長女の業と毒母エネルギーの向かう先(「シネマの女は最後に微笑む」更新されました)。

映画から現代女性の姿をpickupする「シネマの女は最後に微笑む」第20回は、メリル・ストリープジュリア・ロバーツが母と娘の壮絶極まる応酬を繰り広げる『8月の家族たち』(ジョン・ウェルズ監督、2013)を取り上げました。女系家族の長女から長女へと継承される根深い業の物語(ネタばれあり)。


似ているからこそ対立する? 母と娘、争えぬ血の喜悲劇 | ForbesJAPAN



登場人物が結構多くて煩雑になるので、主演の二人以外の俳優名はカットしていますが、非常に贅沢な配役です。冒頭に出てくるだけのサム・シェパードとか、良い役だけど出番の少ないベネディクト・カンバーバッチとか。
「母と娘(長女)の喜悲劇」の背後には、もちろん父たちの男性社会があるのだろうけど、物語では表面上は影が薄くなっています。
長女は常に「家」と闘うことを運命づけられる。次女は息を潜めて周囲を観察し自分の幸せを探す。もっとも自由な三女は糸の切れた凧のように振る舞う。‥‥という姉妹のそれぞれ、自分が長女なので非常に興味深い。
行き場を塞がれた長女のエネルギー(『アナと雪の女王』のエルサもそうだった)が、自分の娘支配へと向うのは見ていて辛いものもありつつ、半笑いになるところもいろいろ。
母親と妹の叔母の間に生じたタブーが、娘世代に因果として回ってくるところも、まるでパズルのピースがカチリと嵌るようによく出来ています。これがもし邦画だったら妙にドロドロと湿っぽくなりそうですが、カラッとした空気感とシニカルな笑いに救われます。


本文テキストでは書ききれなかったことですが、ここから浮かび上がってくるのは、こうした支配的で攻撃的な「毒母」的女性の存在を、家庭や家族の場から離れて生産的に捉えられないだろうか?という命題です。
行き詰まった世の中では「父的存在」の到来が求められますが、そういうヒーローや救世主ではない「悪い母」のエネルギーをいかにうまく放出させるかは、非常に現代的な課題だと思います。