自由業の40歳の壁 - wall of around 40*s - by竹熊健太郎氏
サブカル系のフリーライターは40歳越えると仕事がだんだん減ってくる、という話。以下tweetを抜粋して感じたことなど。
「サブカルは40歳越えたら鬱になる」というのは正確でない。「自由業は40歳越えたら鬱になる」が正しいと思う。この辺りからだんだん仕事が減るからだが、なんで減るかというと、仕事を発注してくる社員編集者が、だんだん自分より歳下になるからである。
— 竹熊健太郎《編集家》 (@kentaro666) 2014, 10月 11
案外、一回でもプチヒットを経験した人が「これでいける」と思い込み、ちょっと微妙な感じになってきても「わかるやつにはわかるんだ」とそれこそ加齢臭の漂うテキストを書き続け、だんだん避けられるようになるというパターンが多いのかもしれない。サブカル周辺に限らず、いろんなジャンルでありそうなことだ。‥‥‥気をつけよう。
文筆業で自由業というと、ま「若者向けライター」という意味だが、ターゲットが若者である以上、現実の若者の若者ライターと40を越えた「若者業者」のおじさんライターが戦わなければならない。勝てるわけないじゃないですか。だから皆「先生」になろうとするわけ。「若者道」の先生に。
— 竹熊健太郎《編集家》 (@kentaro666) 2014, 10月 11
むしろ「サブカルはおじさんのもの」と割り切り、自分と同世代の元サブカル少年のおじさん層向けに内容をシフトして支持を得るとか、蓄えたサブカル知識をアーカイヴとして活用するサブカルに特化してない評論家として売り出すとかの道は探らないのだろうか。と思ったが、そういう席はもう一杯で入り込む余地がないか。
ごく稀に、40歳を越えても仕事が繋がっている自由業者が存在する。そういう人は次の2パターンのどちらかが多いです。即ち「?性格は悪いが、ヒット作を持ち、固定読者がいる」「?性格がよく、〆切を必ず守る」
— 竹熊健太郎《編集家》 (@kentaro666) 2014, 10月 11
「性格は悪いが、ヒット作を持ち、固定読者がいる」のは才能のある人、「性格がよく、〆切を必ず守る」のは処世術に長けた人だ。どちらも碌にない年上ライターのご機嫌取りながら、一緒に仕事したいと思う編集者はいないだろうなと思った。
しかし後者が独立して書かれているのは、こういう業界も人間関係構築力というか、人当たりの良さと信用で成り立つ部分が多いので、書かれたもののレベルはそこそこでも、腰が低くて必ず期限内に納品してくれる業者(ライター)が重宝されるということだろうか。才能はあまりなくても処世術で生き延びる‥‥どこの業界にもあるのかもしれない。
サブカル系ライターの話ではないが、この間、朝のラジオ番組で作家の高橋源一郎が、昔、連載分を書けていない某作家が〆切を遅らせようとした例として、「編集者が自宅まで原稿を取りに行くと、「なかなか来ないからもう落ちたと思って今原稿全部捨てちゃった」と言う」という凄い言い訳を紹介していた。高橋源一郎自身もかなりの遅筆で、ある時印刷所に電話して入稿日を聞き出し、「◯日なら印刷所はまだ間に合うでしょ」と編集者に言ったことがあるらしい。編集者の言う締め切り日は余裕を持たせてあるから、それに間に合わなくても印刷に間に合わせればぎりぎり大丈夫というところを突いた手。
作家の随筆などでもたまにこうした話が出てくるが、それも大概は売れっ子だから編集者泣かせの舞台裏話として面白いのであって、大して売れていない人なら「何様のつもりか」ということで早晩切られるだろう。
フリーランスの職業は売れている一握りの人以外、身内の援助なしに長く続けていくのは難しいという話はリアリティがある。会社にこき使われず、自分のしたい仕事を自分のペースで続けるのは、とても贅沢なことなのだ。
アーティストの場合は35歳くらいで壁がある。基本的には発注されて作るわけではないので、よほどの信念と情熱がない限りは生活苦で辞めるか、完全に割り切ってデパートの売り絵などを目指すかに道が分かれる。今は、35歳よりもっと早い時期で見切りをつける人が多いようだ。
サブカル系ライター業で自活している人はどのくらいいるのだろうか。そう言えば最近、ヴィレッジヴァンガードの出しているフリーペーパーの記事ということで、フリーライターの人から「ラッセン問題」で取材された。若くて好奇心旺盛のなかなか元気な人だった。竹熊健太郎のファンらしいので、あの一連のtweetも読んでいるだろう。どんなふうに思っているだろうか。
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ここからやや個人的な話。
私はフリーライターではなく、非常勤講師業と並行して細々とものを書いているという状態*1だが、書き始めたのが40代半ばだったので、最初の本の編集者とは20歳近い歳の開きがあった。この人にずいぶん鍛えられた話はずっと前に書いたけれども、こちらは初心者だからそれは当たり前だったし、締め切りを守るというのも当たり前だと思っていた。
だがその編集者曰く、「守れない人もいます。書き上がってないのにすぐ飲みに行っちゃったり」。いわゆる逃避ですね。「ずっと年下の編集者から文章について細かい指摘されるのを嫌がる人も」。自尊心が邪魔するんですね。やはり書き手がかなり年上だといろいろ気を遣って大変そうだ。
処世術があるというより単に気が小さくて、偉い作家でもない私は、締め切りは極力守るようにしている。
数日余裕をもって手帳に印をつけ、予定通りに捗っていないと間に合うかどうか不安になって、他の仕事や用事をしていても落ち着かない。お酒飲んでても全然おいしくない。締め切り日が近くなると、宿題を全然やってないまま当日になってしまった夢とか、ピアノの練習をしてないのに先生のところに行かなきゃいけない夢などを見ることがある。
締め切りは恐い。でも締め切りがあるから「書き終える」ということができる。ないと、いつまでもグチャラグチャラと文章を弄くってしまう。まあそれも、月1連載が1つであとはたまに単発の仕事があるだけという状態だからだ。ごく稀に締め切りが近いところで2、3本重なると、血圧が上がりそうになる。
私のような者から見ると、連載を5つも6つも抱えている人はどんだけタフなんだろうかと思う。才能や処世術も大切だが、続けていくのに一番必要なのはスタミナではないだろうか。