講習会とヘアサロン
こないだ、美容師さんのヘア・デッサンの講習に岡崎まで行ってきた。これは友人の美容師がやっている、名古屋の中堅美容師のグループの講習会の一つで、私はそこの講師なのである。
美容師にデッサンなど必要あるのかと一瞬思うが、実は絵が描けるのと描けないのとでは、美容師としての格が違ってくるらしい。
例えば、お客さんのしたいヘアスタイルが雑誌などになかったり、何かアドバイスを求められたりした場合、その場でさらさらっと描いて「こんなのはいかがでしょうか?」とお見せできると、さすがプロ!ということになるらしい。
またヘア・ショーのアイデアなんかを出す場合も、自分の頭の中にあるイメージを絵で描いて見せられないと、プロとして恥ずかしいということらしい。
美容師の彼女は、高校の美術科と文芸部で一緒で、20代ではバンド組んでたりした長いつきあいの友人である。
今ではヘアサロンの女主人として、パリへ若い美容師を勉強に出したり、講師としてあちこちへ出かけたり、ヘア・ショーを企画したりと活躍している。もともと絵が好きなこともあって、ヘア・デッサンへの思い入れも人一倍なのである。
彼女に頼まれて初めて講師をしたのはもう10年前で、それからは受講生が集まってお呼びがかかると出て行くという形。
まあ常に専門の最新テクを研究中の美容師さんにとっては、デッサンよりもウェーブの巧みな作り方とか、新しいヘアカラーの知識とかいったことの方が先決なようなので、ヘア・デッサンの開講はほんとにたまである。美容専門学校でもないことはないが、芸大出のアーティスト(もうやってないけど)が教えるということが、売りになっている。
美容専門学校と言えば、全国にどれだけあるのか知らないが、どこも倍率が高いらしい。だいたい120人くらいの募集に千人以上集まるのだそうだ。そこであぶれた人はどうするのかというと、普通の専門学校のヘアメイクコースに流れていくか、フリーター。そういう状況を見て、最近は私立の短大でも美容科を作っているところがあるという。
そこに講師に来てほしいと頼まれたあるベテラン美容師は、いろいろ考えて断ったと言っていた。週に2日しか実技がないのに、2年で美容師になれるわけがないと。
「それに短大の美容科って、やりたいことなくて仕方なく美容師なんてどうかなーてな子達ばかりでしょ、どうせ。そんなとこで教えてキレるの、精神衛生に悪そうだし」
‥‥ですよね。
美容専門学校を出たところで、国家試験に受かって免許を取らないと、当然ながら美容師を名乗れない。カリスマ美容師などという言葉が流行った頃、そのカリスマの一人が美容師免許を持っていなかったということで、全国の美容師の顰蹙を買ったことがあった。
そうしてようやく美容師になっても、自分の店が持てるまでにまた何年とかかる。というか店が持てる人なんて、ごく僅か。重労働と薄給に、途中でやめていく人も多いらしい。
「だってさ、世の中に美容師なんてそんなにたくさんいらないでしょ。私たちの仕事って贅沢業だから」
‥‥ですよね。
そう、美容院とは贅沢なところである。
行けばゆったり椅子に座っているだけで、髪は洗ってくれるわ、頭皮マッサージはしてくれるわ、丁寧にブローはしてくれるわ、肩は揉んでくれるわ、お茶は出てくるわ、雑誌は読み放題だわ、まるで王侯貴族になったような気分。しかも最後には頭はさっぱり、髪はつやつやのさらさら。
これでそのまま「ありがとね〜」と帰って来れれば言うことはないのであるが、そうはいかないのが残念である。
その美容院に、私はこの3ヶ月近く行ってない。
年末にはと思って行きそびれ、授業が終わったらと思って行きそびれているうちに、とても見られない頭になってしまった。後ろでまとめてないと、どうしようもない。まとめても若い人のように清々しくも小粋でもなく、ただの生活に疲れたオバサンである。こんな頭で美容師の講習に行くのは、大変気が引ける。
ヘア・デッサンの講師(しかもアーティスト?)と聞いて、さぞかしヘアスタイルの素敵に決まった個性的な人を期待しているだろうに。
憂鬱な気持ちで岡崎駅からとぼとぼ歩いていくと、3階建てのモダンなヘアサロンの前に、受講生代表らしいイケメン美容師くんがわざわざお出迎えしていたので、やや足取りが軽くなる。寒いのにご苦労なことである。
「こんにちはぁ」と入っていったら、四人の受講生が一斉にさっと立って礼。みんな若い新米美容師のようだ。まあ、なんてお行儀のいい子たちなの!と感動するが、仕事場で師弟関係をみっちり仕込まれているんだから、考えてみればこれが普通なのである。
専門領域、近隣領域
さて2時間の授業だが、まず頭ってのは丸い立体である、その表面から髪の毛が生えている、そういう頭を首が支えている、目鼻口はほぼ左右対称である‥‥という現実認識を促すところから始まる。
なぜそんな当たり前のことを言うのか? 毎日人の頭を触っている美容師なら、いや普通の人なら常識以前のこととしてわかっていよう。
そう思われるのであるが、それがわかってないのである。絵を描かせてみると、それはすぐ知れる。
斜め向きの顔というのが、どうしても描けない人。
横顔描くと、目が古代エジプトの壁画のようになる人。
頭皮にぺったり張り付いたような髪の毛を描く人。
逆に空中から髪が生えてるようになる人。
首がこけしみたいに細くなる人。
ヘアより顔が異常に個性的になる人。
左右の眉毛の高さが違う顔しか描けない人。
でも、それが当たり前なのである。対象を自然らしく描けるのは、知識と観察と訓練の賜物でしかない。
ヘアデッサンなので、短時間で効率よく描かねばならない。立体的にするために、ちょこちょこ細かい陰影などつけている暇はない。線だけでなんとなく感じを出すコツを教えていく。
皆さん大変熱心で、スケッチブックの片隅にメモを取る手も休まらない。こちらの音声を全部書き留めているのではないか?という真剣さ。そして、全部吸収して元をとってやるぞという貪欲さ。少ない給料の中から受講代を払っているのだから、当然だ。
3枚、4枚描くうちに、だいたいみんなコツをつかんでしまった。若いというのはすごいことである。
以前、中年のベテラン美容師さんを教えていたが、大変熱心なのにも関わらず、吸収具合は若者の5分の1くらいであった。
それも致し方ないとは思う。歳をとれば頭も固まり、何遍同じことを指摘されても、思うようには手が動かない。だから描いても描いてもそれは、なかなか普通の人間に見えてこない。本人もそれをわかっていて頑張るのだが、ますますヘンテコリンな絵に。
それで途中から指導方針を変え、何でもいいからいいところを見つけて、褒めて褒めて褒め倒して上達させようと試みた。
が、あまりにも「いいじゃないですか!」「あら、よくなりましたね!」を連発し過ぎたせいであろうか、「先生、もっと厳しく言って下さい。遠慮しなくていいですから」と言われてしまった。
褒められるより厳しくビシビシ言われて一人前になった、叩き上げの美容師さんが相手であった、と私は反省した。褒めないとやる気にならない大学生とは、根性の座り方が違うのであった。
デッサンなど描けなくても、町の美容師としては普通にやっていけるし、やっている人はたくさんいるだろう。
しかし専門的蓄積があっても、その近隣分野については何にも知らない、手も足も出ないとわかった時、人はやはり焦るものである。
職業に対するプライドが高くキャリアの長い人ほど、そうである。
友人の美容師は、「ヘアはファッションの一部。ファッションはもともと西欧のもの。だから西欧の歴史や視覚文化全般の基本的教養が必要」という哲学を持っており、大変勉強熱心である。教養もなしに、流行のスタイルばかり追いかけて派手なパフォーマンスをしているカリスマ美容師を、とことん軽蔑している。
18世紀フランスのロココ貴族の女性の頭は、なんでああも異常なことになってしまったのか?
50年代のアメリカ中流層で流行った膨張したヘアスタイルに、女性のジェンダーはどう現れていたのか?
ヘアに関心があるならそのくらい知っとけ、ということである。
彼女が企画したヘア・ショーで、戦後流行したヘアとファッションを見せるという趣向があった。
50年代以降の有名な映画をモチーフに、ヒロインに扮したモデルを登場させたいということで、アイデアを練る段階で私もいろいろと相談された。「『勝手にしやがれ』のセシル・カットは絶対だね」とか「『シェルブールの雨傘』はヘアもファッションも可愛かった」とか「アヌーク・エーメのロングの巻き入ったやつ、あれなんて映画だった?」とか。
「『ウエストサイド物語』はポニーテールとリーゼントで」「『ヘアー』はロングソバージュとウルフカットで」‥‥。
そこでマリリン・モンローの映画だけは、最初から無視されていた。なぜかと聞くと「ああいうの私嫌いだもん。ファッションも胸強調してるだけだし頭悪そうじゃん」ということであった。
彼女によると、ヘアもファッションも主張のある面白い時代は80年代のマドンナまでで、それ以降は前のパクリと応用ばかりだということである。確かに、そういうことはいろんなジャンルで言えるかもしれない。
毎日下働きでこき使われ、仕事の後はカットやパーマの練習に明け暮れている若い美容師には、ファッションはともかく他の分野をいろいろ知る機会、いや興味を持つ機会すら少なそうである。とりあえずお客さんのニーズに応えることが先決のサービス業なので、やむを得ない面はある。マドンナだって、知らなくて当たり前である。
そうこうしているうちに、商売のことだけで一杯一杯になってしまうのかもしれない。
「業界の会合行っても、みんなビジネスと業界の噂話ばかりでうんざり。お客さんと話してた方がずっと楽しい。いろんな専門分野の人がいるから」
私の友人が人一倍勉強熱心なのは、商売より仕事が心底好きだからだろう。そうでなければ、大してお金にもならなそうな講座をわざわざ作って、後進の育成をしようなんて思わない。店だけやっていれば十分生活していけるのだから。
それはさておき、次の講習までには美容院に行かねば。
「こんなになるまでほっといて!」と彼女に怒られそうだ。