若者は勝四郎たれ?
「今週は、内田樹のブログの『七人の侍』の組織論という記事にすごく反響があったけど」
「7つの役割の必然性を論じるのは、『七人の侍』論では定番だよね。リーダー、サブリーダー、イエスマン、「斬り込み隊長」たるエース、ムードメーカー、トリックスター、そして「若く非力な」「教育されるもの」ルーキー。会社経営の話にこの役割論は時々使われてる。ビジネス書なんかでも出てくるんじゃない?『七人の侍』は」
「ビジネスの方は知らないけど、映画レビューで7人の役割分析はよく見る。*1 内田樹らしいところは、勝四郎の役割を組織の存続に特に重用視した点かな。これまでの家族論でも、共同体は一番弱い者を中心としてその者を守り癒すことで存続していくということは書いてるし」
「内田樹はフェミニズムに冷淡だから、上野千鶴子とかが礼賛してた新しい家族形態を模索するコレクティブ・ハウスにも批判的なのはデフォルトか。てのはともかく、持論に結びつける手練手管はいつもながら‥‥」
「悪魔のように周到(笑)。ただ今回の記事では、ルーキーの意味に鈍感な経営者が多いって話になってるけど、どうなんだろ。経営難で新卒を採れない会社はあっても、新卒を育てようとしない会社はないでしょ。会社の将来に関わることなんだから」
「結局、教育にリソースを注入する余裕がなくてうまく育たないか、育つ前に辞めてっちゃっうってことがあるんじゃないの。勝四郎みたいに、エースの働きを見て『あなたは、素晴らしい人です』なんて感動したり、イエスマンから学んだりすることなく」
「逆にもっと自分の可能性を見てくれるところに行きたいとか?あんな社畜にはなりたくないと思ったり?労働環境がキツ過ぎたり?」
「それはいろいろだろうけど。「学びの姿勢」を持たない若者に対する苛立ち、内田樹はよく書いてるよね、少し前のこの記事でも。これにはブコメで批判が結構。内田樹が若者に批判的なことを書くと必ずこういう反応は一定限出る」
「で、今回は打って変わって、就職氷河期の若者に同情的。ある時は若者に「教えてください」という姿勢がないと言い、ある時は非力な若者を大事にしない企業は存続しないと言う。うーん、別に両立しないわけではないか、ないけど‥‥もうこのおっさんの老練なバランス感覚にはついていけんわ凄過ぎて」
「そこなんだけど、前の記事の若者と今回の若者とは重なってるはずだよね、全部でないにしても。とすると、学校で学びから逃走していた若者を会社は育てなきゃいけないわけだから、増々大変てことだ。つまり例の組織論は、企業に就職を希望するすべての若者が、勝四郎のような、年長者を敬い自分の非力さを認識しつつ謙虚に学ぼうとする態度と、すべてのことを子供のような新鮮な目で見るようなメンタリティを備えていると想定しなければ、成立しない話じゃないかと」
「確かにルーキーが皆、勝四郎タイプということはないしなぁ」
「成員全員で勝四郎を守るってのは、これは家族論ならわかるわけ。普通は赤ちゃんや子供優先だから。大人が食べられなくてもまず子供には食べさせて着せてっていう」
「一方企業では、勝四郎が切り捨てられてるってことでしょ?内田樹の文脈では。いや、実際は勝四郎たりえない若者が、か」
「少なくとも内田樹は、若者は勝四郎たれと言ってると思う。「教えてください」という謙虚な姿勢を上に示せと。そして上の世代は彼を守り育て、「共同体に蓄積された資産」を「次世代への贈り物」にせよと」
「じゃあ、そこでどういう資産を伝えるべき贈り物=価値や善と看做しているかが問題になるなぁ」
「『七人の侍』では百姓のために「金にも出世にもならん難しい戦い」(by勘兵衛)を戦うわけだから、私利私欲を捨て弱い者のために全員が力を合わせるのが善、ということじゃない?あの作品的には」
「つまり内田樹の『七人の侍』の組織論って、そもそも作品テーマで言われてることなんだ」
必須メンバーが欠けた時にどうするか?と誰を残すべきか問題
「ところでブコメにもあったけど、7人の「死んでいく順番」はよく考えられてるよね。「組織には何が必須か」の次に、「必須メンバーが欠けた時にどうするか」って視点が入ってくる」
「真っ先に死ぬのがムードメーカー平八ね。この人は腕は「中の下」だからそう期待はされてないけど、心理的影響は少なくない。「苦しいときには重宝な男」が本当に苦しくなる前に死んじゃうんだから。それでちょっと殺伐とした雰囲気になるのを、残った6人で何とか盛り上げていこうとする」
「次に安定感のあるサブリーダー五郎兵衛が死んでかなり深刻になるけど、片腕を失ったリーダーの元で更に結束が固めねばという思いをそれぞれが強く持つと。潤滑油や相談役という安心材料が失われたところで、いかにガタガタにならないでいくかという組織の試練の話になってる」
「それから「斬り込み隊長」の久藏。後半戦だけどこれはイタいという感じ。この戦力を失って勝てるのかと」
「そしてトリックスター菊千代。なんかあまり死にそうにないキャラだから意外なんだけど、百姓出身なのを隠して侍に扮していた男が、最後は百姓のために野武士の大将を殺して死ぬってのがいいわけ」
「そう言えば、黒澤明が『七人の侍』のシナリオを書き出した時、トリックスターの役はなかったらしい。三船敏郎には久藏あたりをやらせる予定だったって。あるところで筆が止まってしまった時にやっと思いついた。こういう型破りな奴がいないと話が展開しないと」
「菊千代は三船の地に近かったらしいよ。で、生き残ったのがリーダー勘兵衛、イエスマン七郎次、ルーキー勝四郎か。ルーキーはわかるけどリーダーとイエスマンは何故」
「勘兵衛はあの最後の有名な台詞を言うために必要だったんでないの。元部下の七郎次は‥‥イエスマンって言葉はなんか提灯持ちみたいであんまりいいイメージがないけど、あの人ほどこまめにきびきび働いてた人はいないよね、農民の信頼も篤いし。イエスマンてより縁の下の力持ち。どこでも何やっても生きていける人として残ったと思う」
「勘兵衛と再会した時は物売りやってたしな‥‥。ところで、ハリウッドリメイクの『荒野の七人』では、7つの役割が正確に7人に対応してないね。結構混ざってる」
「最近のでは、三池監督の『十三人の刺客』が意外とちゃんと踏襲してる(前の工藤監督の方は見てないから知らんけど)」
「でも13人もいたじゃん」
「うん、だからそのうちの7人の性格づけをやってたわけだよ。リーダーが役所広司、サブリーダーが松方弘樹、イエスマンが沢村一樹、エースが伊原剛志、ムードメーカーが古田新太、トリックスターが伊勢谷友介、ルーキーが山田孝之」
「おお、きれいに嵌ってるわ。そのくらいしか個性が描かれてないと思ってたけど、やっぱりベースは『七人の侍』か。ここで残るのはトリックスターとルーキーだけど、トリックスターが生き残る意味って何だろう」
「共同体と共同体を媒介したり、組織と組織の架け橋になるような人がこれから重要になるということじゃないかな。良くも悪くも引っ掻き回す役だけど、その分一番本質的な目を持てる立場だから。菊千代も言ってたでしょ、『百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、人殺しだぁ、ハハハハ。でもな、そんなケチくさいケダモノを作ったのは誰だ。お前たちだぜ。侍だってんだよ。おい、どうすりゃいいんだ。百姓はいったいどうすればいいんだよう!』って。一つの共同体や組織の存続だけを考えていたら出てこない台詞だと思う」
*1:レビューではないが、『七人の侍』ファンのサイトの中の「もしも七人が学校教師だったら」(勝四郎がちゃんと「教育されるもの」になってる)と「もしも七人がバンドを結成したら」に笑った(映画見てないと面白くないです)。