形見分け

「形見分け」というと思い浮ぶのは、小津安二郎監督『東京物語』の有名なシーンである。
年老いた母の葬儀が終わって、家族が食事をしている。長男と共に東京から来た長女志げが突然、実家暮らしの次女京子に形見分けの話を振る。
「ねえ京子、お母さんの夏帯あったわね、ねずみのさ、露芝の」
「ええ」
「あれ私、形見に欲しいの。いい?兄さん」
「ああ、いいだろ」
「あ、それからね、あの細かい絣の上布、あれまだある?」
「あります」
「あれも欲しいの。しまってあるとこわかってる?」
「ええ」
「出しといてよ」
「ええ」


ものを食べながらのやや下品な、遠慮のない物言い。杉村春子の早口の台詞回しが、何度見ても面白い。自分の欲しいものだけまくしたて、目の前にいる妹や次男嫁(寡婦)への心遣いはまったく見せない姉。それについて何も言わない兄。
内心不快感で一杯だった京子は、兄と姉がそそくさと帰った後で、次男嫁の紀子に姉たちは自分勝手だと不満をぶちまける。紀子は笑ってとりなし、彼らを弁護する。「誰だってみんな、自分の生活が一番大切になってくるのよ」。


この場面をかつては人ごとのように見ていた私だが、最近義母が亡くなって形見分けのための遺品整理をしなければならなくなった。一人息子の夫は単身赴任中だし、残された義母の姉である伯母は高齢だし、義父が「服やなんかはあんたが見てや」と言うので、私一人でやるしかない。
形見分けは故人の兄弟姉妹からするものなので、まず伯母に何か記念の品(時計とか着物とか)をと思い義父に電話で聞いてもらうと、「全部サキコさんにあげて下さい言うとったわ。あんたが欲しいのを先に取っとき」と言われた。その残りを法要の後で、義父方の親戚の叔母や従姉たちで分ければいいと。


「まず宝飾品から見てくれんかの」と義父。ずっと前にパールのネックレスを頂いた時、「ダイヤの指輪はあんたにいつかあげるわね」と言われたので、じゃあそれを頂いておきましょうかと、引き出しを開けてびっくり。たくさんの小箱がぎっちり詰まっている。
なんでも義父が以前、宝飾品会社の重役の人と深い付き合いがあり、毎年のように貴金属をプレゼントされていたのを、最近はあまり身に付けないまましまってあったようだ。もちろん義母が自分のへそくりで買ったのもいくつか。
義父と手分けして全部箱から出し、並べてみた。全体にデザインが古いが、かなり高そうなのからそこそこのまで、お店が開けるくらいある。義母の言っていた指輪とパールのアンティークっぽいブローチなどを5、6点頂き、あとは親戚に分けることにした。
私が普段付けているのは、小さめのパールのピアスだけだ。綺麗なものを見るのは好きだが、宝石や貴金属類をあまり欲しいと思ったことがない。


次は着物。
義母は和裁と着付けの先生を長年しており、私にも着物を作ってくれていたのに数えるほどしか着ないまま、柄的に若過ぎて着れなくなったのを私の姪に昨年全部下さった。全体に古風な柄ながら、どれも上等なものだった。
私がいつか積極的に着たいと言い出すかと思って作ってくれていたのだろう、姪に送るために義母が出してきた時、初めて見る着物が何枚もあってなんだか申し訳ない気持ちになった。
着物に興味がないわけではないが、なかなか着る機会がない。ちょっとしたお出かけに気軽に着ればいいのだろうけど、きちんとした着付けができないし、自己流だと酷いことになるし、いちいち着付けしてもらいに行くのも大変だし。結局お正月に着ればいいとこ、という感じになる。
やはり家の中でも時々着物で過ごすとか、着る機会を頻繁に作らないと、着付けも覚えられないものだ。母も洋服派で着物を着ない人だったので、私はこの歳になっても自分で着られるのは浴衣だけという有様。


そんなに見たことはなかったけれど、義母は着物をたくさん持っているはずだった。
寝室の桐箪笥を初めて開け、上の引き出しから順に出して、包みを解いてみる。いきなり高そうな大島紬が出てきた。「わぁ、素敵だねこれ」。着物を着ない私でも一見してわかるモノの良さ。羽織ってみるとゆきが若干短めだが、まあ着られそう。「これはかなりいいもんだよ。あんた貰っとき」と義父。それでは頂きます。
いい着物が次々出てきた。気に入ったのは全部羽織ってみて、それに合う帯を見繕って合わせながらゆっくり吟味するべきなのだろうが、なにしろ枚数が多くてそんなことしてられない(他にもやることがあるし)。それで、ちょっと見て「この色柄は凄く好み」と思ったのだけ横に取っておいた。
一度も手を通していないものもあった。どんだけ作ったんだというくらいあった。なかなか全部見終わらない。結局、箪笥一竿にぎっしり40枚近く詰まっていた。そのうちから紬や小紋などを8枚ほど選んだ。一度に集中して大量の着物を見てどっと疲れたので、帯や羽織は形見分け当日に見ることにした。


溜め息をつきながら出した着物を一枚ずつ箪笥に戻していると、今度は「二階に洋服があるで、ちょっと見てくれんかね」と言われた。うはぁ、服があった‥‥‥‥やるしかない。
親戚のおばさま方に良さそうなスーツが、仕立て屋の箱に入って何着もあった。「それは戦友会のパーティに行くたびに作ったものや。どれも一回しか着とらんわ」と義父。
洋ダンスと衣装ケースの中身をざっと点検。ジャケット、ニット類やスカートなどがぎっしり。若い時に着たのも処分しないで、ほとんどとってある模様。故人には悪いが、あまりの服の多さにだんだんぐったりしてきた。
タンスの上に大きな桐の箱が載っていた。「あれは何?」「あ、あれはミンクのコート」。‥‥‥とりあえず、冬物は見なかったことにしよう。今回の形見分けは着物とスーツだけ。冬物その他は涼しくなってから日を改めて。



さて、法要も滞りなく済み忌明けの食事も終わって、親戚一同、一旦義父宅に戻ってきた。皆に手伝ってもらって、着物を座敷に運ぶ。私はもう頂いたので、後は皆さんで分けて下さい。
年輩の叔母たちが「私らはいいわ」と言ったので、着物がわりと好きらしい夫の従兄の奥さんと二人の従姉(いずれも50代後半〜60歳前後)の三人に見てもらった。「すごいねぇ」「ちょっと見てこれ!」「おばさん、やっぱりいいもの持ってるわぁ」。良かった良かった、どんどん持ってってくださいな。
自分がいかにも欲がないかのように書いているが、着物も宝飾品もあまりにたくさん見ると、さほど欲しいという気持ちがなくなるものだ。普段着物を着たり宝石を付けたりしないので、余計にそうなる。


義父に「帯と羽織はどこ?」と聞くと、まだ見ていないもう一つの箪笥の、下の引き出し二つだと言う。その中身を出して、小物はどこかなとその上の引き出しを開けてみると、また着物がどっさり入っているではないか。うわ‥‥と思いながら引き出しを全部開けたら、それも一竿丸ごと着物箪笥だった。
「すいませーん、また出てきましたー」と言いながら、座敷に運ぶ。「ええー」「いったいどんだけあるの」と、目を丸くする従姉たち。いやもう呉服店が開けるくらいあるんですよ‥‥。
仕切りの襖を取り去った8畳6畳続きの座敷に、畳が見えないほど着物の包みが散乱している。ざっと60〜70枚。目眩がしてきた。
「サキちゃん、この色無地いいものだから貰っておきなさいよ」「その帯がさっきのに合うよ」などと勧められて、また数枚貰った。帯も3本ほど。
「でも残念ながら、そんなに頻繁に着る機会がないのよね」と、従姉の一人が言った。「4人でお茶会でもする?サキちゃん主催で」「そうねぇ」。お茶会なんか出たことないけど、せっかく着物着る機会だからやってみるか。


座敷の隅では、叔母たちが洋服の着せ替えごっこをしていた。義母は大胆な花柄が好きだったので、全体に華やかなのが多い。「これ、私には派手過ぎじゃないかね」「そんなことないよ、よく似合ってるわ」「畑やっとっていつも野良着でおるのに、こんな赤いの着て歩いとったら、近所の人に気が狂ったかと思われんかね」「そんなことないない」。
2時間近くかかって着物と服の形見分けが終わり、次は宝飾品。ここでも「これ、いいものだからとっときなさい」と、指輪をいくつか頂いた。
形見分けの品を車に積み、叔母や従姉たちは喜んで帰っていった。アクセサリー類は全部捌けたものの、着物が半分ほど残った。正絹なのでシミの出ているのもあるし、かなり古くなっているのも。後日、近所で着物に詳しい方がいるらしいので来て頂いて、仕分けすることにした。


着物や宝飾品が好きだった義母と、あまり興味のなかった私。世代の違いもあってか、洋服のセンスもまったく合わなかった。基本的に義母は着物で垢抜ける人だった。
娘のいなかった義母は私に対し、「この人は着物も欲しがらないし、宝石にも興味がなさそうだし、えらく地味好みだし、なんか張り合いがないわね」と思っていたのではないだろうか。そういうことは口に出さず、あれこれ無理に押し付けることはなかったけれども。
いつかは私に譲るつもりで、義母がコツコツ仕立てた大量の着物を思うと、ちょっと遣る瀬なくなる。彼女のようなタイプだったらそれらをもっと上手に受け継いで、日常の中で楽しみ活用できるだろうけど、私には無理だ。生活スタイルも趣味も違い過ぎるから。
義母が身につけてきた着物文化をきちんと継承できない申し訳なさと、気になっていた着物の処遇が決まって肩の荷が軽くなった気分とが交錯する中で、『東京物語』の原節子の台詞「誰だってみんな、自分の生活が一番大切になってくるのよ」が、元の文脈を離れてほろ苦く心に沁みてきた。


東京物語 [DVD] COS-024

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