44年目の『鳥の歌』

クラシック音楽の愛好家だった生前の父は、若い頃にバイオリンを齧っていたが、それより好きな楽器はどうやらチェロであったらしい。女の子が生まれたらピアノ、男の子が生まれたらチェロを習わせたかったと(私が女の子だったのでピアノになった)。
もちろん父の一番好きな演奏家は、パブロ・カザルスだった。1971年10月24日、ニューヨーク国連本部でのカザルスの演奏を、家族揃ってテレビで見た時のことはよく覚えている。「(私の故郷カタロニアでは)、鳥たちはこう歌います。Peace、Peace、Peace!」。95歳になろうとするチェリストの発言に、父は感極まった顔になった。
そして演奏された『鳥の歌』。原曲はカタロニア民謡で、カザルスが編曲したもの。
それは、当時12歳の私がそれまでの短い人生で聴いたどんなクラシックの演奏とも違っていた。今なんかすごいものを見ている(聴いている)んだ‥‥と思った。




先日、義父が米寿を迎えた。昨年義母が突然亡くなってからこの一年近く独り暮らしで、私が週に一度訪問して家事の手助けをしている。義父はまだかくしゃくとしており、同じ歳の頃、介護施設のベッドの上で夢と現実の間を彷徨っていた父とは大違い。とは言え、言動にいささかの不安定さが出てきたのも事実である。
今日、義父宅の近くの文化会館で開かれた千住真理子のコンサートに行った。義父と二人で行くのは2回目だ。
だいぶ前に、たまたまチラシが新聞に挟んであるのを見つけ、「千住真理子が来るんだね」と言ったら、「あんた、それ行きたいかね」と聞かれた。義父がこう聞いた時は、義父自身が行きたい(一緒におでかけしたい)ということなのだ。
義父は父とは文化圏が違っていて、クラシックはほとんど聴かない。以前、一緒にチェロのコンサートに行った時は、途中で少し寝てしまった。でも今回は「日本の歌を演奏」とチラシに書いてあったので、これなら義父も最後まで楽しく聴けるだろう。私個人は「日本の歌」よりゴリゴリのクラシックを聴きたい方だが、たまにはこういうのもいいと思った。


会場である扶桑文化会館の一階はほぼ満席で、二階も8分の入り。7割くらいが中高年、そのまた7割近くが女性だ。こういう地方の文化会館の催しに来るのはクラシックファンばかりではなく、「何か刺激を受けたい」「有名人の演奏や演技を見たい」という人も多い。デビュー40周年を迎えた千住真理子知名度に加え、「日本の歌」ということで、途中で眠くなる(かもしれない)クラシックより引きがあったのだろう。
赤とんぼ、故郷、荒城の月、椰子の実、もみじ、浜辺の歌、この道、月の砂漠‥‥。なじみ深い曲目が並んだプログラムを見ながら義父は、「大正末期から昭和にかけての唱歌だな」と言った。時々、妙にしっかりしたことを言う義父である。


曲名を眺めていて、父を思い出した。これらの童謡、唱歌は私が幼い頃、父がよくレコードで聴かせてくれたものだ。
父自身、唱歌が好きだった。介護施設に入居後、枕元に置いていたのも『きけわだつみのこえ』と『日本唱歌集』。その一年目の夏に小さなキーボードを持って父を訪ね、これらの曲を弾き語りしたことも思い出した。認知症が進んでいたけど、まだ正常なやりとりができた最後の季節だったなぁと。
これはまずい‥‥。演奏が始まったら、自分は泣いちゃうんじゃないかと不安になってきた。


クラシックオンリーだった千住真理子が「日本の歌」を演奏するようになったのは、東日本大震災の被災地にボランティアで行ったのがきっかけということである。特に年輩の人にとって、こうした懐かしい歌が心の癒しになるのはわかる気がする。
全12曲は、千住真理子の兄の千住明を含む6人の作曲家によって編曲されていた。歌の一つ一つは短いシンプルなものなので、編曲をして初めてプログラムになる。つまり演奏もさることながら、編曲に現れる作曲家の個性が聴きどころだ。それで、わりとそっちに集中して楽しむことができた。


3曲目の『荒城の月』。千住明の編曲はやや印象派っぽくて、すぐに情景が浮かび、それは昔、父に見せられた古い唱歌集の挿絵に繋がった。この曲の文語調の歌詞の意味を小学生の時に父から聞かされて、不思議な感銘を受けたことを思い出した。
4曲目の『椰子の実』。折りに触れて父はこの曲を歌っていたなと思った。高校の国語教師だった父の研究テーマが島崎藤村だったことに加え、南方の島で死んだ戦友の記憶があったからかもしれない。自分の遺骨を粉にして、『椰子の実』の舞台である伊良子岬から海に撒いてくれという遺言まで残している。献体したので、それを実行するのはまだ1、2年先なのだけど‥‥‥。


ふと気付くと、義父が座っているのと反対側の、私の左側の一つだけ空いた席に、父が座っていた。私の隣で、千住真理子のバイオリンに耳を傾けていた。変奏パートに入ると父は消えた。
それから、『浜辺の歌』と『この道』と『月の砂漠』(服部隆之の編曲。ユニークで面白かった)と『夕焼け小焼け』で、父は隣に現れた。
右側に義父、左側に亡き父がいて、同じ曲を聴いているという不思議な感覚を味わった。


会場全体が非常にリラックスした雰囲気のうちに、プログラムが終了した。アンコール曲は、『ロンドンデリーの歌』、『アロハ・オエ』と、これまた誰でも知っているポピュラーな曲目。
そして、アンコール曲のラストが、パブロ・カザルス編曲の『鳥の歌』だった。


演奏が始まると、和やかなムードだった客席が水を打ったように静まり返った。それまでにない深い静まり返りようだった。終盤、椅子に座っているのを大儀そうにしていた義父も、じっと耳を傾けている。
誰が弾いても44年前の国連でのカザルスの伝説的な演奏が思い出されてしまう、そういう特別な曲である『鳥の歌』を、千住真理子は渾身で弾いていた。カザルスによって付与された「平和祈願」というメッセージを措いたとしても、なんと重く、暗く、哀しみのこもった美しい旋律だろうかと改めて思った。
父はもう、隣の席に現れなかった。それまで、一粒も出なかった涙が溢れてきた。



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