サイゾーウーマンに連載中の映画レビュー、第四回は『祇園囃子』(溝口健二監督、1953)。
祇園の芸者×舞妓志願の若い娘――『祇園囃子』に見る、「男の世界」に独りで生きる女の見栄
「男の世界」に寄生するかたちで成立している、「女の世界」花柳界での残酷物語。
プライドは高いが若干脇の甘い年増芸妓の美代春(木暮実千代)と新米舞妓の栄子(若尾文子)の関係を中心に、海千山千のお茶屋の女将お君(浪花千枝子)についても、以前ブログに書いたテキストに肉付けして考察しています。
溝口健二の芸妓ものというと、この作品よりかなり前に撮られた『祇園の姉妹』(1936)が有名ですね。初めて見た時はエッジの立ったリアリズムに驚きました。山田五十鈴の、シミーズ姿で歯を磨く場面が頭に焼き付いています。
貧乏性で男に尽くすタイプの姉に対し、居直って男を徹底的に利用し尽くそうとする妹。彼女の価値観と血を吐くような叫びの背景にあるものを、つくづく考えさせられます。
『祇園囃子』のヒロインの木暮実千代は、男に尽くすのも利用するのも前の二人に比べると不徹底、なぜなら「自分の生き方」に対する自意識が邪魔をしているから‥‥という、やや新しいタイプになっています。
19歳の若尾文子は、さらに現代の価値観に生きる女の子像を体現。一方、女将の浪花千枝子は「失敗しなかった山田五十鈴の成れの果て」と言っていいかもしれません。
「堕ちていく女」をサディスティックと言ってもいいような酷薄な眼差しで描く溝口作品の中で、『祇園囃子』は美しくも哀しいシスターフッドが印象に残ります。
この観点から二作品を見比べてみるのも面白そうです。
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