ビフォー・アフター・アフター

斜陽の街のリフォーム

私の住んでいるのは、名古屋から北西部に快速電車で10分ほどの近郊の田舎街だが、更に快速で北に10分足らずのところに、岐阜市がある。
岐阜は繊維織物の地場産業で栄えた街で、昔はファッション関係や飲食関係も個性的な店が多く、かなり盛り上がっていたという。最盛期はよく知らないが、その後足を運んだことは何度かある。
ということで、今回は超ローカルな街の話。


こないだの土曜日、友人を訪ねて久しぶりに岐阜を訪れた。JR駅前は再開発の真っ最中で、見覚えのある建物が様変わりしていた。どこにでもある何の特徴も魅力もない地方都市の表玄関といった風情。
土曜の午後だというのにあまり活気がない。新しく出来た駅前ビルは、テナントが入らなくて閑散としているらしいし、メインストリートもシャッターを下ろしている店が目につく。ゆるやかに斜陽の街となりつつある印象を受ける。


金華山のふもと近くまで行くと、昔の家並みが保存されている通りがある。そこで、京都の町家のような奥行きのある古い家屋をカフェにしたお店に入った。
ほぼ昔の作りのままで、二階には広々した二間続きのお座敷があり、網戸もサッシもない出窓から金華山が見える。磨かれた古い柱と神代杉の天井。
こういう部屋で寝転んで読書したり、ビール飲んだりしたら気持ちいいだろうなあ。コーヒーゼリーじゃちともの足りん‥‥。


和室の居心地良さにすっかりくつろいでいたら、数人のおばさん観光客がどやどやと上がってきた。
「あらお客さんがいらっしゃるわ」
「まあ、素敵なお座敷ねえ」
「ここでもお茶頂けるのねえ」
などと部屋を眺め渡し、欄間や掛け軸などを観賞し、窓から外を覗いたりして、またどやどやと降りていった。一階でお茶した帰りがけに、二階が気になって見学していったものと思われる。


レトロモダン、「和」流行りであるから、こういう店は若い人にも人気である。建築家の友人の話だと、昔の織物長者の屋敷や蔵を改装して、バーやレストラン、ライブハウスにしているところはちょくちょくあるらしい。
斜陽の街とは言っても、まだ結構な金持ちがいるのか、外からの資本が投入されているのかは知らないが、古い歴史のある街だけに駅周辺の感じと違う部分はある。
しかし、昔の民家を取り壊して出た古材、廃材は人気で、かなり高く売られているという。
古家を生かした改装をするにも、建て替えと同じくらいの費用がかかったりするし。蔵を再利用した店では換気がうまくいかず、内装の際の匂いがとれないところがあるとか。古いものが再利用できてよかったよかった、というわけにもいかない事情もあるようだ。


視聴者の民家を予算に応じて全面リフォームする模様をドキュメントする、『ビフォー・アフター』という番組がある。
住み難かった家が「匠」(建築業者のことをこの番組ではそう呼んでいる)のワザによってびっくりするほど生まれ変わり、家族一同泣いて喜ぶというのを昨日もやっていた。見ているとなかなか斬新なアイデアを使い、隅々まで気配りの行き届いた素晴らしいリフォームがされているように思われる。
ところが、テレビに映っているぶんには素晴らしく見えるのだが、後で使い勝手が悪かったとか何だかんだと細かい問題が出てきて、またそれを直さねばならないという「ビフォー・アフター・アフター」な、笑えないケースもあるとか。


リセット(スクラップ&ビルド)かリフォームか。最近の古いもの見直し、保存ブームではリフォームということになろうが、街レベルだと大概岐阜などのように、公共性の高い場所ではビルの建て替えなどばんばん行って土建業者を儲けさせ、ちょっとはずれたところにある古い町並みは、ちまちまと文化保存みたいな二段構えである。
この二段構えがクセもの。
リセットは利便性と機能性を求める心情に訴え、リフォームは伝統文化と癒しを求める心情に訴える。
古い街の保存と見直しは、実はリセット批判であり消費主義批判のはずだが、なぜかこの二つは共存しているのである。


先の店のある通りも、県の町並み保存区に認定されている。ほとんど駅前開発をするための免罪符として、残されているという感がある。そして「あら岐阜も近代的なきれいな駅なのねえ」とか言いながらタクシーに乗ってやってきたおばさん達が、「まあ素敵に使っているとこもあるのねえ」と感心して帰っていくのである。
どっちも来訪者には見栄えのいい快適な「アフター」。よくできているものだ。

商店街のアイドル候補

さて、岐阜の街中には名古屋の大須にひけをとらないような、古くて巨大なアーケード商店街がある。昼間なのに人が少ない。数年前の夜に歩いた時も、一般人よりお店関係の人の方が目についたくらいだった。名古屋、岐阜では最後の流しのギターの人を見たのは、このアーケードの中の渋いスナックであるが、その店も流しの人も姿を消したらしい。
駅前ビルより古い家並みより、こういうところを活性化させないと街としてはダメだろうが、うまくいっていない模様である。
これも数年前に、岐阜出身の日比野克彦が芸大の学生を連れてアートイベントを催したことがあった。町起こし的アートイベントはいろんなところで盛んのようだが、岐阜のような中途半端な規模の都市で単発的にやっていても、なかなかうまく機能しないだろうと思う。


アーケード街の脇には駅までまっすぐ通じる石畳の小道があり、新旧のお店が並んでいる。小洒落たショップと昔ながらの商店がいい感じに共存していて、この通りを歩きたがる人は多い。
ところがこの数年でここもやや様変わりしており、古い店がほとんど消えて新しい店も店舗改装の最中だったりしているのであった。結局そこらの「若者通り」になるのかもしれないが、若者は名古屋に買い物や遊びに行くのである。そんなことはわかっているはずなのに、道を間違っている。


岐阜らしい街にするにはどうしたらいいか?と岐阜出身者でもないのに考えてみた。
岐阜県林業が盛んだから家具屋が多い(はずである)。手作り家具など清里のオークヴィレッジでやっているし、木や竹の細工ものの伝統工芸も盛んだ。多治見があるから焼き物もある。岐阜市は服地のメッカだから、だぶついた生地や紳士服や着物が潰れかけた問屋にたくさん眠っている(ものと思われる)。そして、信長以来の城下町だから、古物店もあちこちに点在している。
そういうものが好きであちこち訪ねて歩く人は多いだろうが、大抵暇な趣味人か定年退職した老夫婦かおばさんばかりで、若い人には今いちアピール力がない。
しかしアンティークは人気だし和もの流行りなんだから、そういうものを商店街に集めて売り方を工夫すれば、お客は集まるのではないだろうか。
駅前のテナントが入らないビルなんて、一館まるまる岐阜産レトロモダンの専門店街にしてしまえば? それで産地に行ってみたい人も増えるかもしれないし、地場産業に興味を持つ若い人も出て来るかも。
‥‥つまんないな、そのくらいのことは誰でも考えついてるか。 


「しかし岐阜も変わったねえ」と言いながらぶらぶら歩いていたら、拡声器からえらく姦しい音声が流れて来た。何をやっているのだろうと思いつつ行くと、狭い通りを使ってイベントをやっていた。舞台はないが椅子が少し置いてあって、人がぱらぱらと16、7人ほど。
そこで、私は初めて化粧した小学生を見た。小4か小5くらいの女の子が二人、ちょうど歌い終わったところであった。
目の上が真っ青なメークとぺちゃんこの胸。ペラペラした露出度の高い服。ほとんど中国雑技団の子供である。
しかも可愛くない。たぶん「ビフォー」の方が可愛い。
見ているのは通りすがりの人と、女の子の母親らしき二人とその友人だけのような感じ。もしかしたら、全員母親の知り合いだったかもしれない。


インタビューに答えて一人の女の子は「13才くらいでデビューしたい」と言っていた。もう一人は「なるべく早く」。
「じゃあ全国デビューして有名になったら、もう岐阜なんかには来てくれないかなー?来てくれるかなー?きっと来てくれるよね。ハイ皆さん、来てくれるそうです。ハーイ拍手を!」
うるせえなあ、何が「岐阜なんか」だ。どうせ「岐阜なんか」から一生出られないよ。 出られなくて悪いのか。
別に私達が、その場に立ち止まって見聞きしていたわけではない。嫌なものに出くわしたと思い足早に通り過ぎたのだが、拡声器が10メートルごとに設置してあるので、歩いても歩いても全部まる聞こえ。
それにしても、子供が全然来てなかったのはなぜだろう? 芸能界デビューのステップとして商店街のミニイベントに出たのだから、クラスの友達が少しは応援に来てくれても良さそうなものだ。子供でも「アホらしくて行く気がせんわ」ということか。


あの子達も母親も、急いで「アフター」を目指そうとしているのだろう。その「アフター」に失敗したら、「アフター・アフター」はさぞ大変だろう。
地味な地方都市で埋もれるという「アフター」しか掴めなかった母親が、子供の将来に夢を見たくなるのはわかるが、道を間違っている。
いや道を正すだけの説得力のある根本的な何かが、もう誰にもはっきりしない。だから「アフター・アフター」で手を拱くことになるのである。