「一生懸命勉強するしかないって感じ」「あなたはとっても可愛かった」

実家で、母や夫と一緒に、昔の家族のアルバムを見ていた時のこと。
「お母さん、美人だねー」「◯◯ちゃん(妹)、可愛いなぁ」などと褒めた後、夫は私の小学生の頃の写真に、「うーん。これはもう、一生懸命勉強するしかないって感じだな」と言った。なんだとぉ‥‥。
「いやだって、女の幸せが顔かたちで決まるってのは、ずっとあったじゃないか」ということを、モゴモゴと彼は抗弁した。自分は、そういうジェンダー規範が強かった現実社会を前提として、モノを言っただけだと言いたいらしい。
だがそんなことを言えば、「じゃあ、あなたが私と結婚したのはなぜ?」と聞かれると予想できるだろうに、本人は予想していない。そして案の定聞かれて(別に今更答えが欲しいわけではないがお約束なので)、「わからない」「忘れた」と答える。脇が甘い。


それはともかく、確かに客観的に見て若い頃の母は美人だし、妹は私より可愛い。あまり可愛くなかった私が子どもながらに、「私は可愛くないから、他に勝負できることを早く見つけよう」と漠然と思っていたのは事実だ。もちろん刷り込みもあった。
女の子は器量。器量が良ければ結婚も良い相手を選べる。器量の良くない子はお嫁に行けないかもしれないので、頑張って勉強して仕事をもち、一人でもやっていけるようにしないと。
そういうことは、公然と口に出しては言われなかったが、半世紀前は多くの人にとって当たり前の考え方だったと思う。今でもまだ残っているかもしれない。


ぼんやり考えていると、夫がまた口を開いた。
「ここのお父さん(故人)だって、お母さんがこんな美人だったから結婚申し込んだんだよ。ねえ」(母に同意を求める)
ああまた墓穴を掘っているね。どういう墓穴か、自分でわかっているのかね。相当深いよ、それは。
しかし母は笑って言った。「まあ、お父さんは面食いだったから」。わー。(元)美人の上に天然だ。


そんな母から見て、娘の外見はどう映っていたのか。下の子はまあまあ可愛いけど、この子はちょっと‥‥などと、母親が冷静にジャッジすることはあろう。なぜお父さんに似たのかしら、私に似れば美人だったのに、とか。
だが、何を聞いても母は「あなたはとっても可愛かったわよ」と言うばかりだった。その「可愛い」は親から見て自分の子どもが可愛いという意味の親フィルターのかかった可愛いでさ、こっちは客観的に見た場合のことを言っているのだよ。
しかし、母は客観的なことは決して言わないのだった。
母親というのはそういうものなのだろうか。