『ミッドサマー』と『ウィッカーマン』に浮かび上がる近代の限界

「映画は世界を映してる」、更新されています。

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数年前に話題になった『ミッドサマー』、たくさんの批評や感想が出ていると思いますが、それらとなるべく被らないように意識しました。
ウィッカーマン』との比較も、たぶんこの視点はまだないかと思います。

 

いずれの映画に現れる信仰体系も、カルトと古代宗教から要素を取り出して描かれており、合理主義、個人主義の現代人の世界観とはかけ離れているので、一般的には忌避感が先立ちます。最近の新興宗教への警戒感もそれに似たところがあります。

しかし振り返って、人間から信仰をなくすことはできるのか?それによって救われていること、歯止めのかかっていることもあるのでは?と考えると、そう簡単には否定できない‥‥そんな観点で書いています。

 

ちなみに「異教」という言葉をすべてダブルクォーテーションマークで括っているのは、主にキリスト教以外の宗教をそう呼んだという立場性のある言葉(時に侮蔑語となる)であり、あえて使っているということをわかるようにするためです。

 

なお、本テキストには、今一番面白いと私が感じている宗教学者の栗田英彦氏と、読書会などを通じて交流する中で触発されたことが反映されています。

こちらも参照のこと。