『ヘドウィグ&ザ・アングリーインチ』を通して、「女」について考える

ForbesJAPANに好評連載中の映画コラム「シネマの女は最後に微笑む」第17回が公開されています。


女とは一体何なのか? 「自分のかたち」を探すトランスジェンダーの旅 | ForbesJAPAN


先日の、お茶の水女子大のトランスジェンダー受け入れのニュースを枕に、『ヘドウィグ&ザ・アングリーインチ』(ジョン・キャメロン・ミッチェル監督、2001)を取り上げています。


ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

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もともと、監督の一人舞台パフォーマンスにだんだん肉付けされて、人気のロック・ミュージカルとなったもので、日本でも過去、三上博史山本耕史森山未來が、主人公ヘドウィグを演じて評判になってますね。
音楽とビジュアルの訴求力や、ヘタウマなイラストの味、歌詞の意味など、いろいろ書きたいことはあったのですが、本文ではストーリー展開に絞り込んでいます。


この作品は作りがちょっと変わっていて、現在と過去が行き来しつつ進行し、情報が非常に圧縮されている上、ファンタジックな表現も多用されているので、初見ではわかりにくい人もいるかもしれません。講義で使っていますが、時代背景と終わりの方のストーリー展開について解説しないと、多くの学生には置いてきぼり感があるようです。
特にイツハクの位置づけは作品内で説明がほとんどないので、よほど丁寧に観ていないとラストで「えっ?」という感じに。有名となった舞台を観ているか、あらかじめ大まかな情報を入れていることが前提となっていると思います。
冷戦構造と性差を重ねているところを始めとして、さまざまな文脈が組み込まれているので、何度か観つつ徐々に解読していく楽しさがある、とも言えます。未見の方は是非。