きものとジェンダー論

去年の秋からこの1月にかけては、機会を見つけてそれまでになくよくきものを着た。きもの歴はやっと二年。
先日は亡くなった義母から譲り受けた江戸小紋を着て、久しぶりにあるギャラリーのオープニングに行った。人が多く、皆お喋りしているので、旧知の人に挨拶するまでに時間がかかった。そうしたら、「あの人、オオノさんに似てる」「オオノさん的な何かだ」「どこかのコレクターの奥さんかも」と噂していたと言われた。
きものでいると外では「まあ優雅なことで‥‥」的な視線で見られたりするが、それはきものにプチブルのイメージがあるからだ。非常勤講師であまり売れてない文筆家の私ですら、「現代美術のコレクターの奥さん」に見られる。
だが実際、私が幾らくらいで中古のきものを手に入れているかを知った人は、驚く。ついこの間も、「これ二千円ですけど」と言って、「このユニクロより安いじゃん」とびっくりされた。私もそれを見つけた時、びっくりして思わず買ってしまったのだ。
一応正絹の縮緬で目につく傷みも汚れもなかったが、産地不明で特に良いものでもないと、中古市場ではそういう値段になることがある。上は数十万まで価格幅は広い。


年明けに初めて、きもので授業をした。黒板の板書も別に問題なく、これなら仕事も着物でいいかもなと思ったが、その後はまた洋服に戻った。気が向いた時だけ着よう。
一方知人からは、「ジェンダー入門の授業をきものでしたら、学生は混乱するだろうね」と言われた。たしかにそれは、私も考えたことがある。
きものには日本、伝統、保守といったイメージが濃くあるし、女性がきものを着ていると、女ジェンダーが強調されて見えるということもある。そういうビジュアルとジェンダー論とは齟齬を起こさないのか?ということだ。


きものでジェンダー論の人に澁谷知美がいる。上野千鶴子の教え子で、『日本の童貞』などの著作で有名な社会学者。公の場所では必ずきもの、東京経済大学の授業もそうらしい。
ジェンダー論の中の(特に男子学生にとって)苦い部分、飲み下しにくい部分を、きものというビジュアルでワンクッションおく、そういう戦略なのかもしれない。きものは薬を飲み込むためのオブラートみたいなもの。
そこには「この人、こんなこと言ってるのにきもの着てる。なんか変」という混乱ではなく、「きもの着てるような人が言ってることだから、そんなにカゲキなとんがったことじゃない」みたいな納得があるのだろうか。それならむしろ混乱のほうがマシな気はする。


私はどちらかというと、納得ではなく混乱に導き、混乱の中で考えてもらうためにジェンダーの授業をしているところもあるので、きものというビジュアルも一周回って「女らしいがどこか異様」とか「怖い」「タダモノじゃない」くらいの感じにならないかと思っているが、それにはまだまだ修行が足らない。


今月は、干支にちなんで鳥をどこかに入れたコーディネートが多かった。以下のきものと帯はすべてネットの中古市場で、一万円前後〜三万円くらいで入手。未使用品もあり。


   
ツルの飛ぶ姿が織り出された真綿紬に、織りの名古屋帯。クレーの絵みたいで気に入っている。


  
細縞の真綿紬に、これまたクレーみたいな帯。こういう地味めな組み合わせが一番落ち着く。


  
墨黒の江戸小紋に、若冲の『群鶏図』の袋帯。刺繍だったら相当高いだろうが、これはシルクスクリーン(たぶん)に部分的に彩色してあるもの。


  
ほとんど黒に近い緑の地に、飴みたいな抽象的な水鳥模様の小紋。これに合う名古屋帯は探し中なので、小鳥模様の半巾帯を置いてみた。


春になったら燕柄の久留米絣を着て、夏になったら麻の着物に、枝に鳥が止まっている紗の帯を締める。全体に、京都っぽいはんなり系の柔らかモノは苦手で、しゃきっとしたクールな江戸っぽいのが好みだ。
ああきものの似合う怖い女になりたい。