週末の出来事、さまざまな再会

名古屋芸大に非常勤で行くようになってまだ1、2年の頃、Kさんは当時私がもっていた現代美術演習の授業に顔を出したことのあるデザイン科の学生だった。それから数年してT先生のゼミでKさんと一緒になり、人となりを知るようになった。ナンシー関的なツッコミ眼をもつ、とても愉快な人だった。
長い学生生活を経て東京方面の会社に就職した彼女は、だいぶ経ってから、広島のある大学の講師になったと聞いた。
去年の春先にKさんが急逝したということは、今年になってから知った。


この間の土曜日、大学時代の彼女の友人たちが開催した、Kさんの追悼打ち上げ花火大会に行った。
なぜ花火大会かというと、生前にKさんが何かの折りに「死んだ時は湿っぽいお葬式より、パッと花火でも打ち上げて送ってもらうのがいいな」というようなことを言っていたのを友人の一人が覚えていて、協賛金を集めてそれを実行しようというわけだった。結果、40万以上の協賛金が集まったので、10分近く見られるとのこと。
夜7時、岐阜県大垣市のはずれ。小さな川の橋の上から皆で、晩秋の夜空にドン、ドンと打ち上げられる花火を見た。こんなに近くで見たのは初めてだ。誰かがドローンを飛ばして撮影していた。子連れの参加者が子どもに「あれ、なに?ロボット?」と聞かれて「UFO。宇宙人が花火見にきたのよ」と言っていた。
パッと夜空に開いて消えていく花火は、美しいが儚い。Kさんの短い人生と重なってしまう。40歳前の早過ぎる死。


それから食事会の場で、10数年ぶりに会う人々と旧交を暖めた。ハロウィンなので数人くらい仮装してこないかと思っていたが誰もいなかった。当時の学生たちももう30代後半から40前後。そういう歳ではないのかもしれない。



翌日の夜、親友と今池ボトムラインでのコンサートに行った。「聴覚障害者と健常者のためのエンターティメント・サーカス」という音楽イベントで、今年で10年目だそう。
この催しには、親友と私が大昔やっていたバンドにドラマーとして参加していたMさんがずっと出演していたらしいのだが、今年になって彼は脳梗塞で倒れ、生死の境を彷徨ってようやく恢復し、今回はその復活ライブでもあるということで、是非来てほしいと言われたのだ。


Mさんが出るのはトリだが、その前の出演者、聖はじめをナマで見たいというのも行った理由のひとつ。
聖はじめは名古屋芸大音楽学部声楽科のOBで「フィガロの結婚」でデビューしたが、今はシャンソンからアニソンまで何でも歌う女形の歌手として活動している人。180cmはある長身に20cmのヒール、頭には孔雀の羽飾りをつけて250cmくらいの高さで現れ、手話を交えて歌った。素晴らしかった。


Mさんはさすがに病後ということで、最後の一曲で登場したが、その後アンコールなどで延々叩いていたので、ちょっと心配した。
しかしこのB.S.R.というインディーズのバンド、初めて見たがロックの伝統芸能というか、もはや様式美の世界だ(『今池の女』)。時間が逆流した。
出待ちのバンギャよろしく控え室の廊下で待機し、やっと降りてきたMさんをねぎらう。30年ぶりくらいだろうか。変わらないねと言われる。いや変わりましたよ。もう還暦過ぎてるので、体大事にしてほしい。



その夜は親友と久しぶりに深夜まで飲み、名古屋の彼女の家に泊まった。
「そう言えば、うち猫いるけどいいかな」「あ、そうだったね」。私は猫アレルギーが悪化して飼い猫を手放した過去がある。最近彼女が飼い始めた猫のグリちゃんは2階のリビングにいて、私の泊まる3階には上がらないということで、ひとまず安心。「じゃ、リビングはさっと通り抜けてすぐ上に上がるね」。
東京の大学に行っている息子さんの部屋に泊まる。ウトウトした頃、廊下にチリン、チリンと鈴の音。やがて「グリちゃん、グリちゃん」という旦那さんの声がして、猫は階下に降ろされた。


翌朝、そっとリビングに降りていくと、気配を察したのかグリちゃんが飼い主の部屋から出てきた。うちにいたタマと同じキジトラ。まるでタマに再会したみたいにそっくりで驚く。
「グリちゃん、遊べなくてごめんね。バイバイ」と言って部屋を出る。猫は椅子の下に行儀良く座り、まんまるの眼で私を見送っていた。