『超絶技巧!明治工芸の粋』に肝を潰す

先日、岐阜県立現代陶芸美術館で開催中の『超絶技巧!明治工芸の粋』を観に行った。
明治工芸と聞いてもあまりイメージの浮ばない方は、下のリンク先を。


岐阜県立現代陶芸美術館 展覧会情報01


左上の「パイナップル、バナナ」、中段中の「竹の子、梅」は実寸大の象牙彫刻(牙彫)。この安藤緑山の作品をナマで観たいというのが、今回の主な目的。
初めて行く岐阜県立現代陶芸美術館は、中央線多治見駅からバス15分、徒歩10分。目印が何もなくやや不安になりかけたところで、美術館地階入り口への道があった。滝と川を取り込んだ、風流ながら大胆な作りの建築物。周辺の山には散策路があるようだ。


七宝、金工、漆工、薩摩、刀装具、自在、木彫・牙彫、印籠、刺繍絵画の全163点の展示作品はすべて、京都の清水三年坂美術館所蔵(村田コレクション)のもの。
最初にあるのは、並河靖之の七宝の皿や壷。蝶をモチーフにした驚異的に緻密な仕事に度肝を抜かれる。触覚の0.1ミリもないような細い髭の並びまで、繊細に描いてある。肉眼では見づらいほど細かい作品には、横にルーペが設置されていて、覗き込むと点々のようにしか見えなかった何百羽という蝶が姿を現す。じっと見ていると「あっちの世界」に引き込まれそうになる。


金工の正阿弥勝義の香炉や皿も超絶技巧だった(下の写真はすべて絵はがきを撮ったもの)。



【金工】正阿弥勝義《柘榴に蝉飾器》清水三年坂美術館


自在の作品はテレビで見たことがあったが、実物をまとめて見るのは初めて。蛇、龍、鯉、カブト虫、クワガタ、蜂、蟹、伊勢エビ、手長エビ。一つひとつの精密な造形の完成度にも驚くが、すべてが自在仕掛けというのがすごい。どんなふうに動くか映像の展示もあった。
そして、安藤緑山の牙彫。ここまで来ると言葉を失う。というか「すげー‥‥」「本物そっくり‥‥」という呟きしか出てこない。



「蕪、パセリ」安藤緑山(清水三年坂美術館/photo:KimuraYoichi)



「蜜柑」安藤緑山(清水三年坂美術館/photo:KimuraYoichi)



なんだろう、このリアリズムへの底知れない情熱は。
白さが良しとされていた牙彫で色付けをしたのは、緑山だけだという。緑山は昭和30年まで生きた人だが、あまり詳しいことはわかっていないようだ。


これでもかという技術の粋を尽くした明治の工芸作品群。その多くは輸出用だった。
江戸時代、大名家や財力のある商家は蒔絵師や金工師たちに贅を尽くした洒落た工芸品を作らせていたが、海外流出となったきっかけは明治6年に開催されたウィーン万博。それに参加する際、ドイツ語のKunst(Art)に当たる「美術」という言葉を急遽作り、しかし「美術」がなんたるかの輪郭は日本では曖昧だったため、伝統工芸品を出品。
それが高い評価を得たことで、明治政府は江戸以来の職人たちの失業対策と殖産興業、外貨獲得のため、外国向けの製品を作らせて輸出した。
清水三年坂美術館は、海外に散逸したそれらの中で特に美術的に優れた作品を、電子部品専業メーカーの村田製作所の創業者の息子、村田理如氏が精力的に買い集め、国内向けに作られていた数少ない逸品と合わせてコレクションを作ったもの。


最近、高い技術を誇る日本の伝統工芸に関心が集まっているのと、十数年前からアートのほうで、すごく細かい手業や技術を駆使した作品が眼につくようになった*1のとは、なんとなくリンクしているように感じる。
技術力の高さと、それを駆使した上で発揮されるセンスは、人の心を掴みやすい。今の「アート」と言われるものは、明治の初め頃の工芸も何もかも含まれた「美術」とは違う”西欧の頭脳”ももっているけれども、「技と遊び心」というモノ作りの血は争えないものなのかもしれない。

*1:本物そっくりの植物の木彫で有名な須田悦弘とか、人や異形のものを精巧に彫り出す森淳一とか、大和絵をフォーマットとして超細かく描き込む作風で人気の山口晃とか。今、森美術館で開催中の村上隆の五百羅漢図展もたぶんそう(未見)。