トークでの質疑「今なぜダブルヒロインなのか?」

トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録
トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 後半の記録


トークの後で質問が幾つか出ました。その中で、トークの中で話したことをもう一度丁寧にお話するかたちになったものは、ここでは省きます。以下は、一人の女性の方から頂いた質問と、私の答えを音源から書き起こし、読みやすく編集したものです。

質問:ダブルヒロインもので、女性同士の友情や敬愛関係を見ると、現実にあったらいいなと憧れるのですが、私個人の話ですが実際は難しいなと思うところがあります。私は独身ですが、友人が結婚して共通の話題が少なくなったり、会う機会も少なくなったり。あるいは、女同士で「私のほうが上よ」「いや私のほうが」みたいな張り合いもあったりして。そういう中で、ダブルヒロインものがヒットする背景はどこにあると思われますか?


大野:その答えは、私も最初からもってなくて喋り始めているんですけど、一つには恋愛が成就して終わりのストーリー、結婚とかそういうものが女の幸せという形式は、もう飽きられていると思うんですね。ディズニーなどはそこをとても上手く、皆が次に見たがっている要素をピックアップして出している。ただそれはあなたが言われるように理想的なものであって、だからこそ憧れるところもあると思います。
で、その反対の女性同士のドロドロした凄まじい対決ものも、男性同士の対決以上に凄まじさがパワーアップされてある。だから実際には両極あると思うんですね。
今、結婚して疎遠になったりという話で思い出したんですけど、角田光代の『対岸の彼女』という小説、2006年頃に夏川結衣と財前直美で単発のドラマになっていました、その中でも結婚して主婦になっている女性、ずっと仕事を続けている女性が描かれていて、お互いが川を挟んで対岸にいてうまくコミュニケーションがとれないけれど、でもなにか感情のやりとりを求めていくという物語でした。
そういうふうに女性同士の関係性って難しいところもあるけれども、実際は異性より同性同士でうまくやっていかなきゃいけない局面って、たくさんあると思うのです。ヘルパーの資格を取るので実習で介護施設に行ったことがあるんですが、おばあさんが多くて、おばあさん同士で話が通じてないながらもやりとりしている中で、おじいさんだけポツンと孤立しているんですよね。そういうのを見ても、女性は関係性を求めているなと感じます。
女性の多くが、夫の親戚との関係性、ご近所との関係性、ママ友との関係性、学生時代の友人との関係性、職場での関係性、そういういろんなレベルの人間関係を同時にこなしていくわけじゃないですか。もちろん職場だけに集中の人もいるかもしれないけど。それに比べて、男性のほうは結構シンプルな感じになっているので、もしかしたら女性のほうが、いろんな関係性を築いていくことが得意なんじゃないかと思います。
まあ私自身は、ちょっとそういうところが苦手で。小中学校の頃から少し浮いてしまう存在だったんですね。「大野さん、なんであの子たちとつきあってるの?こっちのグループでしょ」「え、そうだったんですか」みたいな感じで、関係性については苦手意識があった。それで前の本でも一作品一ヒロインでずっと書いていたんですが、やっぱりもっと枠を広げたいし、私自身もこの歳ですが女性同士の関係性について学びたいし、物語を通して考えていきたいと思っています。


質問の「ダブルヒロインものがヒットする背景は?」に直接答えているのは、「恋愛成就で終わりのストーリーが飽きられているから」だけ。その後は「女性はもともと関係性の生きものじゃないかな」ということについて長々と喋っています。どうも私は「なぜ今?」的な社会学的考察より、そもそも論に行ってしまう傾向があるようです。*1


「なぜ今ダブルヒロインなのか?」の前にある、「なぜ女性は対男性より、女性同士の関係性に惹きつけられるのか」という問い。
本当は元からそうだったのが、これまでのいろいろな重しが取れてきたことによって、欲求が顕在化してきたのではないかと思います。別に無理して結婚しなくてもいいし、恋人がいなくても問題ないし、女性だけで仕事を回しているところはいくらでもあるし、女性同士のほうがいろんなものを共有できて楽しいし(その反面マウント合戦もあるが)。
結局、女が何よりも興味のあるのは「女」、というところに落ち着きそうです。

*1:後、反省点としては、時間に追われていたこともあるけど、自分の喋りが早い。そして若干キツい印象。昔の教え子に「前より喋りが丸くなった」と言われたが、じゃあ昔はどんだけキッツイものいいしてたのかと思った。もっと年相応に落ち着いた、丁寧で耳に柔らかい話術を身につけたいものです。