アヒルと非常事態・・・“I will fly” 竹内孝和展を観て

間口の狭いガラス越しに、奥の白い壁にカラフルな色彩が糸を引いているのが目を捉える。中に入ると、8畳ほどの小さな縦長の空間の床には緑の人工芝が敷き詰められ、人の通れるくらいの通路を残して三分の二ほどが低い柵で囲われている。画廊の人の座っているブースもその中にあり、人工芝と同じ色に塗られている。
その柵の中に、真白の一羽のアヒルがいた。*1


側面の壁には、小さな鉛筆画が一枚かかっている。三人の奴隷が鎖で繋がれている古代ローマレリーフをデッサンしたものだが、その鎖の部分だけ白く消されている。
奴隷たちの下の部分には作家の創作であろう、浮き彫りになった「LIBERATED SLAVES」という文字が描かれている。


そして正面奥の壁と一部は天井に、10数本あっただろうか、1メートルほどの矢が突き刺さっている(作家によれば、矢の羽根は、屠殺されたアヒルの羽根を使用している)。
それぞれの矢の先端は小さな缶を突き破っており、中身の絵の具が壁を伝って滴り落ちている。外から見た時に、それがカラフルな線に見えたのだった。


家畜であるアヒル。家畜同然の扱いであった奴隷(の解放)。アヒルの羽根で作られた矢。密封されていた中身の流出。
支配と隷属、攻撃と防御のイメージがめまぐるしく反転する。矢が貫く絵の具の缶をどう捉えるかで、この作品の解釈は違ってくるかもしれない。


それぞれ異なる色の絵の具が入っている缶には、色の名前がラベリングされている。それは、渾沌とした世界を色分けし、命名し、区別する言語システムのメタファーだ。このシステムの元に、あなたは「支配者」(「奴隷」)に、わたしは「奴隷」(「支配者」)になったのだ。
ヒルの羽根の矢はその方向から言って、アヒルのいる柵の内側から放たれているように見える。もちろんアヒルが自らの羽根で矢を作り、的を射ることはできない。
ヒルが無力なのは、この世界でアヒルと名のつく者に生まれたからである。それと同じように、わたしたちが自らを縛る命名 - 言葉の鎖を解くことは、根本的にはできない。


だからその矢は、不可能な矢である。
この展示が幻視しているのは、奇跡が起きて、不可能なはずの矢が放たれ、色分けされ命名され区別されていたものがドロドロと流出する非常事態だ。その時、世界は支配も隷属もなく、攻撃も防御も必要ないものになるだろうと。
だが、その底なしの自由と渾沌に、人間は耐えられるだろうか。わたしにはわからない。少なくともその時、人間という概念は変わり、アヒルは空を飛ぶだろう。



名古屋・LAD GALLERYで2月5日まで。
LAD GALLERY(画廊入り口は那古野ビル北館の裏側。名古屋高速に面した表通りの方で探しても見つからないので注意)
竹内孝和

*1:会期中、アヒルはここで飼育されている。動物愛護の観点から専門家の監修も入っているとのこと。