「ハーレム家族」考

男の夢

「家族を作る」というと、多くはまず男と女が結婚して一緒に暮らすことを指す。
法的には認められてない国が多いが、同性同士もありである。婚姻制度に縛られない関係まで含めれば、誰とどのように家族になっても自由。
いずれの場合も、お互い気に入った相手を決めてカップルになり、そこから家族を増やしたり(減らすこともあるが)していくのが一般的のようである。


昔は権力を持った男が、複数の奥さんを家に住まわせリッチな性生活を営んでいた。一夫多妻が権力者の家族形態であった。後宮とか大奥とか言われるところでは、水面下のどろどろした嫉妬や虐めやけん制合戦の中で、奥方達が毎日セックスの順番を待っていたらしい。
ずばぬけた権力と財力をその男が持っていたから、彼女達も大人しく従っていたのである。後宮や大奥に入る、つまり強い男の財産の一つになることは、女にとってステータスでさえあった。
そういう性的弱肉強食は、社会構造が変わっても大変根強い。正妻がいて愛人がいて、どっちの女ともうまくやっていて‥‥なんていう状況が楽々と作れる能力を指して、「男の甲斐性」などとも言うらしい。オヤジの憧れそうなシチュエーションである。


そのような極一部の「恵まれた人」ではない一般の男の場合は、複数恋愛にまつわるトラブルも後を絶たないようだ。
大半の男に絶大な権力も財力もないから、複数同時おつきあいをそれぞれの女に認めさせるのはなかなか大変であろう。しぶしぶ認めさせたとしても、本命、二番手、三番手、キープなどと階層づけられた女の方は、男を独占できないストレスで他に相手を作ってしまったり、ウツになったりもするだろう。
そのうち恋愛タコ足配線状態となって、どっかがショートする。


まして、みんなが一つ屋根の下で、性関係を伴った友好的な生活をするなど至難の技である。アラブの石油王か「教祖」かポルノ小説の主人公でもない限りは。つまり財力か洗脳かセックスで、女達を黙らせる以外には(ああ我ながら厭な書き方だ)。
だから大抵の男は、そんな難儀なことは考えず一人の相手で充足し、充足できない人だけが危険を伴う複数恋愛をするのだろう。


しかし、複数の女(血縁関係は除く)と仲良く暮らす「ハーレム家族」形態は、やはり男の人の夢らしいということを最近知った。そういうブログの記述を読んだからである。
単なる夢どころか、「ハーレム家族は最近の家族や夫婦の問題をいろいろとクリアできる」のではないか、という提案まであった。いろんな意味で大変興味深いので、まずはここの1月8日の「女四人と男一人よれば」をお読みください(07/11/23追記:現在ブログは閉鎖されてます)。
これを「ムシのいいこと言いやがって!」とか「女をナメとんのか!」とか「単なるネタか冗談でしょ」と切って捨てることは容易い(大抵の女はそうするであろう)。
「ベタなモテ自慢?」とか「独身者のヨタ話だ」とか「女の怖さをわかっとらんな」と一笑に伏すことも容易い(大抵の男はそうするであろう)。


しかしこの「ハーレム家族構想」は、その前後数日の記述を読んでいくと、筆者のジェンダー論の流れの中にあるのである。
さらに前日の最後には、
「どうしてみんな一人の女性と結婚したがるのか実に不思議である」
「どうして「ハーレム家族」が流行しないのか実に不思議である」
とまである。
ここまで自信たっぷりに書かれていると、いろいろ具体的なツッコミ入れてみたくなるのが人情というものである。

弱肉強食ユートピア

四人という数字がどこから出てきたのか定かではないが、この筆者の考えではまず、女が四人いても女同士でコミュニケーションしてくれるので、一人と向き合い続けるより気が楽であると。
一対一の関係の密度を四人に分散し、しかも女同士の関係もそこに加わるので、さらに密度は薄まるという計算。一人の女との濃密な関係を「負担」と考えることがなければ、この発想は出てこないであろう。


女同士の嫉妬に関しては、なるべく不公平が出ないように一生懸命配慮するしかない、ということである。その配慮だけで疲労困憊するのではなかろうか?というのは、他人のいらぬ心配で。
それより私は、セックス順番待ちでカレンダー見ながらため息をつくのも(自分が女だったら)楽しいのではないかと思う、といった記述で腰砕けになった。軽口とは言え。
いや、自信があるというのはすごいことが書けるということなんだと感心すべき箇所である。


仮に、男で考えてみよう。
例えば、男が複数の相手を持つ女と暮らして、セックスの順番待ちを楽しめるのだろうか、とか。
最愛の女が一つ屋根の下で他の男と今セックスしていると知っていながら、「わくわく」していられるのだろうか、とか。
まあそういう状況だとコーフンするという性癖の男も中にはいるかもしれないが、それは希少な存在であろう。女はさらに少ないだろう。
にも関わらず、女だったら結構楽しめるんじゃないか?と、女の立場に立って、書かれているのである。


「ハーレム家族」は、それに順応することができれば、快適な生活かもしれないとは思う。
子育ても家事も五人で協力分担できて、楽である。みんなが働いていれば、相手が一人の時より、経済的な心配も減る。病気の時も心強い。ここで批判されている一夫一妻の婚姻制度と比べて、制度に馴致されない自由で進んだ家族形態ということなのだろう。
しかし、ハーレムをすんなり受け入れられて、なおかつ働く気のある性意識が自由で進んだ女や、そういう女四人から同時にしかも継続的に愛され、なおかつ平等に愛することのできる男というのが、現実にいったいどれだけいるんだ?という素朴な疑問を、まず誰でも抱く。
「家族や夫婦の問題」(女の仕事と家庭の両立とか育児とか夫婦の性生活とか)をクリアはいいが、その基盤にある「愛の問題」はどうクリアする?


そういう疑問は、この文章の中にはない(気配りとセックスを順番にするくらいで)。
ないから「どうですか、ぜんぜん問題ないでしょう?」と書けるのだろう。
普通の男(特にモテない男)には膨大に問題ありありなのをわかっていて、そう書いているのだと思う。


「ハーレム家族は最近の家族や夫婦の問題をいろいろとクリアできる」のではないかと書かれた数日後には、わりと一般的な家族論が書かれている。だからここにあったのは、提案に個人的な趣味や欲望の混じったものだろう。
それが一般的な家族論より興味深いのは、ここで描かれたユートピア的なイメージが、複数の女とオープンにつきあうことができる特権的な男は希少であり、モテない男は女にあぶれても家族を持てなくても仕方ないという性的弱肉強食社会を、はっきりと全肯定した上にあるからである。
もちろん筆者は記述を見ればわかるように、特権的な男の立場にいる。


誰とも平等に愛し合い、全員が納得済みで仲良く暮らす。大変結構だ。それがつつがなくできる人は、どんどんすればいいと思う。
しかしセクシャリティが関わる、しかも一部の男を利するシチュエーションについて、こんなにラクチンなのにみんなどうしてやらないの?というのは、極めて確信犯的なスタンスである。
特権的な位置にいるから言えるだけであることを承知で、ジェンダーについて考えたり書いたりしているような男性が、(ジョーク混じりにとは言え)そのように書くという事実。私が注目しているのはそこだけである。

愛という不自由

一人の異性と愛し合い生活を共にし、それに伴う煩わしさや重たさやリスクを互いに引き受けること。そういう面倒なことを人が延々とやってきたのは、なぜか。
単に婚姻制度や西洋のロマンチックラブ・イデオロギーに馴致され、毒されてきただけなのか。
そういう「一人の女性とだけ結婚したがる」普通の男は、みんなラクチンと自由を知らないバカなのか。
人の感情と意思は、そんなに単純なものではないと思う。


相手と自分の関係が取り替え不可能であると信じ、愛情の分散も不可能であると悟り、一対一の関係を引き受けたいと願うような相手。そういう相手は人によって人生に何人か出現するかもしれないが、現れる時はいつもたった一人である。
‥‥なんかものすごく青臭いことを書いているのだろうか、私は。(でも結婚したり一緒に暮らし始めたりした時、そうじゃなかったですか?>経験者)
権力で守られ優雅な生活を保証され、殿の寵愛を受ける超セレブな奥方の一人という身分を得られたかつての女達ですら、嫉妬と羨望に苦しんだ。その苦しみは、世継ぎ相続争いといった実際的な問題だけに帰するものではない。
誰かを愛するということは、かくも不自由なことである。


たぶんドラマや映画なんかだと、ハーレム状況に奇跡的にこぎつけた男が「ラファエロ前派の世界」を謳歌している間に、あぶれた大多数の男達の反撃が始まるのである。
あるいは、四人の女達が密かに共闘張って恐ろしい罠を仕掛けたりする。そういうことの方がよほどリアリティがあろう。
私が「ハーレム家族」についての文章に根本的に違和感を感じるのは、あまりにも能天気な男の妄想が書かれているから(だけ)ではない。
そこに、愛を巡る苦しみや悩みやリスクや諦念や不自由さを見つめる心はないと感じるからだ。
もちろんネタか本気かわからないようなブログの、しかも男性の文章にそんなことを求めるのは、筋違いだろうとわかった上で書いている。


ところでこの文章を書くにあたって身近な男の意見を知りたくなり、夫に訊いてみた。
「四人の内縁の妻と暮らす生活ってどう?全員を自分一人で養わなくていいって条件で」
「そんなことあるわけないじゃないか」と言うのをしつこく食い下がってみると、
「全員が俺に惚れこんでてー、俺のやることに一切口出ししなくてー、女同士で揉めないってことだったら言うことないね。天国。そんで奥さんは、眞鍋かをり小池栄子と優香と菊川怜。その四人と日替わりで‥‥ええやんけええやんけ♪」
結局現実的な思考回路で考えられん、ということである(モテない男は)。


「じゃあ、逆の立場は?女一人で男四人」
「ぜったいやだ」
「どんなにいい女でも?」
「あたりまえだ」
「女八人に男二人で相手は自由ってのは?」
「それもやだ」
女達に自分一人が性的に共有される、つまり女を自分が独占するのはいいが、女を他の男と性的に共有するのは嫌だと。
それはなぜかと訊いたが、「やなもんはやだ」の一点張り。


質問の仕方を変えてみた。
「かわりばんこにみんなで一人の男とセックスして暮らすって、普通の女にできると思う?」
「そういうことは人によるだろな」
「そういうことができる女が好きか、できない女が好きか」
「俺に惚れこんでくれてりゃ、どっちでもいい」
だめだ。全然参考にならん。


男ってみんなこうですか。