「いないいないばあ」と猫

タマはキジトラの雄猫である。今年始めに去勢手術で病院に連れていった時、お医者さんが「ほんとに面白い子ですね」と感心するくらい人懐っこい猫だが、一歳三ヶ月になって、少しは落ち着いてきたような気のする今日この頃。


ある時タマは、タンスの上で四肢を投げ出し寛いでいた。私が立つと、だいたいタマと目線の高さが同じになる。横幅90センチほどのタンスの右の端っこに寝転んだタマは、左端で首から上だけ見えている私を物憂い流し目で眺めた。なんだかもうこの家の主のような態度である。
ちょっとからかってやろうかなという悪戯心が出てきた。そこで、近くにあった雑誌で顔を隠して「いないいない」と言ってから、横から「ばあ」と顔を覗かせてみた。タマはムクッと首を起こした。
わぁいやっぱり反応したぞ。もう一回。いないいない、ばあ。タマは古代エジプトの猫の彫像のような、しゃきーんとした姿勢になっていた。まん丸のメロン色の目が穴のあくほどこちらを見つめている。
フヒヒ。こいつびっくりしてやんの。今度はちょっと間を長くしてやろ。いないいない‥‥‥‥「痛っ」。雑誌の上を越えて強烈な猫パンチが脳天に飛んできた。おまえ、いつの間にここに来た。


猫に叩かれた頭に蘇ってきたのは、40年くらい前の、小学生の頃の記憶である。
親戚が生まれて半年くらいの赤ちゃんを連れて家に遊びに来た時のこと。私は小さい子を構うのが面白くて、何度もいないいないばあをやった。子どもはキャッキャと笑った。
飽きてきたので「いないいない」を長くしてみた。「いないいない‥‥」と言いながら机の下に隠れた。すると子どもがふんふんベソをかき出す声が聞こえた。ああしまった、泣かしちゃったと思いながら机の下から急いで「ばあ」と顔を出したが時既に遅く、子どもは本格的に泣き出してしまった。ごめんね、ごめんね。
子どもにとって「いないいない」は、「ばあ」が出てくるまでのワクワクする期待の時間なのに、なかなか「ばあ」にならなくて、しかも相手が目の前から消えてしまったら、ひたすら不安の中に取り残された気分だろう。そういうことに後で気づき、ほんとに悪いことをしたと思った。


猫は人間の二歳児くらいの知能があるという。タマはなかなか私の顔が出てこないので少し不安を感じ、実在を確かめるために叩きに来たのだろうか。そう思うと可愛い。「いい歳して何やってんだよあんたは!」というパンチだったとは思いたくないしな。
猫と遊んでばかりだった夏休みが終わり、今日からやっと仕事。早く人に慣れないと。