「嫁が欲しい」「頼れるのは娘」という母親たちの言葉

去年の夏前だったかいつものように、義父の家に行って庭の草取りをしていたら、近所の年輩の主婦の人がやって来て、垣根越しに「まあよくやってらっしゃること」と声をかけてから、「いいわねぇ、うちも嫁が欲しいわ」と独り言のように言った。そこの家の息子さんは実家を出て一人暮らしをしている。
こういう時に「嫁が欲しい」って言うのかと思った。「嫁」つまり息子の妻は、別に草取り要員ではないですよ。義父は高齢の独り住まいで、夫が単身赴任でこちらにいないので、私が時々来て手伝っているのです。私しかいないから、それは当然なのです。もちろん時間のある時しか来れません。別に「嫁」だから何でもする、できるってわけじゃないです。
‥‥‥と言いたかったが、私は曖昧に笑った。さすがにそういう時にムッとしないでやりすごす世間知はある。


年末にお歳暮を贈った伯母(亡き義母の姉)から御礼の電話が来た時も、義父の家に行っていることを感謝された。長男家族が遠くに住んでいる伯母は、独身の次男と二人暮らし。
「やっぱり男の子はあかんわ。女の子産んでおけばよかったって、つくづく思うわ。歳とって頼れるのは娘だねぇ」と伯母は言った。
女の子は嫁にしろ、娘にしろ、細やかに身の回りの世話をしてくれる。ガサツな男の子より頼りになると。伯母のように学校の先生として働いていた人でも、「家の中の女」の話になると、そういう考えを示す。


しかし、親と同居の中年独身者が増えている今、年老いた親の面倒を子どもが看ることにおいて、男女差はなくなってきている。介護職でも男性は少なくないし、「女性にはできるが、男性にはできない」ようなことはない。しなければならなくなったら、性別問わずせざるを得ない。
そういう時代なのに、”世話係”として「嫁が欲しい」とか「女の子を産んでおけば」という言葉がつい出てくるのは、世代ゆえなのか。


母も同じようなことを漏らす。「私、女の子産んで、本当によかったわ」。相談相手になってくれて、愚痴も聞いてくれるから。買い物も気軽につき合ってくれるから。男の子じゃこうはいかない。そんなことはさせられない。‥‥と思っているようだ。
もちろん「女も仕事をもち経済力をつけたほうがいい」という考えに、彼女たちは同意する。だが一方で、「家の中の女」として自分がしてきたようなことを、社会に出るようになった下の世代も大体するものだと思っている。そこで、娘や嫁である身内の女は、第一に「ケアをする者」として位置づけられる。


女が女の立場を、固定化してしまうような言葉。それを聞いても、娘や嫁の立場である私は、正面切って何か言うことはない。
ただ、「私までだろうか」と時々思う。こういうことをカジュアルに言われるのは、今50代の私の世代までだろうか? 私は子どもがいないけれども、同世代の既婚女性もやはり「嫁が欲しい」とか「やっぱり頼れるのは娘」と思っているのだろうか。