父の呪い、母の背中


というわけで、母のこと。
これまでの書籍で、父その人や、父と私の関係について書いたことは、少なくとも3回ある。母についてはない。ブログでは、亡くなる2、3年前から父関係の記述が増えた。それに伴って母のことも時々書いてはいるのだが、たぶん読む側からすると父ほどの印象はないだろう。


母は父の元教え子で、専業主婦として常に父の後ろにいた。長女の私は父に溺愛され、完全に「お父さんの自慢の子」だった。父にとって私は「男の子」でもあり、母も私を、自分よりずっと父親似だと思っていた。その分、抑圧も大きかったから、思春期以降の私にとって「父殺し」は大きな課題となった。
一方、妹は「女の子」で、私より母と親密だった。私から見ても、二人は結構似ていた。そして、専業主婦になり子どもも産んだ妹が、なぜか母とギクシャクし始めた時、二人の間に立ってどうしていいかわからなかった。家庭内でも家庭外でも、私は「女と女の関係」に鈍感なままで、ある年齢まで来てしまったと思った。


父が亡くなる前後から、私と母の関係は急速に深まった。
母は昔から一貫して、「あなたは自分のことだけを考えなさい。私(たち)のことは何も心配しないでいいから」と言い続けてきた。しかし父が死んでから、母の中で、父と似ていると言われてきた私が、前より大きな存在になってきたのを感じる。
妹と母の一時的な確執はすっかり溶けたのだけど、離れて住んでいる妹より私のほうが母と接することが多い。そのせいもあって、20代や30代の頃は母と妹のほうがずっと親密だったのに、今は逆転している。


この数年、一人の女性としての母をつくづくと観察してきた。母の幼少期や少女時代の話もたくさん聞いた。結婚してからの苦労話、私の知らなかったいろんな話を聞いた。まるで親友に話すように、母はよく喋った。
しばしば脱線して父の惚気話になるので呆れる時もたまにあるが、「かわいい人だな」と思うことが多い。この人はしっかりして見えて、人から「守ってあげたい」と思われるような人なんだなと。実際、そういう感情が時々自分の中に生じる。
私は父の影響下に育ったが、母が亡くなったら、父の時以上の深く長い悲しみと喪失感を味わうのではないかと思う。


ざっとそういう話を友人たちとの席でしたら、「それ、大野さんがお父さんになっているってことじゃない?」と言われて、はっとした。
やれやれ。父はどこまで私に取り憑くのだろう。
母自身も、私を透かして時々、父を見ているのだろうか。
「父」という項を介さないで、母と出会うことはできないのだろうか。
母と私の間にあるのは、親子関係だけなんだろうか。
少し丸くなった母の背中を思い出しながら、そんなことをぼんやりと考える。