奇想天外「毬と殿さま」

先日触れた『コドモノクニ名作選 vol.3』に、童謡のCDがついていた。
大正から昭和初期に作られて、以後ずっと歌われている童謡は案外多い。「赤い鳥小鳥」「かたつむり」「赤とんぼ」「アメフリ」「グッドバイ」「赤い靴」「青い目の人形」「七つの子」「夕焼け小焼け」「月の砂漠」など。
このCDにもそのいくつかが入っていたが、その中に「毬と殿さま」があった。

毬と殿さま   作詞 西條八十  作曲 中山晋平



てんてんてんまり てんてまり
てんてんてまりの 手がそれて
どこから どこまでとんでった
垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ とんでった とんでった



おもての行列 なんじゃいな
紀州の殿さま お国入り
金紋 先箱 供ぞろい
お駕籠のそばには ひげやっこ
毛槍をふりふり ヤッコラサのヤッコラサ



てんてんてまりは てんころり
はずんでお駕篭の 屋根のうえ
「もしもし 紀州のお殿さま
あなたのお国の みかん山
わたしに 見させて下さいな 下さいな」



お駕籠はゆきます 東海道
東海道は 松並木
とまり とまりで 日がくれて
一年たっても もどりゃせぬ
三年たっても もどりゃせぬ もどりゃせぬ



てんてんてまりは 殿さまに
だかれて はるばる 旅をして
紀州はよい国 日のひかり
山のみかんに なったげな
赤いみかんに なったげな なったげな



絵本を見ながら、この歌を母から教わった。教わったのだけど、「金紋」だの「先箱」だの結構難しい言葉もあって、子どもの頭では正確に覚えきれなかった。江戸時代の参勤交代の大名行列がどういうものかも、よくわかっていない頃だ。
ただ、手毬が最後に「赤いみかん」になったという詞が何とも不思議で、嬉しいのか寂しいのかわからない複雑な後味があった。


改めて歌詞を読むと、かなり奇想天外である。
1番は子どもの遊びの中で起こったちょっとしたハプニングだが、2番でいきなり大人の世界(大名行列)が登場し、3番で手毬が殿さまに口を訊くという異変が起こり、4番でいったいどうなるのかと不安に思っていると、5番でえっ?と言うような結末が待っている。
視点を固定し一つの情景を歌った童謡が多い中、場面がどんどんダイナミックに移動していくのも斬新だ。子ども向けの物語は「行って帰る」が基本とされているが、これは行きっぱなしで戻ってこない。そこが、子どもの私にとっては複雑な後味になったのだと思う。
絵本には、色とりどりの糸を巻いて作られた昔の綺麗な手毬の絵があった。今だと民芸品として売られているようなものだ。おそらく女の子が大切にしていた手毬なのに、手毬は持ち主のことなど気にもとめず、初対面の殿さまに連れてってくれと頼み、あげくの果てにみかんになっちゃうなんて。手毬、ちょっと自分勝手だけど‥‥幸せそうだからまあいいのか。なんてふうに自分を納得させていたのを思い出す。


作詞の西條八十は、『コドモノクニ』の正月号(昭和4年)に載せる童謡として、正月の子どもの遊び、手毬、丸い、正月のみかんという連想で、この詞を書いたという。みかんの産地と言えば紀州・和歌山だから、そこと繋ぐために大名行列が登場したわけだ。
ところが『童謡の秘密 知っているようで知らなかった』(合田道人祥伝社、2003)には、思わずゾッとするような物騒な解釈が書かれていて驚いた。


大名行列が通る間、人々は道の両側で平伏してなければならず、顔を上げようものなら「切捨て御免」となることもあった。それは「子供とて同様」、そういう時代だった‥‥と述べた後で合田氏は、歌には歌われていない場面を臨場感たっぷりに描写している。

 行列が見えてきた。人々はひれ伏す。そのひれ伏した目の前を異様なものがコロコロ転がった。それは、毬だった。そう思った途端、お河童頭の女の子が飛び出してきた。もちろん毬を拾いに出ていったのである。しかし次の瞬間、侍の大きな声が聞こえた。
「無礼者っ!」
 ただひと声だった。刀がキラリと光った。”ばさっ”という音とともに女の子の体が崩れ落ちた。悲鳴すらなかった。肩先から胸に切り裂かれた傷口から、赤い血がただ、どくどくと流れていた。(p.182〜183)

 道中では、こういった事件がたくさん生じていた。そうして殺された女の子はというと、丸いお気に入りの毬に変身していたのである。魂が移ったとでも申そうか。
 実は当時の毬というもの、今みたいなゴム製ではなく、丸めた綿を芯にして表面を毛糸や糸で覆ったものだった。さまよう霊というものは、こういった動く動物の毛を大変好むという考え方がなされていた。
 大好きな手毬を追っていった女の子は、何の前ぶれもなく理由を聞かされることすらなく、ただばっさりと斬り捨てられた。
「一体、何が起こったのだろうか?」
 即死してしまい、痛みさえ分からぬ女の子は、目の前の毬に魂をのり移らせてしまったのだ。
  ♪はずんでお駕篭の 屋根のうえ‥‥
 とは、死ぬことにより浮遊した霊が、殿さまよりも上にいるという状態を歌っていたのである。でなければ、殿さまのお駕篭の上に乗るなんて、あまりにも不謹慎すぎるではないか。
 死んだ女の子の心は、毬にのり移って東海道を旅するのである。死んでしまったという意味、いなくなってしまったということを、
  ♪一年たっても もどりゃせぬ
   三年たっても もどりゃせぬ‥‥
 と表した。戻らないとは、もう二度と帰ってこない、つまり死んでしまったという意味になるのである。(p.183〜184)


ナ、ナンダッテー!! (`・д´・ ;)


合田氏によれば、「赤いみかん」の「赤」は少女の傷口から流れた血の赤である。
西條八十が生まれたのは明治25年。江戸時代の記憶をもつ人間はまだ周囲にいたから、昔を振り返って武家社会への反感や庶民の苦しみを思い出し口にしているのを聞いたであろう、それが八十の記憶に残っていたであろうというのだ。
あくまで著者の合田氏の推測であって、確たる根拠はない。


童謡ブームの火付け役と言われる合田道人氏はもともとは歌手で、この『童謡の秘密』以前に『童謡の謎』というシリーズが20万部超のベストセラーになっている。曲によって、よくリサーチし資料を掘り起こして書かれているのもあれば、書き手の推測の方が多めなのもある。
「毬と殿様」に関しては、推測が先走っている感がある。昔から伝わるわらべ歌なら、そういう庶民の恨みつらみをこっそり託したということもあるかもしれないが、雑誌に依頼されて子ども向けに書いたものに、作詞家がそんなおどろおどろしい意味を込めたとは思えないのだ。それを思わせるような資料もないわけだし。


しかしこの合田氏の推測、いや「妄想」は、私は嫌いではない。学術的な研究としては拙いだろうが、西條八十がファンタジーとして描いた毬と大名行列の取り合わせを、現実のものとしてベタに想像しているところが面白い。
ところがこうした一連の解釈を述べてから合田氏は「だが」と立ち止まり、「どうして死んだ少女の霊がのり移った毬が、「殿さまに 抱かれてはるばる 旅を」するのか?」という疑問を投げかける。少女の霊が気軽に「もしもし 紀州のお殿さま あなたのお国の みかん山 わたしに 見させて下さいな」などと話しかけるのもおかしい、と。


結局合田氏は、手毬とは女の子の霊ではなく、大人の女性のことではないかという結論に至る。つまり江戸から紀州に帰る道中で、殿さまが「お手つき」した女性が「(お国に)連れていってくれ」と頼んだのだ。「殿さまに だかれて」は「殿の寵愛を受けて」、「赤いみかん」は「赤子」のことである。
子ども向けの雑誌に載せる童謡に、わざわざそんな性的含みを持たせるかなぁという点がやっぱり疑問だ。あと、この解釈よりは、前の解釈の方がぶっ飛んでいて不気味で個人的には好き。


2001年に出た『本当は恐ろしいグリム童話』(桐生操、WANIBUNKO)が話題を呼び、「本当は怖い」系の話が流行ったことがあった。その手の本は必ずしも資料で明確な根拠を示しているわけではなく、解釈を飛躍させ煽り気味に書かれている傾向があったようだが、昔からよく知っている話、子ども向きと思われた話に実は恐ろしい真実が隠されていた‥‥!というのに弱い人は多い(私も弱い)。
合田道人氏の童謡の本のヒットはその後だから、ややそっちのムードに引っ張られて、面白いことを書こうとし過ぎたところはあるのかもしれない。しかしこの「毬と殿様」を初め合田氏の著作は、妙に熱の入った生真面目な語り口のせいか反発は感じず、むしろ細部にこだわるがあまりの深読みぶりというか妄想の発展ぶりがなかなか興味深い、ちょっと笑える読み物になっている。
資料にきっちり当たって作家像に迫り妄想は自重している本では、『謎とき 名作童謡の誕生』(上田信道、平凡社新書、2002)が良書。


童謡の秘密―知ってるようで知らなかった

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謎とき名作童謡の誕生 (平凡社新書)

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