか?」
イラッ!
このイラッ!は二つあって、一つは「そんなことわざわざ言うために深夜にラインしてくるな」、もう一つは「自惚れるな」。


確かに、このブログを始めてから、何度となく夫の言動をネタにしてきた。時々私の思いつかないようなことを言うので、その視点に乗っかって書いてみたり。で、一昨年から別居生活なので、夫関係のちょっとしたネタ拾いはできなくなった。
しかし私のブログの更新頻度が落ち(と言っても大分前から月4、5回)、内容も偏っている(これも前から)のは、別に夫のいないせいではない。仕事の原稿の方にネタが吸い取られていくというのが大きい。
本の原稿と月1のコラムともう少し間の長いコラム、それ以外の飛び込み依頼の原稿をたまに書くというだけで、既に「仕事に追われている」感じになってしまう。この程度でよく「文筆家」を名乗っているなと自分でも思うが、そのくらいのキャパしかないので仕方がない。


コラムは2、3枚、長くても4、5枚で、それこそブログの記事一本分くらい。私は文章が長くなる質だから、普段のブログ記事よりずっと短いかもしれない。
では短いから早く書けるかというと、逆。長くなったものを削る作業に時間を費やす。バッサリ削っていい箇所か、短い言葉に置換可能な箇所かで試行錯誤。


文章は、少し長い方がよほど楽だ。ああでもないこうでもないと書いていける。今まで何度も書いているような十八番の内容を、少しだけ目先と言葉遣いを変えて長々書き綴る。あるいは、気の赴くままに漫談をするがごとく、道草しながら書き連ねていくスタイル。ブログでも時々見かける。
だがいずれも、よほど文章芸のある人でない限り面白くない。「長いけど何が言いたいの?」「長いわりに言いたいことはそれだけか」と思われる。そんなことなら2、3行で済ませろよと。「凡人の文章は長く、才人の文章は短い」と昔から言われる通りである。‥‥って今、思いついたので言ってみただけだけど。


短い文章は長い文章以上に、上手い下手、面白いつまらないが如実に出る。そして当然のことだが、あらかじめ何を言いたいかがよほど明確でないと、短い文章は書けない。従って私のように、ボンヤリモヤモヤしたところから始めて、ダラダラ書いていくうちに、「あ、私はこれが言いたかったんだ」と気付くような人間にとって、コラムは修行のようなもの。
ではどうやって書いているのかというと、8割くらいはオチを決めておくが、2割はわからないまま書く。8割通りの感じになったコラムの出来は、まあ普通。可もなく不可もなく一応はレベルに達しているという感じ。2割が途中でニョキニョキと成長し始めて、8割の意味を変えてしまい、オチも当初想定してなかったようなのが、時間はかかるが自分でも面白い。できればそういう文章だけを書きたい。


さて一方で短い文章を書いていると、ブログではますますダラダラ書きたいなという気分になる。他人にはどうでもいい、日常の些細なことをダラダラと。
それで思い出したのが昔、友人たちとアート系の同人誌を作っていた時、そこに「◯◯日乗」と題して何人かで書いていた日記。本文より面白いとよく言われた。特に、同じ日の同じことを書いている日記でも、私はホノボノ系、もう一人は殺伐系になっていたりする、そういうズレを面白がられた。ただの日記でも、二人以上の視点があって、一人では思いつかなかったようなものが出てくるということだ。
夫の言動をブログのネタにしていたのも、そういうことだったんだろう。
と、長い凡庸な文章に無理矢理オチをつけてみる。