1949年のビフォーアフター、リンゴ箱の記憶

東京新聞:「ビフォーアフター」工事代払って 建設会社がTV局提訴へ:社会(TOKYO Web)


以前、建築士の知人から、たまにトラブルがあるらしいという話を聞いたことはあった。今回は建設会社が「被害」に遭っているようだが、後で施工主の方から不満が出て、元に戻したいというケースもあるらしい。
ビフォーにあった資材や役に立っていなかった物を、アフターでうまくリサイクルしているところが面白いと思って前はよく見ていた番組だが、画面に写っていないところではいろいろ起こっていたのだろう。


ところで今日の『とと姉ちゃん』も、ビフォーアフターだった。
空襲で焼け出され、人んちの物置に侘しい仮住まいの東堂先生夫妻。『あなたの暮らし』(『暮らしの手帖』がモデル)の創刊第二号のテーマをインテリアにした常子らは、東堂先生宅をなんとかしたいと知恵を絞り、花山のアイデアでただ同然のリンゴ箱を集め、本箱や机や椅子に転用する。◯◯林檎などのシールの貼られていた箱の表面には、きれいな紙を化粧貼り。
一気に人の住まいらしく、質素ながらもモダンで明るい雰囲気になった部屋。長椅子の背の部分に使っているリンゴ箱を床に並べれば、ベッドにもなる。劇的なビフォーアフターに感激する東堂先生。


もちろんすべてがリンゴ箱の「その場しのぎ」だから、チープではある。チープだけど「貧乏」ではない‥‥ような気がするところがキモ。
物置空間を洋風にして貧乏イメージから抜け出すという作戦が、それなりに功を奏しているのだ。洋風は当時、貧しい現実に憧れとファンタジーのオブラートをかけるものだったのだろう。



とと姉ちゃん』を見ていて、リンゴ箱の記憶が蘇った。
実家の二階は昔、父の書庫になっていたが、その棚の半分くらいがリンゴ箱だった。1955年頃、父はまだあたりがほとんど雑木林だった土地を買って家を建て、57年に母と結婚した。新婚当初は家具を揃えるお金がなかったので、何もかもリンゴ箱で代用していたそうだ。
次第に家財道具が整って、余ったリンゴ箱は二階の書庫の本箱に回された。父の蔵書に混じって、親戚から読み終わったのを母が貰って読んでいた雑誌『それいゆ』や『ジュニアそれいゆ』が何冊かあったことを思い出す。
中原淳一の作ったそれらの女性雑誌でも、『暮らしの手帖』の提案と同じく、「空き箱にきれいな紙を貼って、小物入れに使いましょう」などという特集が載っていた。


実家のリンゴ箱にきれいな紙が貼られていたかどうか、もう覚えていないが、頂き物などの包装紙や紙袋を全部捨てずに取っておく家だった。その一部は、本のカバーになる(ドラマでも東堂先生がやっていた)。私は1959年生まれだが、小学生の頃、父にブックカバーの作り方を教わった。
戦後20年くらいまでは、どこの家庭でもそういうふうに、できるだけあるものでやりくりする感じだったのではないかと思う。そこに見よう見まねの洋風を取り入れることで、貧しさをカバーしていた。



『日本・現代・美術』の終章で椹木野衣は、『暮らしの手帖』創刊第二号(1949年1月)に掲載された写真について、「終戦直後の日本人が、「くらし」を少しでも美しくしようと、ありあわせの材料でしつらえた、西洋風の暖炉の「シミュレーション」なのである」(p.347) と記述しているが、その後に、『暮らしの手帖』の創刊者、花森安治の「なんにもなかったあの頃」というエッセイからの引用がある。

 炉の上の棚にはランプがともり、たてかけたフライパンのまえの五徳の上で、コーヒー沸しが歌をうたっていた。なにげなくこれをみれば、いささかキザであり、いささかセンチメンタルな構図ではある。
 しかし、この<インテリア>は、省線のガード下の、倉庫の二階なのである。
 焼けトタンと焼け瓦を底に敷いて、壁ぎわに炉を切って、壁にはやはり焼け跡でひろってきた煉瓦を積んで、歯医者の使う石膏で目地をぬりかためて、ちょっとマントルピースの感じをだしたのだ。
 冬の夜、ここで読書していると、頭上の省線もたのしい伴奏に思われてくると、これを作ったひとはいう。

次は『暮らしの手帖』創刊号より。

 はげしい風のふく日に、その風のふく方へ、一心に息をつめて歩いてゆくような、お互いに、生きてゆくのが命がけの明け暮れがつづいています、せめて、その日日に、ちいさな、かすかな灯をともすことが出来たら‥‥‥この本を作っていて、考えるのは、そのことでございました‥‥‥

(『日本・現代・美術』p.347〜348)


「どこにも行きつくあてのない「くらし」を「美しいくらし」につくりかえるために、「ガード下の倉庫の二階の一隅に、それも焼け跡でひろってきた材料ばかりで、このような<室内>を演出する日本人とは、一体なんだろうか」–––– そう問う花森に、いま、「豊か」になったわたしたちは、自信をもって解答することができるだろうか?」と、椹木野衣は問うていた。*1


畳の部屋にカーペットを敷き、ソファやベッドを入れて頑張って洋風にする。貧乏の匂いのする古臭い和風を生活空間から追い出す。カーペットをめくればそこには古ぼけた畳があるのだけど、とりあえずそのことは忘れよう、と。
80年代の頭くらいまではあった、そうした「洋」への憧れと「和」への忌避をこそばゆい感じで覚えているのは、今の50代後半までだろうか。
「和」流行りで「和」がオシャレということになっている昨今だが、かつて「洋」コンプレックスを持った身にとって、『とと姉ちゃん』の「ビフォーアフター」は少しせつない。



ところでドラマの中では、花森安治をモデルにしている花山伊佐次だが、ロシア風の上着やスカート(今日の回)はいいものの、ヘアスタイルがそのままなのはどうなん‥‥。花森安治っておかっぱヘアにしてたんじゃなかったっけ? 
唐沢寿明もさすがにおかっぱは拒否したのか、そこまでやると笑いを取る方向に行っちゃうのでやめたのか。
次回くらいで「女性の気持ちをよく知るには、装いもさることながら、やはり髪型からだと思ったのだ!」と、ドヤ顔のおかっぱ唐沢寿明が出てきたら面白いんだけどなー。面白すぎるかな。


※「昭和の「暮らしの手帖」から」というサイトで、表紙ビジュアルが紹介されている。
『暮しの手帖』の表紙 創刊号〜第10号まで
これも。
台所に椅子をおく リンゴ箱から作る 暮しの手帖 1949年



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*1:もちろんこれは、「なにも存在しない荒れ地のなかで、「まず何かを想定しなければならな」かったことによって、その場しのぎに作られたもの」である「日本の近代<美術>の始発点」(p.78)という、この本のテーマに重ね合わされているのだが。