『オニババ化する女たち』を読む

早婚のススメ?

目下賛否両論、話題の本である。著者は津田塾大学教授の三砂ちづるという人。リプロダクティブヘルツ(女性の保健)を中心とする疫学の学者だそうだ。
「オニババ」とは、日本の昔話に出て来る山に住む山姥のことで、時折道に迷った小僧さんを襲う。それを著者は、「更年期を迎えた女性が、社会の中で新しい役割を与えられず、山に籠るしかなくなり、時折エネルギーの行き場を求めて若い男を襲う」話であるとしている。そうだったのか。


で、そうならないためにはどうしたらいいかというと、「社会の中で新しい役割」を見つけるべく何か仕事をしなさいということではなくて、なるべく早く相手を見つけて結婚し出産せよ。「女性は子供を産み、次の世代を継ぐ力をもった存在で、生物としてはそれを目的に生まれてきているわけです」。その「からだの意思を無視していると、あちこちに弊害が出て来る」。
つまり「生物としての女」を最大限にクローズアップし、「女の本来あるべき生き方」を説いた本である。


彼女の主張をまとめると、「ごく一部の女を除いて、たいした能力のない女達に、やりがいのある社会に役立つ仕事などないのだから、難しい事考える前にさっさと結婚して子供を産み、セックスを楽しみ、持って生まれた女性の身体をフルに活用しなさい。それが女本来の欲求を満足させるということだ。でないと、歳をとってから悲惨な目に会うよ」。
‥‥私が大袈裟に書いているのではない。ほんとにこういう論調で、しかもそれが何回も繰り返されるのである。
卵子の悲しみ」とか「子宮を空家にしてはいけない」とかいった表現に至っては、とても学者の書いたものとは思えない。


フィールドワークを中心とした部分は、まだ興味深く読めた。ポリネシアのフリーセックスの話とか、病院出産ではなく助産婦の見直しといったあたり、面白ネタ+昔の人の知恵という感じで、へえ〜と思いながら読んだ(昔の女は月経血を制御していたとかは眉唾)。
出産を苦しく煩わしいものとだけ考える人には、目からウロコの部分もあろう。そういうことをポジティブな視点で見直すことで、肯定感や安定感を得るというのは、悪いことだとは思わない。
しかしそういう情報がすべて、上記の「女の本来あるべき生き方」の根拠に回収され、全体としてはきわめて粗暴な論との印象を受ける。


今、適齢期にある女性が自らの女性性を受け止められていない(つまり著者の言い方だと結婚も出産もしない)のは、親が「結婚なんかしなくていい」「仕事をしてさえいればいい」と言ってきたからだそうである。
「早く嫁に行って孫の顔を見せてほしい」と言う親が多いと思っていたが、違うのだろうか。
「女も仕事をもった方がいい」とは言っても、「結婚なんか」と言う親は少ないだろう。むしろ「結婚はしなさい、でも駄目だったらいつでも帰っておいで」とか言っているのでは。子離れできない親が。


著者は、『負け犬の遠吠え』で描かれている女は、勉強も仕事もこなし、恋人も自分で獲得できちゃんとセックスもしているキャリアウーマンであり、「強者」であるとしている。そういうエリート女性や、社会に貢献する仕事や芸術などにエネルギーを投入して、結婚や出産を選択しない女性は問題ない。
問題は(オニババ化するのは)、彼女達と同じように「結婚なんかしなくていい」「仕事さえしていればいい」と思い込んで、実際は単純労働にしか就けず恋人もなかなか作れず、そのまま老いていく「メスとしてのエネルギーの弱い女」である‥‥。
なんだか仕事している女を分断するような物言いに、かちんと来る女は多いだろう。女が単純労働に追いやられている複合原因を、何にも分析していない。


それ以前に、現状認識が古い。
猫も酌しもキャリアを目指して「結婚なんかしなくていい」と言っていた時代(そういう時代があったとして)は終わっている。「負け犬」だって、いつか結婚はしたい(できれば子供も)という人が多い。一生仕事に生きていくので男はいりません、という女はかなり少数だ。
「大した仕事」に就けなかった女は、もっと結婚を切望している。結婚は死活問題なのだ。
にも関わらず遅らせているのは、一部でやたらと結婚のイメージが膨らんでいるからではないか。
小倉千加子の『結婚の条件』読んでないの?三砂さんは。というか、その辺の女性雑誌少し見ればわかることだと思うけど。

非現実的な理想

細木数子ならそこで終わりなのだが、この人は大学の先生だけあって、フォローはしているのである。
曰く、女も仕事をもった方がいいと。そして結婚し、出産した後も仕事を続けられるような環境整備、若いシングルマザーを援助する制度的整備も必要であると。自分がずっと仕事してきたわけなので、さすがに「仕事をするな」とは言っていない。
そこでこの人の考える理想のモデルは、20前後で結婚し(結婚しなくても出産はし)、その後子育てしながら少しずつでも仕事を続け、あるいは資格をとるなどの勉強をし、子育てが完全に終わった40 代の中年期に本格的に仕事に復帰するというものである。


しかし、子育てしながら少しずつ続けられる仕事とはどういうものか。
20そこそこで結婚となると、高校出て2年しか働いていない。自営業で身近に手助けがない限り、出産後少しずつでも続けていける仕事などパートしかない。短大出なら社会に出ないうちに結婚だ。
子育てをし生活に追われながら勉強するのは大変だし、仮に何かの資格を取ったとして、それまでほとんど社会経験も職業訓練もしてないに等しい中年女に、就職の道は厳しい。


大学卒業して数年働いて20代のうちに結婚したとしても、出産すれば(長期育児休暇を取れる人は別として大概は)一時休業は免れず、復帰できる見込みがあるとは限らない。むしろ難しいのだ。再就職がスムーズにできるような人は、もともと恵まれた職場にいたかエリートの人である。
それに子育てしながら仕事を継続させていくには、家族の全面協力が必要となる。それが望めなければ、しわ寄せは女に来る。
結局、会社を牛耳る男と家庭内の男の意識や行動が変わらない限り、女が出産し仕事を続けたいと思っても壁がある。そんなことは、これまで散々議論されてきている。
しかも、そうした議論を元にして男女雇用機会均等法ができ、男女共同社会参画法ができたにも関わらず、若い女は専業志向を強めているのだ。そこでの仕事は、夫の高収入に支えられた、片手間にできる「きれいなお仕事」だ。
髪の毛振り乱して男と闘いながら仕事したくなんかない、そこまで自分を賭けられる仕事もない、生活レベルを落とさず「いい環境」でのんびり子育てしたい、そういう「雅姫願望」の女(9/7の記事参照)が増えている。
そうした現状をスルーして、早いとこ結婚、出産して、仕事復帰は後でゆっくりすればいいだと? 何をズレたこと言っているのだろうか。


女の身体を見直そう、セックスにきちんと向き合おうというのは、70年代にフェミニズム周辺から発された言説であり、別に目新しいものではない。
家族が身体の知恵の伝承機構であるという話は、最近流行りの家族復活論であろう。子供に教育するのはまず親か、その周辺の人々だから、そこで性についてまともな知識を伝えることは重要である。身体をないがしろにできないというのは、そこだけ取り出せば全く正論だ。
しかし著者も指摘するように、相手を見つけられない男女はいるし、あえて子無し、独身を貫く男女もいる。
彼女は『負け犬の遠吠え』は「弱者切り捨て」の論理になると批判しているが、いくら早婚、出産のススメを説いたところで、相手のいない人、子供を持たない人は一定限存在する。彼女の論理に従えば、結婚、出産をせず、次世代に何か伝えるような行為もしていないそうした女は、真の落ちこぼれとなる。


該当者が読んだらいったいどう思うだろうか。ほとんどセクハラ発言である。
そういう男もたくさんいると思うが、男についてはまったくと言っていいほど触れられていない。むしろ、増加していると言われる結婚したがらない男を分析した方が、いろいろ見えてくると思うのだが、誰かやってくれないものだろうか。


終始、早く結婚して出産さえすれば、そして特定の相手とのセックスさえうまくいっていれば、それですべて女の問題は解決みたいな書き方である。結婚、出産している女は、みんな幸せなのか。
それでも、行き場のなくなったオニババは生まれると思うが、そういう分析はされていない。昔のようなおおらかな身体の触れあいがなくなったからだと、それがすべての原因であるかのように書かれている。
親密圏のスキンシップは重要だと思うが、昔とは社会構造が違うのだから、それだけで何もかもが解決できるわけではない。
ザルのような論理に、ところどころ納得できるような言説をまぶして、勢いで言いくるめているという印象。

自分より他人を

女(男)がなかなか結婚しないのは、一つには前述のように、結婚のイメージが膨らみ過ぎたからである。この点については三砂さんも、結婚とはただ楽しいものだという考えは誤りであると書いており、唯一そこは共感できた。
別に結婚でなくてもいいが、特定の相手と長く関係を持ち生活を継続させていくことは、それにまつわるリスクを受け止め、他人を許容する度量をつけていくことでもあるから、ただ楽しいだけのわけがない。


若いうちに出会って勢いで結婚してしまえればいい(私はそうだった)が、そこで「しかし」と立ち止まって考える女は多いようだ。「この人でほんとにいいのかな。もっといい男が現れるかも」。そういう「もっといい男」と知り合って玉の輿に乗ったシンデレラストーリーを見過ぎていると、そう思いがちだ。
それは男も同様である。美人の良妻賢母タイプを求めていては、いつまでたっても相手は見つからない。互いに見果てぬ夢をぶつけあっているのだ。
そうした美味しい結婚のイメージがメディアに溢れ、それがジェンダー規範を支えているということになぜ言及しないのか。片手落ちもいいとこである。


「男なんてみんな同じ」「誰でもいいから結婚しなさい」。男は十把一からげ?いくら何でも暴言だろう。まるで男は、セックスと生殖のための道具と言わんばかりだ。
しかも、歳をとってもセックスし愛しあう関係を築けと説教している。「男なんて誰でも同じ」だと思って結婚して、なんでそういうことができるの? わけがわからない。


「男と女の間はそれ(セックス)しかない」と、三砂さんは断言する。性愛至上主義である。そうかどうかは、個人が決めればいいことである。
セックスが介在しない男女の親密な関係もあるだろう。そういうものを育てることを怠って、子供の頃から必要以上に異性を意識させていると、セックスに過剰な幻想を持つことになる。異性の相手はいるけれども、性愛至上主義では生き難いなあと感じている人々のことを、考えたことがあるのだろうか。


子供を産むのは、女性の身体を大切にする上で必須であると、三砂さんは強調する。備わっている機能を使わないと、心身共に支障が出て来ると。
支障が出て来るのは更年期になれば当然のことであって、単に機能を使ったか使わなかったかという問題には還元できない。精神的に充実していれば、済んでしまうということもある。その充実を結婚、出産、子育てだけに求めるから、煮詰まってしまう女が多いという現状はどうなのか。


それでも、女は結婚、出産することで一皮むけて、身体的精神的な安定を得られるとしよう。それが女の幸福な生き方のモデルだとしてみよう。
すると適齢期の女はとにかく子供を産めば、少子化にも歯止めがかかるし、能力もないのに職場に居座ってヒトに迷惑をかけてる女や、いつまでも自分磨きや当てのない自分探しに熱中するバカな女も減るわけで、いいことづくめだということになろうか。
だが、それで世界の人口がこれ以上に増えたらどうなるのか? 
豊かな国にいると実感としてわからないが、食料危機は深刻な問題である。以前も書いた通り、地球上の8割を食べさせるだけしか作れていない。今のところそれ以上は無理なのだ(別の星にでも集団移住しない限り)。人口過多と劣悪環境の中で、満足に食べられない人が地球上に2割。特に発展途上国の子供は悲惨である。


それで、そういった地域から養子をとって育ての親になったり、援助したりしている人はいる。
有名なところだと、ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーが、タイ(かカンボジア)の親のいない子供を引き取り養子縁組しているし、プロ野球選手の松井も、施設の子供達に毎年資金援助している。そういうお金持ちでなくても、養子を何人も育てたという人もいる。見上げた行為だと思う。子供を産むのは自分の身体のため、女に生まれた幸せのためであるという利己的論理が、貧しく思えてくる。
本当に次世代のことを考えるのなら、子供を作らず恵まれない子供を引き取ってわが子のように育てた方が、世の中のためにはなるし次世代のためにもなる。


‥‥とまあ、口で言うのは容易い。
私には子供がいないが、だいぶん前に夫が「フィリピンの貧民の子を引き取って育てたい」と言ったことがあった。私は即座に反対した。
「自分の子供さえ作らなかったのに、ヨソの子を?そんな精神的時間的金銭的余裕がどこにあるの?犬や猫もらうのとは違うんだよ?!」(犬や猫でも大変だよ!)
私も3割くらいは「オニババ化」していると言えようか。