58歳の礼装デビュー、そのホラーでコメディな舞台裏

先週、名古屋市市庁舎で名古屋市芸術賞の授賞式があった。
お祝い下さった皆さま、改めてありがとうございました。
ここではその式の模様ではなく、その前に「何を着ていくか」でドタバタした話を。


美容師の親友に受賞を報告した時、「受賞式ではきもの着なさいよ」と言われた。そのつもりですとも。お出かけはきものと決めて2年。ここで着ないでどこで着る。しかしこういう場合どんなきものを着るべきか、いい歳をして実はよく知らない。
礼装に限っては「格」がどうの、TPOがどうのという細かな約束事のあるきもの。親戚の結婚式に参列するような場合は、訪問着か紋付き色無地かなと思うが、自分が壇上に上がる場合は? 


ネットで調べてみると、まず出てくるのは「夫が受賞し、妻同伴で式に出る」ケースの妻のきもの。というか、そればかり出てくる。ノーベル賞受賞式の◯◯夫人のきものとか。あとは芸能人の授賞式のきもの。世界が違い過ぎて今ひとつ参考にならない。
やっと「姉が受賞しました。彼女は訪問着で受賞式に出るのですが、妹の私は何を着たらいいですか?」というのがあった。うーん、やっぱり訪問着か。
賞にも晴れがましい場にもほぼ無縁の人生だったので、晴れ着というものを持っていない。亡き義母から譲り受けたのは紬や小紋で、訪問着はあったけれど「どうせこの先ほとんど着ないし」と、裄直しをしていなかった。今から悉皆屋に出していると、当日に間に合わないかもしれない。


それより、自分で中古市場で買ったデッドストックのきものの中に、ちょっと着てみたいのがあった。黒の付け下げ訪問着である。
付け下げとは小紋と違い、すべての柄が上向きになるよう仕立ててあるもの。それに加えて、裾模様が訪問着のように縫い目をまたいで繋がっている箇所が一部あるのを、付け下げ訪問着と言う。
‥‥‥などと書いても、きものを着ない人には「何のこと?」だと思うが、要は地味目な訪問着。格としては略礼装になり、式以外ではちょっと気取ってオシャレしたい場面で着るらしい。
きものを着始めた頃、「この黒いきもの、カッコいい。こんなのが似合うようになりたい」と衝動買いしてしまったのだ。
地紋のある黒地に、左肩と後ろ身頃の裾に小さく白抜きの松、袖と裾回りに控えめに散った銀の色紙模様の中に、金で竹と梅。おめでたい柄である。2年間タンスの肥やしになっていたが、やっと日の目を見る時が来た。


しかし‥‥と、まだ悩む。こういう場面で黒のスーツやドレスはありだが、黒いきものってどうなの。辛気くさくならないか。
受賞者の一人に小唄の方がいらして、もちろんきもので御登壇だと思うが、その人と色が被ったらどうしよう。絶対貫禄負けしてしまう。
それに、帯はどうすんの、帯!


おめでたい席の礼装には、金銀をあしらった織りの袋帯と決まっている。当然そんなものは持っていない。義母のタンスにあったかもだが、どうせなら自分で準備したい。それで、例によってネットの中古市場を漁り、またしてもしつけ付きの未使用品で、私の乏しい経済力でも購入可能な物件を見つけた。
銀ラメの地に冊子文(「読み本」模様とも。出版文化が発達した江戸時代に流行)。開かれた冊子の頁には鮮やかな牡丹の花車や鴛鴦が織り出され、バックに金色の帯と細い束ね熨斗文が弧を描いている。ド派手。でも即決した。何といっても「読み本」だ。このこだわりに気づく人はなかろうが、まあいい、究極の自己満足で。


   
  床置きでコーディネートしたところ(帯揚げは薄いグレーだが、当日は白にした)


こういうケースでは、「気合いが入り過ぎて変な方向にずれてしまった人」になるのを一番避けたい。さっそくきものの先輩である美容師の親友に画像を見せると、「いいじゃん」と頼もしい言葉。
「でも黒だし、なんか強過ぎない?」「そんなことないって。こういう場はちょっと個性的なくらいのほうが。アーティストだもん」。それは「元〜」だけど。
「帯、私の歳にしては若過ぎじゃない?」「関係ないって。全然だいじょぶ。アーティストだし」。いやそれは「元〜」‥‥。
「小唄のお師匠さんと色が被ったら、壇上に二人黒のきもので並んでお葬式みたいに見えないか?」「この方、70代でしょう。その年代だと黒はまず着ない。淡くて渋いお色目だね」(実際その通りだった)。


太鼓判を押されてやっと安心し、気づけば前日の夜。一度も袖を通していなかったので、明日スムーズに着られるよう、練習のために一回着ておこうと試着してみて、大変なことに気づいた。
きものの袖丈と長襦袢の袖丈が、全く合っていない。長襦袢のほうが2センチ以上短く、振りからぴょこんと出てしまう。長めの場合は袖底に溜るだけなのでまだいいが、これだけ短いと、きものの袖の中で長襦袢の袖が自由に動いて外にはみ出してくるのだ。
   
 マンガなどでかなりはみ出して描かれていることがあるが、実際にはみっともないとされる。
           

迂闊であった。このきものを買った時、袖丈が50センチでちょっと長めだな(通常は47〜49センチ)と思ったがいいや!と買ってしまったことを、今頃思い出した。
略礼装に合う長襦袢はこれ一枚しかない。今から買いにも行けない。内側を安全ピンで留めてみても、袖丈の段差が後ろから丸見えでカッコ悪い。袖底同士を留めれば、きものの袖が引っ張られてシルエットがもたつく。どうしよう。万事休す。焦ったが、ふと当たり前のことに気づいた。自分でお直しすればいいじゃないか。
昔の人は全部自分で縫ったり解いたりしたんだし、『この世界の片隅に』のすずさんだって、自己流できものをもんぺに仕立て直していた。それに比べたら、袖の丈直しくらいナンボのもんじゃ。


きものを仕立てる時、余った部分は大抵切らずに縫い込むものなので、この長襦袢の袖にも前後ろ共に5センチほどの縫い代があった。そこを解いて、2.5センチずつ出し、また縫い綴じ合わせた。
それでも、袖幅がきものと同寸のこともあって、まだ振りが1センチ近く出たので、見えないところを前後5ミリほど摘んで縫うことに。


受賞式前夜に、着て行くものを着たり脱いだりしながらチクチク縫いものなどしている人は、たぶん他にはいないと思う。きものを買った時に合わせておけば、今頃こんなにドタバタしなくて済んだのに。
でも着ると決めたんだから仕方ない。今更諦めて洋服のコーディネートを考えるのも嫌だ。だいたいそういう場に着て行くような服がない。


長さが結構ギリギリだった袋帯の装着にも、一工夫必要だった。前帯の柄とお太鼓の柄をうまく出すには、相当しっかり締めないとならない。
初めて締める袋帯。いつもの名古屋帯よりずっと長い上に、あまり締めやすいタイプの袋帯ではなかったようだ。一回巻いては帯下を掴んだ左手をしっかり固定し、右手をギュッと引く。ジャンプしないと力が入らない。というか、力を入れるので自動的にその場で体が跳ねてしまう。ギュッと締めてピョン。また巻いてギュッと締めてピョン。後ろで捻って引っ張ってピョン。
夜中に58歳の女が一人、鏡の前でキンキラの帯巻き付けてピョンピョン飛んでる図。ホラーである。いやコメディか。でも本人は真剣。


‥‥‥と、いろいろあったけれども、当日は何事もなかったような顔をして、澄まして式に臨んだのでした。



●おまけ
読者代表として出席した親友が撮ったスナップの一部。離れた客席からiPadで無理して撮ったらしいのでボケております。


 
 (左)壇上から席に戻る。七宝焼の嵌め込まれた盾が重い。
 (中)記念撮影の準備中、一同脇で待機。手前から特賞受賞の作家・宗田理さん*1
    以下奨励賞で私、愛知室内オーケストラ代表のお二人、小唄の稻舟妙寿さん。
    壁の三英傑の絵がいかにも尾張名古屋。
 (右)撮影終了。やれやれ。。。

*1:30年以上前、ご子息を美大予備校で教えたことがあったりして、世間は狭い。