言葉

タロと名を呼ばれた時はタロになる自分が誰か俺は知らない

飼い犬のタロ(柴のオス)が詠み手という想定の「犬短歌」をTwitterで詠み出して、半年経った。短歌や俳句に関して私はまったくの素人でほとんど作ったことがなかったが、偶然、主体が犬の俳句ができたのをきっかけに、面白がって始めた。俳句もいくつか作っ…

「差別」と「欲望」についての断片

例によって少し前の呟きから抜粋(人のtweetに反応したものだが、単体で成り立つよう若干手を入れた)。 ● 差別(偏見や先入観などを元に特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをする)とは単に好き嫌いの感情ではなく、構造的な権力関係を前提としてマジ…

「愛の言葉」とコミュニケーション強制ギブス

「社会に通用する奴」は多様化しなかった - シロクマの屑籠 ポスト工業化社会の労働者の人間疎外とは、生産ライン上で同じ肉体労働を繰り返すタイプではなく、コミュニケーションを強いるタイプになるのだろう。いや、もう既にそうなっているか。 この最後の…

「わくわくが止まらない」が止まらない

時期外れの話題だが、大学の学期末レポートを読んで気になったこと。 地方の芸術系大学の1年生中心の一般教養のレポート。最近目につき出したのは、以下のようなフレーズ(今期の例)。 ・わくわくが止まらない。 ・精一杯の私で応える。 ・好きを追求して…

「漢字にルビをどこまで振るか」問題

ここのところずっと来月出る自著の校正をしていたのだが、一番悩んだのは、漢字のルビをどうするかという問題だ。 元のテキストはウェブ連載だったこともあって、ルビはない。もともとそれほど難解な漢字は使わないし、聞いたことがないような熟語も使ってい…

「わたしのきれい」とか「みんなのうれしい」とか

最近、広告のコピーなどで使われている表現で、気になっているもの。それは形容詞をそのまま名詞として使う言い方だ。たとえば、 ・私のきれいを支えてくれる ・みんなのうれしいを実現します 「きれい」「うれしい」というポジティブで明るい形容詞を印象づ…

「〜かなと思います」という言い方

少し前に、「〜させていただきます」という言い方の不自然さについて記事が上がっていた。 丁寧"のつもりが、"慇懃無礼な印象"に?!『させていただく症候群』 - NAVERまとめ 視点・論点「させていただきます症候群」|視点・論点|NHK 解説委員室|解説アーカ…

「芸大」という呼び名にまつわる意識と心理

先日、ブックマークコメントで見事に噛み合わないやりとりをした。 発端は疲れたというタイトルの増田の記事で、この中に、芸大を受けたが志望校は失敗し、「別の一番入りやすかった芸大」に入ったという記述が出てくる。これに対してブコメで「芸大落ちたの…

音漏れの加齢臭

昔、大平正芳という政治家は、発言の中でやたら「あーー」とか「うーー」を挟むので、あーうー宰相と呼ばれていた。あーうーを除いたらもっとイライラせずに聞けるし発言時間も短くなるのにと、みんなが思っていた。 今はあんなふうにあーうー唸りながら答弁…

「どちらが真の弱者か」をめぐる闘争

このあたりに始まる小田嶋隆氏の「失言」問題が、まだ尾を引いているようだ。ご当人が自己弁護のつもりでブログに過去のテキストを発表したが、それが自身が否定している「バックラッシュ」や「ミソジニー」をそのまま体現しているとして、また批判を呼んで…

「お世話になっております」の世界

仕事のメールの冒頭に必ず「お世話になっております」とつけるのは、何故なんだろう。 世事に疎い私だが、最初にそのメールをもらったのは、非常勤で行っている私立学校の教務からの事務連絡だった。こちらはその学校に講師として雇われている、つまり「どち…

粘土と言葉

学校で人体彫刻を学んでいた期間だから、だいたい16歳から20歳くらいの頃。塑像の心棒を作るのが好きじゃなかった。 小割り(3、4センチ角の角材)と番線をシュロ縄で括りながら組み立てるのだが、これで大丈夫と思って粘土をつけていくと、中の心棒に対し…

「現代アート」をめぐる溝(ブコメを眺めて思ったことなど)

先日書いた「うちらの世界」と文化の溝という記事のエントリーページを見たら、現代アートの世界なんて「うちらの世界」とどっこいどっこいかそれ以下ですよね、現代アートってあんなバカやこんな愚行が通る世界ですよね!的なコメントがいくつかあってスタ…

「真意」と「誤解」 - 猪瀬直樹の発言をめぐって

朝日新聞デジタル:猪瀬知事「不適切な表現、おわび」 五輪招致巡る発言 - 社会から 2020年五輪招致をめぐり、東京都の猪瀬直樹知事がインタビューで他の立候補都市を批判する趣旨の発言をしたと米ニューヨーク・タイムズ紙が報じたことについて、猪瀬知…

名前の煩悩とナルシシズム

大正時代から現在に至る女性の名前の変遷を辿る記事が、ブックマークを集めていた。 女性名から「子」が消えたワケ? 明美が分岐点:日本経済新聞 *1 自分のブコメ ohnosakiko [女][資料]戦前生まれの母も義母も「和子」。戦後の「恵子」は女優の淡路恵子や…

ガクッドキッグサッ、そしてもふもふ

期待していたことが外れた時に「ガクッ」、突然不安になった時に「ドキッ」、図星を突かれた時に「グサッ」と口に出して言うようになったのは、いつ頃からなんでしょう? 記憶があまり確かではないが60年代末から70年代初め頃には、子どもだけでなく大人の一…

昭和30年代懐かし言葉チェック

少し昔の日本映画(現代劇)を見る楽しみはいろいろあるけれども、私の場合その一つに、今とは少し異なる言葉遣い、今は廃れた言葉遣いの、こそばゆくも懐かしい感じを楽しむというものがある。 その楽しみに目覚めたのは小津安二郎の作品から。このコメント…

○○・であった・り・です・とか

○○とか××とか△△とか‥‥。会話では頻繁に使うし、ブログなどのラフな文章でも普通に使う「とか」だが、以前、送った原稿にこれが多かったことについて、編集者に「あまり多用するのはどうでしょう。何かを列挙する時は、できるだけ”や”にした方がいいのでは」…

線を引く

文章を書いていると、自分だけのオリジナルな考えなどないなぁとつくづく思い知らされることが多い。大抵のことは既に過去の賢人たちが言い尽くしている。私も含めて凡人は、賢人たちが言い尽くしたことの断片の更に劣化したやつを、ゴニョゴニョと弄くり回…

奇想天外「毬と殿さま」

先日触れた『コドモノクニ名作選 vol.3』に、童謡のCDがついていた。 大正から昭和初期に作られて、以後ずっと歌われている童謡は案外多い。「赤い鳥小鳥」「かたつむり」「赤とんぼ」「アメフリ」「グッドバイ」「赤い靴」「青い目の人形」「七つの子」「夕…

後から発見されるもの

おおまかな内容を決め、骨組みを作り、最終地点を予測し、必要な情報などを揃え、それに沿って比較的スムースに書いてきた25、6枚の原稿があと数枚というところでピタッと止まってしまい、全然前に進まなくなった。諦めて数日、関係ない本などを読んだりして…

「寛容」という言葉

日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シロクマの屑籠(汎適所属) 「昔の日本人が寛容だった」というのはあくまで「身内」に対してであり、かつてのような地域社会の密接な人間関係が崩壊した結果、「身内」と呼べるような相手がいなくなっ…

フェミニズムは学問か運動か、研究か宗教か

数日前、コメント欄でフェミニズムの話になった。なかなか議論喚起的な内容だと思うので再掲したい。ただかなり長いので、申し訳ないが脂さんの発言はかなり刈り込ませてもらった(同じことの言い換えになっている部分や後半の若干ヒートアップしている部分…

ファリックマザーとかナチュラルメイクとか

読んでる人は読んでるが、読んでない人は全然読んでない(当たり前か)拙ブログのコメント欄。 この10日ほど同じ名前の書き込みが連続している場面を見て引いていた人もいるかもですが、ざっくり言うと脂さんという人による「ohnosakikoという症状」分析です…

「おばさん」という呼称

だいぶ前の友人の話。 彼女と旅行に行き、土産物屋に入っていろいろ物色していた。レジには歳の頃50代半ばくらいの中年女性が座っていた。やっと決まったお土産品をレジに持っていくと、その人は奥の座敷の方に引っ込んでしまったのかいない。そこで彼女が、…

http://www.s-hoshino.com/f_photo/s_hana.html 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。美人は昔からよく花に喩えられる。職場の花、壁の華、○○の名花。「きれいな薔薇には刺がある」も、美しい女性をイメージしている。 古典的なポルノ小説などでは女…

鳥は自分の名前を知らない

子どもの頃、文鳥を飼っていた。とてもよく慣れて、私の掌から餌を食べ、肩や頭に止まって休んだ。ピヨと名付け時々部屋の中に放って遊ばせていたが、「ピヨ、ピヨ」と呼ぶとパタパタと飛んでくるのが可愛かった。 文鳥が自分の名前を認識していたとは思えな…

「骨」で骨抜きにする話

子供の頃にテレビで観た映画の物語はすっかり忘れているのに、ある場面、ある台詞だけが妙に記憶に残っていることがある。 先日「骨」について書いたので、その「骨」絡みで忘れ難い台詞について。喋ったのは佐久間良子。 佐久間良子と言ってももう御年70歳…

女の子がだっこされて言ったこと

SMを求める理由 - 雨宮まみの「弟よ!」 SMを求める気持ちの中には、理性を捨てて泣いたり甘えたりしたい、つまり子供になりたいという感情があるのではないかという記事。これはこれでそうかもなぁと思ったのですが、私が引きつけられたのは冒頭のエピソー…

「お疲れ」は別れの挨拶

「やべぇ」が「凄い」という意味で若者の間でカジュアルに使われているという件につき、自分の身の回りの例をこちらの記事で書いてみたが、以前からもっと気になっている言葉がある。 デザイン専門学校の学生が時々私に対して使う、「お疲れっす」という言葉…