老人たち

父を介護している母を訪ねてまた実家に行くと、「今、これ読んでるの」と母が差し出した本が、『母の遺産 新聞小説』(水村美苗中央公論新社、2012)だった。


母の遺産―新聞小説

母の遺産―新聞小説

家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。若い女と同棲している夫がいて、その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。ママ、いったいいつになったら死んでくれるの? 親の介護、姉妹の確執…離婚を迷う女は一人旅へ。『本格小説』『日本語が亡びるとき』の著者が、自身の体験を交えて描く待望の最新長篇。
amazon「商品の説明」より)


新刊情報に疎くて未読だったが、ちょうど実家に来る前に寄った美容室で読んだ『婦人公論』の中の、水村美苗小池昌代の対談で本書を初めて知り興味をもったところだったので、なんとも奇遇に思えた。
母は近くに住む叔父(母の弟)の奥さんから借りたという。新聞広告の切り抜きも見せてくれた。そこにも掲載されているこの本のキャッチコピーは、老いた母親の介護に疲れ果てた娘の口には出せない本音である「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」。


母はそのコピーを呟いたあとで、「私もそんなふうに思われる時が来るのかしらってね」と、サラリと言った。あまりにサラリと何気なく言うので、咄嗟にどうリアクションしていいのか困ってしまい、「おばあちゃん(母の母)は突然死んだよね」と、叔父と同居していて15年前に亡くなった祖母の話を振ってみた。
「あの人はほんとに理想的な死に方したわねえ。一週間くらい前からちょっと調子が悪いってベッドに休みがちになってて、御飯も自分の部屋に運んでもらってて、それである朝ポックリと死んでたんだものね」
「ボケてなかったし」
「自分のことは大抵何でも自分でしていたからね。それにとっても優しい人だったわねぇ。怒られたって記憶、全然ない。誰にでも優しかったわねぇ。クラスメートにもいつも「カズコと仲良くしてくれてどうもありがとうね」って言ってねぇ。Kさんのお母さん、きれいでとっても優しそうって羨ましがられたものよ」
母はひとしきり自分の母の思い出を語った。母にとって彼女はいわゆる支配的強権的な「毒母」ではなかったようだ。*1


たしかに記憶を辿っても、母方の祖母はサッパリとしたとても穏やかな人で、皆に好かれていた。父の母とは対照的だ。
父方の祖母は性格がキツく、ズケズケものを言うタイプだった。結婚の遅かった末っ子の父が同居していたわけだが、寝たり起きたりの生活になりボケの入ってからはさらにキツく我がままになり、孫の私の目から見ても世話をしている母が本当に気の毒だった。父と何度か激しく衝突して祖母はとうとう家を出、長男の家、長女の家とたらい回しになり、そこでも数々の揉め事を起してから亡くなった。
トラブルメーカーだった祖母が他界して、親戚中が口には出さないがホッとした。母が急に元気になったのを覚えている。まさに(義理の母だが)「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」ということだったのだと思う。
そういう経験をしている母は『母の遺言』を読みながら、そこに描かれている娘を振り回す個性の強い「ママ」と自分とはまったく正反対のタイプなのにも関わらず、自分が将来長患いしたりボケたりして、介護することになる娘の私に疎まれるのではないか、そうなる前に死にたいなぁと思っているのかもしれない。



先日、こちらのコメント欄で薦められた谷口ジローの『犬を飼う』を読んだ。ほとんど寝たきりになった老犬と飼い主夫婦との8ヶ月あまりの日々を描いたもの。どんなに弱っても生きようとする、犬の本能に組み込まれているだろう生へのストレートでシンプルな態度に、胸を衝かれた。以前、飼い犬を死なせかけた時、一旦は医者に見放された犬を憐れんで「私だったらもう死にたいと思ってしまう」とこぼしたら、夫が「動物は生きることしか考えていない」と言ったことを思い出した。
マンガでは、結構大変な犬の介護の様子に、近所のおばあさんが漏らす台詞が印象的だ。おばあさんは飼い主の妻に「ほんとにねぇ‥‥よくやるわねえ」と声を掛けた後で、犬を撫でながら話しかける。
「おまえ‥‥いつまで生きてるつもりなんだろうねえ」
「早く死んであげなきゃだめじゃないかね」
「おまえ‥‥わかるだろ? あたしもさ、早くいっちまいたいんだよね」
「楽しいことなんかなんにもありゃしない」
「あたしゃね、迷惑かけたくないんだよ‥‥。この子だってそう思ってる。そう思ってるんだよ」
「でもね、なかなか死ねないんだよ‥‥。なかなかね‥‥死ねないもんだよ」
「思うようにはね‥‥。なかなかいかないもんだね」


老人が周囲の人への気遣いからだけでなく、しばしばそういう心境になることを、義父の家出で私は知っている。実際、母も義母も同じようなことを時々口にする。母など「癌になっても治療はしないから。寿命だと思ってそのまま死なせてもらう」と言っている。どちらかというと、主婦として家の中で衣食住に関わることを引き受けてきた立場の女性の方が、「自分で自分の世話もできなくなる前に死にたい。人の迷惑にはなりたくない」という考えになりやすいかもしれない。
「迷惑」の延長線上に社会福祉はある、ということになっている。でもこのマンガのおばあさんのような考え方を、悲観的で抑圧的だ(あるいはそう思わせる環境や社会が悪い)と批判する気にはなれない。とても人間的な感情だと思う。誰でも死ぬまで生への意欲に溢れているとは限らないし、長生きをすることが善という考えが必ずしも正しいわけではない。
そういう老人に生きていてほしいと思ったら、「いなくなったら私が寂しいのでどうか長生きして下さい」としか言えない。誰にもそう思われていない、死ぬのを待たれているだけだとわかった時、人はどれだけ深い孤独の中に取り残されるだろうか。それを味わいたくないから、「早くいっちまいたい」ということもあるのではないだろうか。


親たちの中では唯一、最高齢の父だけが考えが違うようだ。自宅を訪問した時、父は珍しく床から起きて本を読んでいた。見たら『長寿の秘訣』。平均寿命を超えてもまだまだ生きたいという欲がある。
「お父さんはおばあちゃん(父の母)に似てるのよ」と、微妙にウンザリした顔で母は私に言った。「いったいいつになったら死んでくれるの?」とまでははっきりと思っていないだろうが、「食べることにしか興味がないのに、何を楽しみに長生きしたいのかしらねぇ」と言いたげではあった。
‥‥と書いてくると、父は「生きることしか考えていない」動物に近いようであるが、父の生への執着もまた、「早くいっちまいたい」のと同じく、実に人間的な感情であることには変わりないのだ。



犬を飼うと12の短編 (ビッグコミックススペシャル)

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*1:ただ、父や姑の下で自分を強く出さずひたすら”良妻賢母”をやってきた母の鑑は明治生まれの祖母だったし、母は決して祖母に背くような生き方は選択できなかったから、そういう意味では祖母は母にとってやんわりと包み込むタイプの「毒母」になると言えるのか‥‥とも思う。「父の娘」の私にとって母が何なのかは、ゆくゆくじっくり考えたい。追記:と書いてリンク先をよく読み直したら、斎藤環の言う「毒母」とは「戦後民主主義というタテマエと、男尊女卑というホンネのギャップが極大だった時代に、ねじれた抑圧をうけ続けた女=母たち」「団塊」ということらしいので、世代は限定されていた。するとその娘は、30代後半が中心ということか。その前後の年代の著者による「毒母」ものが目立っているのではあるが、さて。