映画コラム更新されました。
以下、本文からの抜粋でご紹介に変えさせていただきます。ぜひお読み下さい!
1月に亡くなった長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』(1979)は、原発からプルトニウムを盗んで個人で原子爆弾を作ってしまった高校教師・城戸誠(沢田研二)が主人公だ。国家しか保有できない核兵器を個人が持つ、それによって名もない一人の人間が国家を脅かす存在になるという意表を突いた設定の本作は、今なおカルト的人気を誇っている。
核兵器という脅威ほどあらゆる物事に影響を与え、人を動かす力を持ったものはない。この観点から今回『太陽を盗んだ男』と比較してみたいのは、黒澤明監督の『生きものの記録』(1955)だ。原水爆の放射能汚染の恐怖に取り憑かれ、私財を投げ打ってブラジル移住を画策する鋳物工場主・中島喜一(三船敏郎)が登場する。彼は、「加害者」然としている城戸とは反対に、強い「被害者」意識に突き動かされている。
この二作品の間には、1950年代半ばから1970年代末までの核や原子力を巡る社会情勢の変化のみならず、戦争を体験した世代と戦後世代の相違がくっきりと浮かび上がっている。ただ、いずれもそれぞれにとっての闘いを描いているという点では変わらない。それは、反核や反原発といった平和運動、社会運動からすれば”邪道”な、世界から孤立した個人の闘いだ。
