私は「コドモノクニ」から来た

だいぶ前から気になっていた『コドモノクニ名作選』(全2巻/アシェット婦人画報社)と、それに続く『コドモノクニ』vol.2、vol.3 をまとめて買った。私にとって、三冊一気買いするには少々お高い買い物だったが思い切って。
『コドモノクニ』とは、関東大震災の前年の大正11年(1922)に創刊され、終戦の前年の昭和19年(1944)まで発行されていた、言葉とビジュアルが一体となった幼少の子ども向けの雑誌である。絵と詩、お話のコラボレーションから成るこの「絵雑誌」には、北原白秋、野口雨情をはじめ当時の一流の芸術家たちが参集していた。
数々の童謡を生み、戦後の絵本などに大きな影響を与えたその幻の雑誌が蘇るということで、最初の「名作選」が出た去年あたりにちょっと話題になっていたのである。


絵雑誌というだけあって、グラフィックが素晴らしい。
デッサンが確かで線が美しく子どもを伸びやかに描いた岡本帰一、無国籍風のファンタジー世界とデザインワークが特異な武井武雄、筆遣いが大胆で洗練された軽妙な持ち味の初山滋ほか、日本画東山魁夷や洋画の藤田嗣治三岸節子から前衛芸術家の村山知義まで、実に多くの画家たちが子どものために腕を競っている。
文化住宅」やデパート、ハイカラな文化・風俗(と、対照的な田舎の情景)、当時の子どもの生活や遊びの描写は興味深いし、画家の個性を見比べるのも面白い。
子どもが見て楽しいのは当たり前だが、大人が見てもノスタルジー抜きに十分楽しめるのは、子ども騙しではない高度な仕事がしてあるということだ。ここには戦前のモダニズムが高揚した時代のセンスと技量が集結していたのではないかと思える。


当時の日本の前衛芸術には、日本と西洋の間の”葛藤”があった。それが表現のぎこちなさや重苦しさとして伝わってくることがあった。「新しいもの」=モダンとどう格闘し自分のものとしていくか、画家たちは悩んでいただろう。
しかし『コドモノクニ』では、そのモダンな要素が親しみやすく洗練されたかたちで消化されている。1920年代のデザインのエッセンスも随所に取り入れられている。あたかも、常に「新しいもの」にワクワクする柔らかい子どもの心とアーティストの心が共振しているようだ。
絵本の絵、子ども向きの絵というのは一般に、古典絵画ほどには厳しい具象性を追求せず、前衛芸術ほどには極端な抽象化に向わない丁度中間のところにある。これはマンガとも共通する面だが、その独特の形式が『コドモノクニ』の中で出来上がっていったように思える。


「日本初の大判厚手紙、5色製版オールカラー印刷」の豪華雑誌で、価格も当時の絵本の4〜5倍したらしい。それだけのものを作るのに、作家にはやはり相当高い画料、稿料が払われたようだ。
解説によると、武井武雄は3年前に東京美術学校を卒業し、結婚したばかりの貧しい新人画家だったが、才能を見出され、創刊号のタイトル(以降ずっと使われた)、表紙、裏表紙を描いた。大抜擢だ。その時の画料が110円だった。
小学校教員の初任給が50円、国会議員の月給が250円くらいの時代である。110円の郵便為替を受取った武井夫人は、郵便局に換金に行くのに足が震えたという。


高い理想を掲げ、さまざまな才能と知恵が集結されて作られた『コドモノクニ』。
戦前の日本に子どもを対象にしたこうした質の高い贅沢な雑誌があったのは、1920年代から30年代、サラリーマン(当時は大学出のエリート)を中心とした都市の中産階級が台頭したことと、子どもが子ども固有の文化をもつべき対象としてクローズアップされてきた背景があったからだ。
大正7年(1918)に鈴木三重吉によって創刊された児童雑誌『赤い鳥』や翌年創刊の『金の船』など、この時期は日本の児童文学の勃興期である。そこにある、子どもを無垢なものとして捉えようという考え方には、失われた「純粋」「純真」に憧れ癒されたいという大人の願望、ユートピア願望も反映されていたかもしれない。
だが一方でそれは、子どもの心に寄り添うリズミカルで親しみやすい日本語と楽しく美しい絵を数多く生み出し、子どものさまざまな感情、感覚を刺激し、子どもの世界を広げた。そういう文化を戦前は上〜中流中流と言っても全体からしたら上の方)の子どもだけが享受していたが、戦後は多くの子どもが受け取れるようになった。
その子ども文化=「コドモノクニ」が、時間と手間暇かけて丁寧に育てられてきた本当に豊かなものであることは、子どもの頃にはわからない。大人になって一度忘れてから、何かの折に気付く。自分がどこから来たかということを。


自分の生まれる何十年も前の絵雑誌に何故こんなに興味を引かれるのかと言えば、単に昔の子ども文化に関心があるからだけでも、将来幼児・児童教育に携わる学生の造形実技を指導しているからだけでもない。
私の子ども時代は1960年代だが、その時自分がどっぷり浸かっていた子ども文化は、どこかで確実にこの戦前の『コドモノクニ』に繋がっているのである。行事や家の内外の遊びもそうだし、例えばNHKの『みんなのうた』などにもその匂いは濃厚にあった。
そういうことに気づいたのは、子どもの頃、絵本の挿絵で見て強烈な印象を焼き付けられ、隅から隅まで何度も舐めるように見、造形感覚だけでなくたぶんもっと深いところにある感覚に影響を受けた武井武雄初山滋といった画家が、何十年も前に活躍しそのスタイルを確立していたことを知ってからである。
ページを繰りながら、そこに描かれてある戦前の風物や出来事の古さを超えて、私は自分の忘れていたことを思い出していた。私は「コドモノクニ」から来たのだった。